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2011.11.23

加納宿→赤坂宿  9月9日

加納(かのう)宿

   ↓          5.9Km

河渡(ごうど)宿

   ↓          4.7Km

美江寺(みえじ)宿

   ↓          8.7Km

赤坂(あかさか)宿

       今日の合計歩行距離   19.30Km

 日本橋から総計歩行距離   432.1Km

今回もまた青春18切符で出かけました。また妻も一緒です。

昨日(9月8日)の早朝家を出て各駅停車の電車を乗り継ぎ南木曽駅で途中下車しました。

そこからバスで馬籠宿へ向かいました。今回も妻に初めての馬籠宿を見せることが目的です。

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石畳の道は照り返しで暑いのですが、観光客で賑わっていました。

馬籠宿は坂道にできた珍しい宿場です。一番上の入り口から入り坂道を下って行きました。

途中の店で昼食に蕎麦を食べた後、食後に「宇治金時ミルク」のかき氷をいただきました。

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白玉入りがなかったのは残念でしたが、暑さの中を歩いた後なのでこの上なく美味しく感じました。

馬籠宿の反対側のはずれからバスに乗り中津川へ出ました。

中津川では「すや」に寄り、シーズンが始まったばかりの「栗きんとん」を購入し前回に引き続きまたお世話になる友人宅への土産にすることにしました。

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その後、中津川駅からまた電車を乗り継ぎ鵜沼宿近くに住む友人宅を目指しました。

その夜もまた友人夫妻のあたたかいもてなしを受け、奥さん手作りの美味しい食事とビール、日本酒、ウイスキーなどをいただきながら、楽しく語り合いました。

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9月9日(金)

友人が飼育している鈴虫の優しい音色で気持ちよく目覚めました。

今日は友人の奥さんと妻も一緒に3人で家を出て今日のスタート地点加納宿を目指します。

名鉄新岐阜駅から前回のゴール地点加納宿へと行き、そこから8時ごろ出発しました。

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今日は途中まで3人一緒に歩きます。加納宿のはずれにある空き地でストレッチをした後、歩き始めました。

Conv0011歩き始めてすぐに東京では見かけないオール100円の自販機がありましたのでお茶を買いました。

Conv0012途中分かりにくい道で迷いそうなところが何箇所かありましたが、タイミング良く分かりやすい案内の表示があって助かりました。

10時ごろ長良川を渡る「小紅の渡し」の案内板のところに着きました。

今日はこの「小紅の渡し」を渡ることが最大のイベントです!

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石段を上がって土手を越え川岸まで行くと、向こう岸の土手の上に船頭小屋が見えました。

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先ほど出会った地元の人の話では「お~い」と手を振るとすぐに来てくれますよ、とのことでしたので3人で声を合わせて「お~い!」と叫びました。

カメラのズームレンズで見ると小屋の中には確かに人がいるのが分かります。

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そしてこちらに顔を向けたのも分かるのですが、全然立ち上がる気配がありません。

今度は3人でさらに大きな声で叫びながら手に持ったタオルなどを振りましたが、それでも立ち上がる気配がありません。

約40分間叫び続けてそろそろ声がかれて喉が痛くなってきたころ、小屋の中の人がやっと立ち上がって、ゆっくりゆっくりとした動作で石段を下りて来ました。

そしてゆっくりともやい綱をほどき、やっとのことで舟を川に出してこちらに向かって近づいてきました。

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ようやく舟に乗り込みます。

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船頭さんは見るからに人の良さそうなおじさんでした。

「おじさん、ずいぶん長い間大声で呼んだり、手を振ったりしていたんだけど、見えなかったのですか?」と聞くと、

「あ~あ、あそこはいろんな人が来てラジオ体操をやることがあるので、あんたたちもラジオ体操をしてるんだとばかり思っていたよ・・」

(そんな馬鹿なことがあるか(-_-#) と思いましたが、善良そうなオジサンですのでそれ以上詮索しないことにしました。

しかもこの渡しは岐阜市の管轄で運営されており無料ですので、40分ぐらい待たされても、声が枯れて喉が痛くなっても文句は言えません。

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舟の上はひんやりとした川風が心地よく頬を撫でてくれて、それまでの汗も引いていきます。

