« 加納宿→赤坂宿  9月9日 | トップページ

赤坂宿→関ヶ原宿→柏原宿 9月10日

赤坂(あかさか)宿

   ↓            5.2Km

垂井(たるい)宿

   ↓            5.5Km

関ヶ原(せきがはら)宿

   ↓            3.9Km

今須(います)宿

   ↓            4.0Km

柏原(かしわばら)宿

 

        今日の合計歩行距離   18.6Km

 

日本橋から総計歩行距離  450.7Km

6時起床、友人宅で取れ立て野菜をふんだんに使った美味しい朝食をいただいてから電車で出発しました。

岐阜経由で昨日のゴール地点東赤坂駅まで戻ってきました。

Conv0059 Conv0060

昨日一緒に歩いたでこちゃさんは今朝は私より早くここからスタートしています。

私は今日は9時少し前にスタート、赤坂宿の手前にある白山神社でストレッチをしてから歩き始めました。

杭瀬川を渡るとそこは赤坂宿です。

Photo Conv0063

入り口に火の見櫓がそびえています。その向かい側には赤坂港跡の洋風の建物が見えてきました。

Conv0065


ここは川の港(湊)として賑わったところで、この港と名古屋の間を往復する川舟は一時は350隻にものぼったそうです。

Conv0066

船着き場がきれいに修復されて復元されていました。

この洋風の白い建物は今は「赤坂港会館」という資料館になっています。

Conv0067 Conv0068


靴を脱いで上に上がらせてもらうと、80歳になられるという女性が赤坂宿についていろいろな話をしてくださいました。

面白い話でいつまでも聞いていたいとは思いましたが、スタートしたばかりでこれから先を歩かなければならないので、途中で失礼しました。

Conv0069

朝から既に猛烈な暑さですので、近くの店でアイスを買って食べました。

Conv0070

本陣跡は建物は残っておらず、石碑だけです。

さらに進むと土蔵造りの家に挟まれた趣のある路地があったり、古い建物が残っていたりして宿場町らしい風情が感じられます。

Conv0071 Conv0072


宿場の駅「五七館」や「お嫁入り普請探訪館」などの資料館のようなものもありますが、あまりゆっくり見学する時間もないので、ざっと一通りみせてもらうだけにしました。

Conv0073 Conv0152


それでもこの赤坂宿を通り抜けるだけで1時間半もかかってしまいました。

Conv0075_2  Conv0076

ここには廃線も残っていました。今は草が生えて使われていませんが、昔はこの土地の名産品である石灰を運ぶために貨物列車が盛んに通っていたと思われます。

Conv0077


赤坂宿を出ると間もなく「昼飯町」という面白い地名の場所に差しかかりました。

Dc091867 Conv0078


昔、難波の海で拾い上げられた如来像を善光寺に納めるため、それを運んでにここを通った人々がこの地で美しい景色を眺めながら昼飯(ひるめし)を食べたのでこの名がついたそうです。

 

しかし、後に「ひるめし」では下品なので「ひるいい」「ひるい」と呼ばれるようになったとのことです。

Conv0161 Conv0162


その先には奈良時代に建てられた国分寺に至る道があり、道標が立っています。またすぐ近くの一里塚跡には常夜灯が立っていました。

 

太陽がじりじりと照りつける中を歩き、やがて垂井宿に入りました。

Photo_2

すぐに目に入ったのは旅籠「亀丸屋」です。昔は飯盛り旅籠だった古い建物ですが今でも現役の旅館として営業しています。

Conv0163


安永7年(1778年)の建物だそうです。

焼けるような暑さの中に宿場全体が静まりかえっています。

Conv0164 Conv0165


旅籠「長浜屋」で荷物を下ろして一休みさせてもらいました。今は無料休憩所兼ちょっとした資料館になっています。

 

ここにはまた話し好きなおじいさんがいて、しばらくこの宿場町の話を聞かせていただきました。

 

そろそろお腹が空いてきたので、どこか昼食を食べられる所はないか尋ねると、すぐ近くの食事処を教えてくれました。

Conv0166 Conv0167


そこでカウンターの中の大将の勧める刺身定食をいただきました。イサキと鮪の刺身はとても美味しかったのですが、大将が話し好きで食べている間中話しかけるので、うなずいたり相づちを打ったりするのに忙しくてゆっくり味わうことができませんでした。

 

