中山道への思い

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  中山道宿場地図(クリックで拡大します。)

2007年12月1日に京都三条大橋に到着しました

60歳で定年退職して1年目の3月17日に日本橋を出発してから8か月余りの旅でした

(この旅の様子はブログ「還暦からの東海道」 http://haya-iwa-zoo.cocolog-nifty.com/blog/ で公開しています。)

それから早1年が経過し、そろそろ次の旅への誘惑が強くなってきました。

次の旅は東京から京都までの旅の続きで、京都→長崎にしようか、それとも北へ進路を変えて、東京→青森にしようか、などと考えてもみましたが、ネットなどで調べてみると、東海道を歩いた人の多くが次に中山道を選んでいることに気付きました。

しかも、中山道を歩いた人のほとんどが「東海道より中山道の方がより魅力がある」と言っています。

そこで私も中山道を歩こうと決心しました。(2008年12月22日現在)

出発はまだいつになるか分かりません。2009年の正月を期して出発するか、または暖かくなるのを待って3月の出発にするか迷っているところです。

しかし、何はともあれ、自分を奮い立たせるためにブログだけは立ち上げようと思い、このブログを開設しました。

この旅がいつ始まり、いつ終わるか、まったくの未定ですが、皆様に私の気ままな旅にお付き合いいただければ何よりの幸せです。

よろしくお願いいたします

いざ、日本橋を出発! 1月2日(金)

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  写真はクリックすると拡大します。

日本橋

 ↓ 9.8km

板橋宿(いたばし)

 ↓ 9.0km

蕨宿 (わらび)

 ↓ 5.4km

浦和宿(うらわ)    合計 24.2km

年の暮れになって、

「切りの良いところで、1月1日に中山道の旅をスタートしようかな!」

と言ってみたところ、妻から

「元日ぐらいは家にいて家族でお正月を迎えましょうよ。」

と言われました。

それもそうだと思い、元日は家族で地元の神社に初詣に出かけ、お屠蘇とお雑煮、おせち料理などでお祝いをしました。

そして、元日の夜、11時半、

「では、明日の朝早く出発するからもう寝るよ。」

と言って寝室へ行こうとすると、長男が

「僕も一緒に行っていいかなあ? せめてスタートの日だけでも一緒に歩きたいんだけど…」

と言うので

「もちろんいいよ! 一緒に行こう!」と答えました。

そして、1月2日早朝、長男と一緒にお雑煮で朝食を済ませた後、妻の笑顔と眠そうな愛猫ミューの顔に見送られて7時半に家を出て日本橋へ向かいました。

Conv0004_2 東京駅に着いて日本橋に向かって歩き始めると、銀座の街にはあちこちに長い行列ができています。有名デパートなどの福袋目当ての行列のようです。

日本橋に着いて、二人で入念にストレッチをして身体を慣らしてから、9時25分にいよいよ中山道への第一歩を踏み出しました。

東海道の旅のときは日本橋から南に向かって歩き始めましたが、今回は逆に北に向かってのスタートです。

あちこちの店先に門松が並び、その中を歩くのはなかなか清清しい気分です。

   旅立ちや門松並ぶ中山道

Conv0005 しばらく歩いて神田駅を過ぎると、以前千代田区の学校で働いているときに行ったことのある江戸情緒の残った店が何軒かありました。

間もなくお囃子の音が聞こえてきました。神田明神です。

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せっかくなので、今年2度目の初詣をしました。さすが神田明神だけあって大勢の人で賑わっています。参道の糀屋「三河屋」の熱々の名物甘酒を飲んで身体が温まったところで再び歩き始めました。

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10時半、東京大学の赤門を通過しました。

赤門前では何組かの親子連れが記念写真を撮っていました。これから東大を目指そうという人たちなのでしょうか。

なぜか皆、幸せそうな顔をしていました。

それから1時間ほど歩くと巣鴨の「地蔵通り商店街」に入りました。噂には聞いていましたが、通りにはお年寄り、しかも女性のお年寄りがいっぱいです。巣鴨が「お年寄りの原宿」と言われている訳がよく分かります。

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通りのお店には、おばちゃんやおばあちゃん好みの商品がいっぱい並んでいます。妻を連れてきたら喜ぶかな…と思いながら歩きました。

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Conv0011_2 有名な「とげぬき地蔵」で今年3度目の初詣をしました。こんなに「はしご」で初詣をすると、かえってご利益がなくなるかもしれません。