間もなく無事に向こう岸に着いて、再び土手道を歩き始めました。

土手道から振り返ると今朝出発した加納宿(岐阜市)の方角に金華山が見え、頂上にポツンと岐阜城が認められました。

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そこから30分ほどで河渡宿入り口に着きました。

河渡宿入り口には「馬頭観世音菩薩」が祭ってありました。


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この河渡宿は度重なる長良川の氾濫に加えて戦災にも遭い、ほとんどの遺構は消失してしまって宿場町を偲ばせるものは何も残っていないようです。

女性二人とはここまで歩いて別れる予定だったのですが、二人ともまだ歩けそうだとのことなので次の美江寺宿まで歩くことになりました。

Conv0028そこからしばらく歩くと街道沿いに一件の寿司屋がありました。他には食べる店もなさそうですので、ここで昼食にしました。

このあたりは他に店がないので、街道歩きの人がよく寄っていくと女将さんが言っていました。

1時半ごろ美江寺宿に着きました。

このあたりは道標や案内板なども分かりやすく整備されていて「旅人に優しい町」という感じがしました。

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ここで、ツイッターでの街道歩き仲間のでこちゃさんが後ろから追いついてきました。

同じく今日たまたま近くの街道を歩いている彼と昨日から連絡を取り合って、今日はどこかで出会う約束をしていたのです。

彼を妻や友人の奥さんに紹介して、彼女たちが乗る電車が美江寺駅に来るまでしばらく4人で楽しく談笑しました。

好青年のでこちゃさん(もう二人のお子さんの父親ですが)のことを女性二人は大変気に入ってくれたようで、私も鼻が高くなる思いでした。

肖像権の関係で一緒にとった写真をアップできないのが残念です。(本当は妻が自分の顔をアップされると恥ずかしいと言っているのですが・・)

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女性二人が乗り込んだ電車を手を振って見送った後、今度は男二人で歩き始めました。

でこちゃさんとは2月にツイッターの街道歩き仲間のオフ会で日本橋に集まったときにお会いしたのが初めてで今日は二度目の出会いです。

しかし、毎日のようにツイッターで語り合っていますので、もう旧知の仲のように心が通じ合い、お互いに楽しく談笑しながら歩きました。




Conv0048_2揖斐川を渡りました。
途中それぞれに写真を撮ったり、ツイッターでつぶやいたりしながら歩きます。

Conv0052このあたりは和宮ゆかりの場所や石碑がいくつか見られます。小簾紅園(おずこうえん)という場所には塚が築かれており、立派な歌碑もありました。

「落ちてゆく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」

Conv0054平野井川の土手に大きな石の道標がありました。「右すのまた宿道 左木曽路」と彫ってあります。相当に古いものですので、昔の旅人はこれを見ながら歩を進めことでしょう。

間もなく「赤坂宿」に近づきました。私は今日はここでゴールにする予定です。

しかし、でこちゃさんは今日はこの二つ先の「関ヶ原宿」まで歩きたいとのこと。

「いやあ、もうここで切り上げて、久しぶりの再会を祝して一杯やりましょうよ!」と誘惑をしました。

最初は躊躇していた彼もやはり酒の誘惑には勝てなかったようで、一緒にここで切り上げて飲むことにしました。

Conv0055彼は今晩の宿は岐阜駅の近くにとってあるとのことで、東赤坂駅から二人で岐阜駅に戻りました。

岐阜駅に着く前に同じツイッターの街道仲間で前回友人宅まで来てくれた「ぼんたさん」にでこちゃさんが連絡をとってくれました。

すると彼女も名古屋から岐阜に駆けつけてくれるとのこと、嬉しい展開になりました。

友人宅に電話をして帰りが遅くなることを断った上で、岐阜駅近くの居酒屋に入りました。

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早速二人で乾杯!この店は馬刺しや馬のレバ刺しなど、馬料理がメニューにずらり! 

