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桶川から熊谷まで 2月1日

桶川宿 (おけがわ)

 ↓  7.2 ㎞

鴻巣宿 (こうのす)

 ↓  16.4 ㎞

熊谷宿 (くまがや)  合計 23.6 ㎞

           日本橋から総計 64.4 ㎞

まだ朝日が昇る前に家を出て、今日の出発地点の桶川駅に8時20分ごろ着きました。約1か月ぶりの中山道歩きです。

駅の立ち食いソバやで「きつねうどん」で腹ごしらえをしてから出発しました。

駅から商店街を抜けて中山道の通りに出ました。

お天気は雲ひとつない日本晴れですが、冷たい北風が吹いていて身を切るような寒さです。

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15分ほど歩くと「中山道宿場館」に着きました。前回もここに立ち寄ったのですが、1月3日でしたのでお正月休みで閉館になっており、見ることができなかったのです。

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今日もまだ閉まっていて、入口には9時開館と書いてあります。

あと15分足らずなので、そこでストレッチでもしながら待つことにしました。

9時ちょうどに自転車に乗った中年(高年?)の女性が「おはようございま~す!」とびっくりするような元気な声で現れました。そして鍵を開けてくれて「お待たせしました。どうぞ、どうぞお入りください!」と招き入れてくれました。

そして、一人だけの客の私にいろいろと懇切丁寧に案内をしてくれました。

おかげで中山道や桶川宿に関していろいろな知識を得ることができました。

あまりゆっくりもしていられないので、「それではこれで失礼します。ありがとうございました。」と言うと、地図やパンフレットをはじめ桶川周辺で昔から栽培されていた名産品の紅花の種をたくさんくれました。口紅の材料として昔は貴重品だったそうです。

とても明るくて感じの良い女性でしたので、一日の始まりが気持ちよくスタートしたような気持になりました。

そこから中山道は商店街を北に向かって歩くことになります。背中からは朝日が射しているのですが、肌を刺すような北風が正面から容赦なく吹き付けきて体温を奪われるような感覚です。

こんなこともあろうかと念のために持ってきていた冬山用の耳カバーの付いた帽子をかぶり、同じく冬山用の手袋を着けました。そして首にはしっかりとマフラーを巻いて歩きました。これで北風の中でも元気に歩けそうです。

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桶川を描いた浮世絵が書かれたと思われるところまで来ましたが、そこは今は大きなショッピングセンターになっていて、昔の面影は全くありません。

1時間半ほど歩いたところで、ますます強くなった北風に顔が痛くなり、鼻水が垂れて仕方がないので、ちょうど街道沿いにあった「珈琲館」に入り、温かいコーヒーを飲んで体を温めました。

しばらくして鴻巣宿に入りました。この土地は江戸時代から人形づくりの町として有名だったところです。特にひな人形は江戸でも人気があり、評判が高かったそうです。

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今も街道沿いにも何軒も大きな人形店があり、ショーウィンドウにいろいろな人形が飾られていました。

鴻巣宿を後にして、熊谷宿に向かって歩き始めると、東京を出発してずっと交通量の多い国道沿いであった中山道が、急に田んぼや畑に挟まれた本来の街道らしい雰囲気になってきました。

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しかし、気がつくとコンビニも何もありません。さっきからトイレにも行きたいのですが、まったくできそうなところがありません。膀胱が痛くなるのをがまんして歩き続けました。

相当歩いてやっと一軒のコンビニが現れ、そこでやっとの思いで用を足しました。

再びよい調子で歩き始めましたが、その後は民家の並ぶ道がどこまでも続き、今度はお昼を食べるお店が見当たりません。もう時間は2時をとっくに過ぎているのですが、それらしいお店がないのです。

ここからが悲劇の始まりでした。

中山道は地蔵堂を過ぎたあたりから荒川の土手(熊谷堤)の上を歩くコースになりました。

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夏なら川風が吹き抜けて気持ちの良いところなのでしょうが、今は何の遮蔽物もない土手上の道に冷たい北風がビュービューと音を立てて吹き付けています。

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吹き倒されそうになりながらも、前かがみになって風に対抗しながら歩き続けました。

しかし、強い風に空気中の埃が吹き飛ばされたからでしょうか、空気は澄んでいてはるか遠くまで見通せます。

左手にははるか富士山がそびえています。そして正面には雪をかぶって真っ白な浅間山、右手には榛名山や赤城山などがはっきりと望めます。

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(この浅間山がその日の夜に爆発しようとは想像もしませんでした。)

その土手道は約1時間ほど続いたでしょうか、寒さももちろんですが、食べ物がないことが困りました。

いつもは非常食をリュックに入れておくのですが、事前の調べが甘く、町中の道を歩くのだから持っていかなくても大丈夫だろうと思っていたのが失敗でした。

結局4時過ぎに熊谷の町に近づくまで、朝8時半に「きつねうどん」を食べてから何も食べずに歩き続けました。

熊谷の町に入り、中山道の地図を見ると、「銀座1丁目」の信号を左に曲がると熊谷宿と書いてあります。

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なるほど、ありました! 「銀座1丁目」  感動です?

熊谷駅前に着くと、体が冷え切っていることに気がつきました。

本当はここで1泊して、明日も続きを歩くつもりでしたが、何か温かいものを食べて今日はもうここから帰ろうと、気が変わりました。

駅前の居酒屋に入り、「熱燗一丁!」と叫ぶつもりでしたが、気がつくとのどもカラカラに乾いていることを忘れていました。寒かったのであまり飲み物を飲んでいなかったのです。

「生ビールくださ~い!」と頼んで、飲んだビールの美味しいこと、美味しいこと、冷え切った体にビンビンに冷えたビールが何故美味しいのか不思議でした。

たぶん、体が軽い脱水症状になっていたのかも知れません。

そのあとは、ヒラメとイトヨリの刺身、そして揚げ出し豆腐などをつまみに熱燗を飲み、その上、芋焼酎のお湯割りを飲んで、汗ばむほど体が温まったところで熊谷駅から電車に乗って我が家に帰りました。

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この日の総歩数は42,360歩でした。

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コメント

お邪魔いたします。
中山道歩かれてるんですね。
今はもう別の場所に住んでいるのですが、高校生の頃、熊谷の玉井というところから深谷の「見返りの松」前まで中山道(付近の住民は単に旧道と呼んでいました)を自転車で通学していました。
熊谷市中心部の中山道沿い、つまりは熊谷宿のあった辺りですが、昭和20年8月14日深夜から15日未明にかけての空襲で七割が焼けましたので、往時を偲ばせるような旧所名跡はほとんど残っていません。終戦があと12時間早かったら残っていたかもしれないのですが…残念です。
あの辺りはもうしばらく寒くて風が強い季節が続きます。お気をつけて歩いてくださいまし。

コメントありがとうございます。
熊谷市の終戦直前の空襲については本で読み、本当に残念なことだと思っていました。
あの戦争さえなければ日本にはもっともっと昔の面影や大切な文化遺産などが残っていたのですよね。
東海道を歩いた時も、街道の名物の松並木が飛行機の燃料にする松根油をとるために伐採されて、ほとんどが姿を消したことを知り、戦争を憎く思ったものです。
私自身も誕生直後の8月9日に長崎で原子爆弾に遭い、両親をそれがもとで亡くしてしまいました。
今度中山道を歩くときには玉井から見返りの松あたりを歩くときに、自転車通学をなさっていたkonoさんのことを思い出しながら歩くことにします。
お元気でお過ごしください。

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