お昼過ぎに板橋の駅を通過しました。駅の近くのファミリーレストランで二人でカレーライスで昼食を済ませました。

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板橋の地名の元になった「板橋」(昔は板でできた橋だったそうです)を渡ると間もなく「縁切り榎」に差し掛かりました。

この榎の下を通ると縁が切れて不幸になると、いつの頃からか言われるようになり、皇女和宮をはじめ京から降嫁したお姫様方がここを通るときには榎を梢から根元まで菰(こも)で包み隠したり、わざわざ回り道をして通り過ぎたりしたそうです。

Conv0017 2時ちょっと過ぎた頃、「志村の一里塚」に到達しました。ここは道の両側に塚が残っている非常に珍しいところです。

東海道でもそうでしたが、一里塚が残っているところは少なく、しかも両側の塚が残っているところはほとんどありません。

道路の拡幅のためだけでなく、明治政府が徳川幕府の名残を消すために街道の一里塚を取り壊させたことで、ほとんど無くなってしまったそうです。

3時ちょうど、埼玉県との境に流れる荒川に掛かる戸田橋にさしかかりました。

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江戸時代は幕府が江戸を守るために、ここには橋を掛けず、渡し舟で旅人を渡していたそうです。

その後、蕨(わらび)宿を通過しました。

蕨宿の旧道には中山道の各宿場の浮世絵が絵タイルになって歩道に埋め込まれていました。

また蕨宿には本陣跡がきれいに整備されていました。

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長男は昨年11月に痛めていた腰が痛み始めて少し辛そうですが、そのまま浦和まで歩くことにしました。

日もとっぷり暮れたころ、焼米坂を登ると、調(つき)神社が見えてきました。

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珍しい名前の神社ですが、「つき」にちなんで、この神社には狛犬のかわりに一対の兎が置かれています。

また、この神社はなぜか鳥居がないことでも有名です。そのようなことで謎に満ちた神社と言われているそうです。

そこからしばらく歩くと浦和駅に着きました。

駅の近くで夕食を済ませた後、長男はそこから帰宅しました。

私は近くのビジネスホテルに宿を取り、一泊してまた明日も歩くことにしました。

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今日の総歩数は45,324歩でした。

デジブックというアルバムをブログに貼り付けることができるようになりました。

試験的に1冊貼り付けてみます。

浦和から桶川まで 1月3日

浦和宿(うらわ)

 ↓ 5.0km

大宮宿(おおみや)

 ↓ 7.9km

上尾宿(あげお)

 ↓ 3.7km

桶川宿(おけがわ) 合計16.6km 

       日本橋から40.8km

ちょっと寝過ごして7時45分に起きました。

その後ホテルのレストランで朝食を済ませて8時45分に出発しました。

今日も雲ひとつ無い日本晴れです。

あらためて浦和宿の様子を見ましたが、特に本陣跡や脇本陣跡などの表示なども無く、宿場を感じさせるものが何一つ無いので失望しました。

その後、ただただ商店街らしきところを通り、単調な歩きです。

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写真はクリックすると拡大されます。

1時間ほど歩くと「さいたま新都心駅」に着きました。

このあたりから見た浅間山の景色を英泉(渓斎英泉)が浦和宿の風景として浮世絵に描いていますが、今は大きな建物が建っていて、何も見えません。歩道橋の上からも見てみましたが、浅間山らしきものは見えませんでした。

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このあたりは新都心というだけあって、大きな建物が建ち並んでいます。中でもスーパーアリーナという競技場やテレビ塔などひときわ目を引きます。

いかにも近未来都市といった風景です。

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10時過ぎに氷川神社の参道入り口の「一の鳥居」が見えてきました。

古中山道はこの参道を通っていたそうですが、江戸時代の途中から参道を歩くのは恐れ多いということで脇を通る道を作りそこに大宮の宿場ができたそうです。

大宮という地名もこの氷川神社という大きなお宮があるところからきたとのことです。

この大宮宿もまた浦和と同じく、本陣、脇本陣跡などの表示がなく、昔を偲ぶよすがもありません。

このような歴史的文化遺産を残したり保存したり説明板を作ったりするのは各自治体の教育委員会の仕事ですが、自治体によってその熱意に大きな差があります。

この辺りの教育委員会もあまり力を注いでいないように見受けられます。

Conv0047 その後、賑やかな大宮駅前の商店街を通り過ぎ、氷川神社の本殿の近くに差し掛かりました。

せっかくですので、ちょっと遠回りをして本殿に初詣をしようと立ち寄りました。

さすがに大宮の氏神様だけあって、正月も3日だと言うのに大勢の人が参拝にきています。

私も行列に並んで旅の安全を祈りました。

1時過ぎに上尾宿の手前まで来ました。

朝ホテルを発ってから一度も休憩をしていませんので、この辺りで昼食がてらに休むことにしました。

Conv0053 大きな和食のファミリーレストランに立ち寄り、「へぎ蕎麦+ミニ天丼」を注文しました。

量が多くて全部は食べきれず一部残してそこを後にしました。

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しばらくすると、右側に加茂神社が見えてきました。ここは英泉が描いた上尾宿の絵の中にある神社です。