しかし、人の良い大将とその気さくな女将さんとの出会いは嬉しいものでした。

Conv0168 Conv0169


この垂井宿には本龍寺という立派なお寺があります。このような小さな宿場町に似つかわしくないほどの立派なお寺です。

 

また築200年ほどの古い商家なども残っていて宿場町の趣が感じられます。

Conv0172

宿場の家並みを抜けたところに垂井の一里塚があります。

Conv0174

この一里塚はほぼ原型を留めており、国の史跡に指定された一里塚はここと板橋区の志村の一里塚の二カ所だけだそうです。

 

間もなく関ヶ原宿が近づくと共に、それらしい有名な史跡が現れ始めました。

Conv0177

徳川家康が最初に陣を張った桃配山です。途中まで上がりましたが、暑さで頭がくらくらするので頂上までは行きませんでした。

 

今日は街道歩きはここで終わりにして関ヶ原の戦の跡を見学して回ろうかとも考えましたが、それは次の機会に回して今日は歩き続けることにしました。

 

3時ごろ不破の関跡に差しかかりました。

Conv0179 Conv0182


その先には小さな川が流れています。この藤川(藤古川)を挟んで壬申の乱では両軍が対峙したところで、当時の軍事上の要害の地だったそうです。

Conv0185 Conv0184

この小さな川が歴史上重要な地点だったとは信じがたいことです。

Conv0187

そこから暑さにあえぎながら歩いて行くと「鶯の滝」がありました。昔は旅人たちが涼を求めてしばし休んだところだそうですが、今はあまりきれいな滝とは言えません。しかし、昔を偲びながら滝の横の階段に座って一休みしました。

Conv0188


その少し先に「常磐御前の墓」がありましたのでお参りをしました。

Conv0189


この辺りではもう稲刈りが始まっています。

Conv0190


そこから街道は今須峠に差しかかります。峠の途中に流れる湧き水で顔を洗いました。酷暑の中、生き返るような思いです。

Conv0191


やがて4時頃、今須宿の手前の「今須の一里塚」に差しかかりました。

Photo


今須宿に入りました。いかにも街道沿いの宿場町らしく落ち着いた佇まいです。

Conv0192 Conv0194

Conv0195_6


小さな今須宿はあっという間に通り過ぎました。

やがて車返しの坂を過ぎて寝物語の里に入りました。

Conv0198


ここは小さな流れを境に近江国と美濃国の国境であったところです。

今は実に頼りないほどの細い溝を挟んで国境の標柱が立っています。

Conv0201


そこからさらに進むと柏原宿に近づいて来ました。

Conv0206


5時ごろ柏原宿に入りました。もう日も傾いてきたので今日はここをゴールにして帰ることにします。

柏原駅に着くとちょうど電車が入ってくるところでした。これを逃すと1時間近く待つことになりそうですので、慌てて階段を駆け上り反対側のホームへ駆け下りてぎりぎりのところで電車に乗り込みました。

そこから電車を乗り継いでまた友人宅へ戻りました。

その夜もまた美味しい食事とお酒をご馳走になり、いい気分で早めに床に入り眠りにつきました。

今回もまた友人夫妻にはすっかり甘えて世話になりました。

3回も続けて彼らの家を拠点にして歩かせてもらい、まるで殿様の旅のように恵まれたものになりました。

「もつべきものは友」と昔から言われますが、このように旅先でのあたたかいもてなしは特に有り難く、嬉しく感じられるものです。

遠く江戸の時代の旅人たちもこのような人情を感じつつ旅をしたのであろうと肌で感じました。

感謝!

翌11日は友人の奥さんに長良川の「草井の渡し跡」に案内してもらいました。

Conv0207 Conv0209


この近くで生まれ育った彼女は高校時代ぐらいまで、まだここの渡し船に乗って対岸に渡っていたそうです。

時には自転車と共に乗ったという話が面白く感じました。

その後、近くの駅まで送ってもらい、そこから名古屋に出て、妻と共に徳川美術館を見学してから新幹線で東京に戻りました。

« 加納宿→赤坂宿  9月9日 | トップページ

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

これでおしまいなのでしょうか、なんとなく不安です
どなたか教えてください

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 赤坂宿→関ヶ原宿→柏原宿 9月10日:

« 加納宿→赤坂宿  9月9日 | トップページ

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

カテゴリー

  • 旅行・地域
無料ブログはココログ