「これはウマい!!」と言いながら美味しく飲み、そして食べました。

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やがて名古屋からぼんたさんも到着し、3人で乾杯! 夜は一層盛り上がっていくのでした。

赤坂宿→関ヶ原宿→柏原宿 9月10日

赤坂(あかさか)宿

   ↓            5.2Km

垂井(たるい)宿

   ↓            5.5Km

関ヶ原(せきがはら)宿

   ↓            3.9Km

今須(います)宿

   ↓            4.0Km

柏原(かしわばら)宿

 

        今日の合計歩行距離   18.6Km

 

日本橋から総計歩行距離  450.7Km

6時起床、友人宅で取れ立て野菜をふんだんに使った美味しい朝食をいただいてから電車で出発しました。

岐阜経由で昨日のゴール地点東赤坂駅まで戻ってきました。

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昨日一緒に歩いたでこちゃさんは今朝は私より早くここからスタートしています。

私は今日は9時少し前にスタート、赤坂宿の手前にある白山神社でストレッチをしてから歩き始めました。

杭瀬川を渡るとそこは赤坂宿です。

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入り口に火の見櫓がそびえています。その向かい側には赤坂港跡の洋風の建物が見えてきました。

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ここは川の港(湊)として賑わったところで、この港と名古屋の間を往復する川舟は一時は350隻にものぼったそうです。

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船着き場がきれいに修復されて復元されていました。

この洋風の白い建物は今は「赤坂港会館」という資料館になっています。

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靴を脱いで上に上がらせてもらうと、80歳になられるという女性が赤坂宿についていろいろな話をしてくださいました。

面白い話でいつまでも聞いていたいとは思いましたが、スタートしたばかりでこれから先を歩かなければならないので、途中で失礼しました。

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朝から既に猛烈な暑さですので、近くの店でアイスを買って食べました。

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本陣跡は建物は残っておらず、石碑だけです。

さらに進むと土蔵造りの家に挟まれた趣のある路地があったり、古い建物が残っていたりして宿場町らしい風情が感じられます。

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宿場の駅「五七館」や「お嫁入り普請探訪館」などの資料館のようなものもありますが、あまりゆっくり見学する時間もないので、ざっと一通りみせてもらうだけにしました。

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それでもこの赤坂宿を通り抜けるだけで1時間半もかかってしまいました。

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ここには廃線も残っていました。今は草が生えて使われていませんが、昔はこの土地の名産品である石灰を運ぶために貨物列車が盛んに通っていたと思われます。

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赤坂宿を出ると間もなく「昼飯町」という面白い地名の場所に差しかかりました。

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昔、難波の海で拾い上げられた如来像を善光寺に納めるため、それを運んでにここを通った人々がこの地で美しい景色を眺めながら昼飯(ひるめし)を食べたのでこの名がついたそうです。

 

しかし、後に「ひるめし」では下品なので「ひるいい」「ひるい」と呼ばれるようになったとのことです。

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その先には奈良時代に建てられた国分寺に至る道があり、道標が立っています。またすぐ近くの一里塚跡には常夜灯が立っていました。

 

太陽がじりじりと照りつける中を歩き、やがて垂井宿に入りました。

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すぐに目に入ったのは旅籠「亀丸屋」です。昔は飯盛り旅籠だった古い建物ですが今でも現役の旅館として営業しています。

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安永7年(1778年)の建物だそうです。

焼けるような暑さの中に宿場全体が静まりかえっています。

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旅籠「長浜屋」で荷物を下ろして一休みさせてもらいました。今は無料休憩所兼ちょっとした資料館になっています。

 

ここにはまた話し好きなおじいさんがいて、しばらくこの宿場町の話を聞かせていただきました。

 