いかにも街道沿いの神社というような小さなひなびた神社ですが、江戸の昔が偲ばれる風情のある社でした。

ここでもお参りをしましたが、今年は4つも5つも神社を「はしご」でお参りしたので、あまりご利益がないかもしれません。

2時ごろ上尾駅前を通り過ぎました。駅は工事中でしたが、思った以上に駅前は賑わっていました。

3時過ぎに桶川宿に着きました。

桶川は江戸時代には口紅などの原料となった紅花の産地として有名だったところです。

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「武村旅館」という昔からの旅籠の趣を残した宿がありました。

この旅籠は皇女和宮が桶川宿を通ったときにも営業していたと説明板に書いてありました。

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その他にもこの宿場町には三階建ての蔵作りの建物があったり、本陣跡がちゃんと残っていたりして、古き宿場の情緒を感じることができました。

   

   街道の小さき町もみな新春

しばらく桶川宿の中をぶらぶらと歩いた後、今日は無理して鴻巣(こうのす)まで行かず、ここでゴールにすることに決め、桶川駅から電車に乗って我が家へ戻りました。

今日の歩数は36792歩でした。

次は桶川宿からスタートして、はたしてどこまで歩くことができるでしょうか。

桶川から熊谷まで 2月1日

桶川宿 (おけがわ)

 ↓  7.2 ㎞

鴻巣宿 (こうのす)

 ↓  16.4 ㎞

熊谷宿 (くまがや)  合計 23.6 ㎞

           日本橋から総計 64.4 ㎞

まだ朝日が昇る前に家を出て、今日の出発地点の桶川駅に8時20分ごろ着きました。約1か月ぶりの中山道歩きです。

駅の立ち食いソバやで「きつねうどん」で腹ごしらえをしてから出発しました。

駅から商店街を抜けて中山道の通りに出ました。

お天気は雲ひとつない日本晴れですが、冷たい北風が吹いていて身を切るような寒さです。

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15分ほど歩くと「中山道宿場館」に着きました。前回もここに立ち寄ったのですが、1月3日でしたのでお正月休みで閉館になっており、見ることができなかったのです。

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今日もまだ閉まっていて、入口には9時開館と書いてあります。

あと15分足らずなので、そこでストレッチでもしながら待つことにしました。

9時ちょうどに自転車に乗った中年(高年?)の女性が「おはようございま~す!」とびっくりするような元気な声で現れました。そして鍵を開けてくれて「お待たせしました。どうぞ、どうぞお入りください!」と招き入れてくれました。

そして、一人だけの客の私にいろいろと懇切丁寧に案内をしてくれました。

おかげで中山道や桶川宿に関していろいろな知識を得ることができました。

あまりゆっくりもしていられないので、「それではこれで失礼します。ありがとうございました。」と言うと、地図やパンフレットをはじめ桶川周辺で昔から栽培されていた名産品の紅花の種をたくさんくれました。口紅の材料として昔は貴重品だったそうです。

とても明るくて感じの良い女性でしたので、一日の始まりが気持ちよくスタートしたような気持になりました。

そこから中山道は商店街を北に向かって歩くことになります。背中からは朝日が射しているのですが、肌を刺すような北風が正面から容赦なく吹き付けきて体温を奪われるような感覚です。

こんなこともあろうかと念のために持ってきていた冬山用の耳カバーの付いた帽子をかぶり、同じく冬山用の手袋を着けました。そして首にはしっかりとマフラーを巻いて歩きました。これで北風の中でも元気に歩けそうです。

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桶川を描いた浮世絵が書かれたと思われるところまで来ましたが、そこは今は大きなショッピングセンターになっていて、昔の面影は全くありません。

1時間半ほど歩いたところで、ますます強くなった北風に顔が痛くなり、鼻水が垂れて仕方がないので、ちょうど街道沿いにあった「珈琲館」に入り、温かいコーヒーを飲んで体を温めました。

しばらくして鴻巣宿に入りました。この土地は江戸時代から人形づくりの町として有名だったところです。特にひな人形は江戸でも人気があり、評判が高かったそうです。

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今も街道沿いにも何軒も大きな人形店があり、ショーウィンドウにいろいろな人形が飾られていました。

鴻巣宿を後にして、熊谷宿に向かって歩き始めると、東京を出発してずっと交通量の多い国道沿いであった中山道が、急に田んぼや畑に挟まれた本来の街道らしい雰囲気になってきました。

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しかし、気がつくとコンビニも何もありません。さっきからトイレにも行きたいのですが、まったくできそうなところがありません。膀胱が痛くなるのをがまんして歩き続けました。

相当歩いてやっと一軒のコンビニが現れ、そこでやっとの思いで用を足しました。

再びよい調子で歩き始めましたが、その後は民家の並ぶ道がどこまでも続き、今度はお昼を食べるお店が見当たりません。もう時間は2時をとっくに過ぎているのですが、それらしいお店がないのです。

ここからが悲劇の始まりでした。

中山道は地蔵堂を過ぎたあたりから荒川の土手(熊谷堤)の上を歩くコースになりました。

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夏なら川風が吹き抜けて気持ちの良いところなのでしょうが、今は何の遮蔽物もない土手上の道に冷たい北風がビュービューと音を立てて吹き付けています。

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吹き倒されそうになりながらも、前かがみになって風に対抗しながら歩き続けました。

しかし、強い風に空気中の埃が吹き飛ばされたからでしょうか、空気は澄んでいてはるか遠くまで見通せます。

左手にははるか富士山がそびえています。そして正面には雪をかぶって真っ白な浅間山、右手には榛名山や赤城山などがはっきりと望めます。

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(この浅間山がその日の夜に爆発しようとは想像もしませんでした。)

その土手道は約1時間ほど続いたでしょうか、寒さももちろんですが、食べ物がないことが困りました。

いつもは非常食をリュックに入れておくのですが、事前の調べが甘く、町中の道を歩くのだから持っていかなくても大丈夫だろうと思っていたのが失敗でした。

結局4時過ぎに熊谷の町に近づくまで、朝8時半に「きつねうどん」を食べてから何も食べずに歩き続けました。

熊谷の町に入り、中山道の地図を見ると、「銀座1丁目」の信号を左に曲がると熊谷宿と書いてあります。

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なるほど、ありました! 「銀座1丁目」  感動です?

熊谷駅前に着くと、体が冷え切っていることに気がつきました。

本当はここで1泊して、明日も続きを歩くつもりでしたが、何か温かいものを食べて今日はもうここから帰ろうと、気が変わりました。

駅前の居酒屋に入り、「熱燗一丁!」と叫ぶつもりでしたが、気がつくとのどもカラカラに乾いていることを忘れていました。寒かったのであまり飲み物を飲んでいなかったのです。

「生ビールくださ~い!」と頼んで、飲んだビールの美味しいこと、美味しいこと、冷え切った体にビンビンに冷えたビールが何故美味しいのか不思議でした。

たぶん、体が軽い脱水症状になっていたのかも知れません。

そのあとは、ヒラメとイトヨリの刺身、そして揚げ出し豆腐などをつまみに熱燗を飲み、その上、芋焼酎のお湯割りを飲んで、汗ばむほど体が温まったところで熊谷駅から電車に乗って我が家に帰りました。