そろそろお腹が空いてきたので、どこか昼食を食べられる所はないか尋ねると、すぐ近くの食事処を教えてくれました。

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そこでカウンターの中の大将の勧める刺身定食をいただきました。イサキと鮪の刺身はとても美味しかったのですが、大将が話し好きで食べている間中話しかけるので、うなずいたり相づちを打ったりするのに忙しくてゆっくり味わうことができませんでした。

 

しかし、人の良い大将とその気さくな女将さんとの出会いは嬉しいものでした。

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この垂井宿には本龍寺という立派なお寺があります。このような小さな宿場町に似つかわしくないほどの立派なお寺です。

 

また築200年ほどの古い商家なども残っていて宿場町の趣が感じられます。

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宿場の家並みを抜けたところに垂井の一里塚があります。

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この一里塚はほぼ原型を留めており、国の史跡に指定された一里塚はここと板橋区の志村の一里塚の二カ所だけだそうです。

 

間もなく関ヶ原宿が近づくと共に、それらしい有名な史跡が現れ始めました。

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徳川家康が最初に陣を張った桃配山です。途中まで上がりましたが、暑さで頭がくらくらするので頂上までは行きませんでした。

 

今日は街道歩きはここで終わりにして関ヶ原の戦の跡を見学して回ろうかとも考えましたが、それは次の機会に回して今日は歩き続けることにしました。

 

3時ごろ不破の関跡に差しかかりました。

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その先には小さな川が流れています。この藤川(藤古川)を挟んで壬申の乱では両軍が対峙したところで、当時の軍事上の要害の地だったそうです。

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この小さな川が歴史上重要な地点だったとは信じがたいことです。

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そこから暑さにあえぎながら歩いて行くと「鶯の滝」がありました。昔は旅人たちが涼を求めてしばし休んだところだそうですが、今はあまりきれいな滝とは言えません。しかし、昔を偲びながら滝の横の階段に座って一休みしました。

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その少し先に「常磐御前の墓」がありましたのでお参りをしました。

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この辺りではもう稲刈りが始まっています。

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そこから街道は今須峠に差しかかります。峠の途中に流れる湧き水で顔を洗いました。酷暑の中、生き返るような思いです。

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やがて4時頃、今須宿の手前の「今須の一里塚」に差しかかりました。

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今須宿に入りました。いかにも街道沿いの宿場町らしく落ち着いた佇まいです。

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小さな今須宿はあっという間に通り過ぎました。

やがて車返しの坂を過ぎて寝物語の里に入りました。

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ここは小さな流れを境に近江国と美濃国の国境であったところです。

今は実に頼りないほどの細い溝を挟んで国境の標柱が立っています。

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そこからさらに進むと柏原宿に近づいて来ました。

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5時ごろ柏原宿に入りました。もう日も傾いてきたので今日はここをゴールにして帰ることにします。

柏原駅に着くとちょうど電車が入ってくるところでした。これを逃すと1時間近く待つことになりそうですので、慌てて階段を駆け上り反対側のホームへ駆け下りてぎりぎりのところで電車に乗り込みました。

そこから電車を乗り継いでまた友人宅へ戻りました。

その夜もまた美味しい食事とお酒をご馳走になり、いい気分で早めに床に入り眠りにつきました。

今回もまた友人夫妻にはすっかり甘えて世話になりました。

3回も続けて彼らの家を拠点にして歩かせてもらい、まるで殿様の旅のように恵まれたものになりました。

「もつべきものは友」と昔から言われますが、このように旅先でのあたたかいもてなしは特に有り難く、嬉しく感じられるものです。

遠く江戸の時代の旅人たちもこのような人情を感じつつ旅をしたのであろうと肌で感じました。

感謝!

翌11日は友人の奥さんに長良川の「草井の渡し跡」に案内してもらいました。

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この近くで生まれ育った彼女は高校時代ぐらいまで、まだここの渡し船に乗って対岸に渡っていたそうです。

時には自転車と共に乗ったという話が面白く感じました。

その後、近くの駅まで送ってもらい、そこから名古屋に出て、妻と共に徳川美術館を見学してから新幹線で東京に戻りました。

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