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この日の総歩数は42,360歩でした。

中山道中断のお知らせ

中山道の旅は熊谷まで行って、残りを歩くことを楽しみにしていたのですが、ここで中断せざるを得なくなりました・・・

実はもう何か月も前から、歩き始めて20分ぐらいすると右脚が痛みを伴ったしびれを生じ、転びそうになったり、座りこまざるを得なくなったりしていたのです。

しかし、1時間以上歩くと痛みもしびれも感じなくなり、あとは何時間でも歩くことができたので、この調子だと中山道踏破も大丈夫だなと思っていました。

ところが普段通勤の帰りに歩いていても、しびれや痛みが襲ってくるので、整形外科に行って診てもらったところ、「坐骨神経痛」「筋・筋膜性腰痛」だという診断でした

医者の話では、「とにかく歩いてはいけない!」「散歩程度でも歩かない方が良い」とのことです。

中山道を歩いている話をしたら、それは無謀であり、すぐにやめるべきだと言い渡されました。

東海道五十三次を踏破し、中山道に挑戦し始めたばかりの私には大きなショックで、しばらく落ち込んでいました。

しかし、水中歩行と水泳は坐骨神経痛のリハビリのためには良い、とのことですので、早速スポーツジムに入会して、水中ウォーキングと泳ぎを始めました。

今後何か月かかるか分かりませんが、リハビリに励み、早く病気を治して再び中山道に挑戦したいと思っています

そのような訳で、しばらくこのブログもお休みしますが、また復活した暁にはブログも再開しますので、その節はぜひまた覗いてみてください。

よろしくお願いします。

症状は深刻に・・・しかし・・

前回、中山道の旅の中断について書きましたが、その後症状が一向に好転しないので、大きな病院で精密検査をしてもらいました。

MRIで調べてもらった結果、「腰部脊柱管狭窄症」との診断でした。そして、相当な重症なので手術をしなければ治らないだろうと言われました。

そこで脊椎関係の手術では有名な国立M病院へ行き、再度診てもらった上で4月20~21日に一泊二日の検査入院をしました。

その結果いつ手術をするかは5月になってから分かるようです。

話はちょっと変わって、この「腰部脊柱管狭窄症」という病気は数百メートルも歩くと脚がしびれて痛くなり座り込んでしまうほどなのですが、不思議なことに自転車に乗るのは全く支障がなく、どれだけでも走れてしまうのです。

そこで、邪道であることは承知の上で、「自転車で中山道を走ってみようか・・」という気持ちが湧いてきました。

思い立つと気が早い私は早速ドイツのメーカーの折りたたみ自転車「BD-1」を購入しました。

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これで中山道の出発地点まで、折りたたんだ自転車を電車で運び、そこからその回の目的地まで自転車で旅をして、再び折りたたんで電車で帰ってくるという算段です。

自転車が来た4月の初めから、体を自転車に慣らすために、毎日のように走っています。

主に我が家からすぐ近くに流れている多摩川沿いのサイクリングロードを走っていますが、少しずつ走行距離を伸ばしながら、先日は我が家から多摩川の河口の羽田空港までの約60キロを走ってきました。

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もちろん帰りは折りたたんで電車で帰ってきました。

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4月26日の今日現在、もう中山道まで出かける準備は万端なのですが、ちょっと心に引っかかるものがあるのです。

「やはり中山道は歩いてこそ旅をする価値がある。」「自転車で走るのは邪道だ。」

という自分の旅へのこだわりの気持がムクムクと湧き出してきたのです。

しかし、その一方、「昔の旅人は歩く人だけではなく、駕籠や馬で旅をした人もいるのだからいいじゃないか。」という気持ちもあって、葛藤を生じているところです。

今のところまだ中山道には出かけていませんが、とりあえず自転車で走ることのできる区間だけをひとまず走っておいて、病気が治ってまた歩けるようになったら、同じ区間をもう一度歩きなおそうかな、とも考えています。

これだけ病気にさいなまれながらも私を惹きつける「街道歩き」とはいったい何なのでしょうね・・。

過去や現在に街道歩きをなさっている同士の方々にはこの気持ちは分かっていただけると思いますが・・。

中山道を歩いてきました。

中山道を気持ちよく幸せな気分で歩いてきました。

と言っても昨晩の夢の中の話です。

緑にあふれた中山道を気持ちよく歩いている夢でした。

「ああ、すっかり体も元気になって、また元通り歩けるようになってよかったなあ」

と思いながら歩いていました。

目が覚めて、手術が来月であることを再認識しました。

6月22日に入院して25日に手術を受けることになっています。

歩くことができるようになるのは手術後リハビリを続けてしばらくしてからですから、おそらく早くても9月が10月になるでしょう。

しかし、歩くには秋は最適ですから、そのころから中山道の秋を楽しみながら旅を再開したいと思っています

今は手術が待ち遠しくて、早く受けて元気になりたい気持ちでいっぱいです。

入院中は「入院日記」をブログで書こうかな、とも思っています。

手術が無事終わりました。

長らくご無沙汰しました。

6月23日に入院して26日に無事手術が終わりました。

今日(7月7日)はまだ病院ですが、病室でPCに向かっています。

手術後3日目に調子に乗って病院の廊下を歩き回ったところ、踵の骨を痛めたらしく(微細な骨折)4日目からその痛みで再び歩けなくなってしまいました。

その痛みがとれるまでしばらくかかりましたが、昨日からまた歩くことができるようになりました。

この調子だと7月10日に退院できそうです。

主治医の話では退院後1カ月はまだあまり歩かずに寝たり起きたりの生活をしてください、とのこと。

そしてその後3~6か月はコルセットを着けて生活してください、とのことですので、9月か10月に中山道歩きに復帰との私の野望は不可能になりました。

再び中山道を元気に歩くことができるのは来年の春以降になりそうです。

それまでは毎日少しずつ歩く距離を伸ばしていって、完璧に歩くことのできる体作りに専念したいと思います。

なんだか間の抜けたブログになってしまい、お読みいただいていた方々には申し訳ありませんが、また再起するまでどうぞ気長にお待ちいただければ幸いです。

病室の窓からは梅雨の合間の晴れた青空が見えています。

中山道のさわやかに晴れた空を見上げながら早く歩きたいものです。

中山道復活! 熊谷→深谷 10月10日

熊谷宿(くまがや)

  ↓    約10.8キロ

深谷宿(ふかや)

       日本橋から75.2キロ

7月10日に退院してからちょうど3か月の今日、約8か月ぶりに中山道歩きを再スタートしました。

退院してから毎日毎日リハビリのために1~2時間を歩いていましたが、やっと長時間歩く自信が戻ってきましたので、再開したわけです。

朝6時半に家を出て今日の出発地点の熊谷駅に9時前に着きました。前回ここに着いたのは2月1日でしたが、駅前の様子はほとんど覚えていませんでした。

今日は駅前広場にある熊谷次郎直実の銅像の写真を撮りました。

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  写真はクリックすると拡大されます。

熊谷直実は平安末期から鎌倉前期にかけて活躍した武将で熊谷の英雄的存在のようですが、私にとってはこの像を作ったのが長崎市の平和祈念像を作った北村西望であることが親しみを感じさせます。

その後、駅前のコーヒーショップでモーニングコーヒーを飲んでから出発しました。

今日は手術後初めての街道歩きですのでゆっくりしたスピードでのんびり歩き始めました。

しばらく歩くと右手に鳥居の立つ参道が見えてきました。参道を入っていくとその奥が高城(たかぎ)神社です。熊谷直実の氏神だったそうです。

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神社に着くと、ちょうど結婚式の行列が通るところでした。

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静かな田舎の神社で親族がそろって行列を作って歩く姿はとても清らかでほのぼのとしたよい雰囲気でした。

そこから街道をもう少し歩いたところに本陣跡の石碑がありました。昔大名や高貴な人などを泊めた宿の跡ですが、戦火で焼け落ちて今は小さな石碑だけがちょこんと残っています。

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戦火と言えば、ここ熊谷は昭和20年8月15日の終戦の日の前夜にB29の爆撃を受けて市街の7割が焼失したのでした。

この熊谷の本陣は部屋数が47もあり、日本でも1、2番目に大きな規模の本陣だっただけに焼失したことが本当に惜しまれます。

今朝はまたあらためて戦争の無意味さや罪深さを感じました。

そこから街道の反対側に渡ると「八木橋デパート」がありました。このデパートは店内を旧中山道が通っていることで有名です。

ちょうど開店時間でしたので私も店内に入り、化粧品などの並ぶ旧中山道を通りぬけました。

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11時少し前「新島の一里塚」にさしかかりました。樹齢300年と言われるケヤキの大木がそびえる立派な一里塚です。

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根元のところに座り、今日初めての小休止をとりました。家から持ってきた「抹茶羊羹」を食べながらお茶を飲みましたが、疲れた体を甘い羊羹が癒してくれました。

そこから先は国道からはずれて旧街道になりました。田んぼの稲が黄金色に色づきいかにも街道らしい風情が感じられます。

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また、どこの家の庭先にも金木犀の花が満開で、歩いているとどこまでも心地よい香りがついてくるようです。

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また柿の木も美しく色づいた実をつけ、あちこちの庭先から顔をのぞかせています。

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11時半ごろお腹がすいてきたので街道脇の蕎麦屋に入りました。「天ぷらざるそば」を食べましたが、蕎麦もさることながら天ぷらが思った以上に美味しくて満足しました。

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このころから日差しが強くなり、街道の日陰を選んで歩くようになりました。

1時50分深谷宿に到着しました。

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ここは本陣のあったところは今は印刷所の建物になっていました。中には殿さまなどが休まれた上段の間が残っているそうですが、一般には公開されていませんでした。

今日は本当はここから引き続き「本庄宿」まで歩きたかったのですが、手術後初めての街道歩きですので無理をせず、ここでゴールにすることにしました。

そこから街道を左に折れて深谷駅に向かいました。

噂には聞いていましたが、驚くほど立派なレンガ造りの美しい駅舎です。

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深谷市は郷土の偉人である渋沢栄一らの設立による日本初の機械式レンガ工場で有名だったところで、東京駅や旧迎賓館をはじめ多くの有名な建物がここのレンガで造られたそうです。

駅は立派なのですが、東京方面行きの電車が1時間に2本しか走っておらず、駅のベンチで30分ほど居眠りをしながら電車を待ちました。

東京駅経由で自宅に帰りついたのは夕方の7時近くでした。

今日一日で歩いた歩数は28、096歩でした。

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心配した腰痛も足のしびれもなく、心地よい疲れを感じた一日でした。

深谷から本庄まで 10月17日

深谷宿(ふかや)

 ↓   10.5キロ

本庄宿(ほんじょう)

      日本橋から85.7キロ

先週に続いて早朝の電車で今日の出発点の深谷駅に向かいました。

深谷駅前の渋沢栄一の像のある広場でストレッチをした後、9時35分に歩き始めました。

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深谷宿は東西1.7キロの間に本陣を始め旅籠が立ち並び遊郭もある大きな宿場だったそうですが、西の出口を示す常夜灯が残っていました。

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そこを過ぎて間もなく中山道は国道17号線と重なり、見るべきものもない工事中の道路を延々と歩くことになりました。

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その途中に岡部という土地を通り過ぎましたが、ここはかつては関東一の漬物の産地だったそうです。

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そう言われてみると今は崩れかけて瓦が落ちそうになった古い家が何軒もありましたが、その中には大きな漬物樽らしきものが見られました。

出発してから1時間半ほどで島護産泰神社という古い社がありましたので、そこで初めての小休止をとりました。

この神社は安産の神様で、皇女和宮和宮も江戸に降嫁する途中立ち寄って参拝したそうです。

神社の石の上に座り、お腹がすいていたので、ザックに入れておいたSOYJOYを取り出してかじりながらお茶を飲みました。

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11時を過ぎたところで豊見坂にさしかかりました。

ここは昔の中山道がそのまま残っているような風情のある坂道で、ゆるやかにカーブした坂道の途中にたくさんの庚申塔(こうしんとう)が立ち並んでいました。昔の人たちの信仰心の強さがうかがわれます。

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その後急に田園地帯が広がり、両側の黄金色に色づいた田んぼでは稲刈りの最中でした。

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やがて小山川にかかる滝岡橋を渡りました。昔はここは橋がなくて江戸時代は徒歩で渡っていたそうです。

今は水量も少ない幅のせまい川ですが、両岸にしっかりとした堤防が築いてあるということは昔はもっと大きな川だったのでしょう。

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出発して2時間以上になりましたが、いままで1軒もコンビニがなく、トイレらしきところもありません。尿意を催してきましたが、そのまま歩き続けました。

深谷といえば「深谷ネギ」と思い出すほど有名ですが、その名の通りやはりこのあたりはネギ畑が多く、広い畑にどこまでもネギが植えられています。

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そのあとはしばらく静かな街道が続きました。両側の家の柿の木や真っ赤に色づいたカラスウリや金木犀の香りを楽しみながら歩きました。

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12時半、深谷駅を出発してから初めてのコンビニを見つけました。やっとのことでトイレをすませ、ホッと一息つきました。

1時少し過ぎに「本庄宿(ほんじょうしゅく)」に着きました。ここで昼食をとってから次の宿場の「新町宿」に向かおうと思っていましたが、腰が少し重く感じられるようになりましたので、手術後まだ数か月だということを考えて、無理をせず今日はここでゴールにすることにしました。

それに今晩は飲み会の約束もあるので、6時までには東京の我が家に帰らなければならないのです。

それにしてもまだ1時少し過ぎですので、昼食の前に本庄市の歴史民俗資料館を見学することにしました。

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ここは明治16年に警察署として建設された本庄宿では初めての本格的な洋風建造物です。

昔の人はさぞ驚いたことだろうと思われるようなモダンな造りの建物で、昭和47年には埼玉県指定文化財にしていされ、今はレトロな歴史民俗資料館に生まれ変わっています。

中には本庄宿の歴史的な写真やこのあたりで発掘された古墳時代の大きな埴輪などが展示してあり、なかなか興味深い資料館でした。

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中には本庄で発明された世界で初の自転車(陸舟車)というものが展示してあり、そのユーモラスな形に微笑んでしまいました。

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1時間近くもゆっくり見学した後、本庄駅に向かい、駅の近くの中華食堂でエビチリ定食を美味しくいただいてから電車に乗り、新宿経由で我が家に帰ってきました。

今日の総歩数は26054歩でした。早く以前のように5万歩近く歩けるようになりたいです。

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本庄から高崎まで 10月24日

本庄宿(ほんじょう)

 ↓    7.9キロ

新町宿(しんまち)

 ↓    5.9キロ

倉賀野宿(くらがの)

 ↓    6.0キロ

高崎宿(たかさき)     今日の合計19.8キロ

       日本橋から総計 105.5キロ

先週のゴール地点の本庄駅を9時半に出発して中山道を歩き始めました。

今日は曇っていて風も冷たく、長袖のシャツを着ていても寒さを感じます。

少し歩くと左手にひときわ目を引く赤レンガのレトロな建物が見えてきました。

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この建物は明治27年に本庄商業銀行として建てられたものですが、昭和51年に買い取られて現在のローヤル洋菓子店になったそうです。

さらに進むとコスモスに囲まれた小高い丘と鳥居が現われました。

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これは「浅間山(せんげんやま)古墳」という直径38メートルの円墳です。このあたりに多く存在する古墳の中の一つだそうで、紀元7~8世紀につくられたもののようです。

11時半、歩き始めて2時間になったので金久保八幡神社の境内で小休止をとりました。一口羊羹でお茶を飲み、5分間ほど休んで再び歩き始めました。

歩き始めてすぐに右手の道から直角に走ってきた車が停まったので、手を挙げて頭を下げて道を渡ろうとしたとき、車の中から「中山道の旅ですか?」と呼びかけられました。

「そうです!」と答えると車からちょっと派手な服装をしたおじさんが降りてきて、「じゃあ、ちょっといいものがありますから…」と言って、車のトランクから何かを取り出しました。

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「これは私がかかわって作った中山道の案内パンフレットです。ここから先の峠道は迷いやすいので、旅をする人に分かりやすく役に立つものをと考えて、7年間調査を重ねて作ったんですよ。」

と、3部に分かれた「旧道日和」と名づけられたパンフレットをくださいました。

中を開いてみると、なるほど分かりやすい地図や写真や街道の情報などが実に詳しく掲載されています。今までにこれほど旅人の気持ちになって親切に作られた案内書を私は見たことがありません。

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彼は本当に中山道を愛している人のようで、二人でひとしきり中山道や東海道の話をして盛り上がりました。

それにしても人との出会いとは不思議なものです。もし私がさっきの神社で5分間休憩していなかったら、私は先に道路を渡っていて彼とは出会うことができなかったのですから…。

これから先の峠道の旅にこの案内パンフレットを大いに活用させてもらおうと思います。

12時ちょっと過ぎに神流川(かんながわ)にさしかかりました。この川が昔の「武蔵の國」と「上野の國」の国境になっていました。現在は埼玉県と群馬県との県境です。

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今は川の水は少なく14,5メートルですが、昔は雨などで増水すると渡し船で渡らなければならないほどの川幅になっていたようです。

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日本橋から歩き始めて埼玉県を横切ってきたこの旅もいよいよ群馬県に入りました。

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12時半、「新町宿」に入りました。お腹がすいてきたので街道から少し入ったところで見つけた昔風の蕎麦屋に入りました。

靴を脱いで上がり、縁側のガラス戸越しに美しい庭を眺めることのできる部屋に通されました。

「天ぷらざるそば」を頼むと、蕎麦は石臼で挽いた少し細めのもの、天ぷらは「むかご」「ぎんなん」「いちじく」「かぼちゃ」「海老」などと一流の天ぷら屋にも負けない凝ったものが出てきました。

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その後、弁天橋のかかる新町河原というところにさしかかりました。ここには看板があって、その説明ではお天気の良い日には谷川岳、草津白根山、榛名富士、浅間山、荒船山などなど多くの名山が見渡せるそうです。今日はあいにく曇っていて山は全然見ることができません。

2時ごろ関越道の下を通るガードをくぐりました。そこをくぐりぬけると視界は大きく広がり、烏川の河川敷が一面に見える道に出ました。

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ここは高崎伊勢崎サイクリングロードになっており、中山道はしばらく気持ちのよい土手道の上を歩くことになりました。

そこから1キロぐらい歩くと烏川にかかる柳瀬橋に出ました。300メートルほどある長い橋です。

昔はここに渡し場があり、旅人は船で渡っていたそうです。

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柳瀬橋を渡り始めてすぐに自転車に乗った80歳をとっくに過ぎたぐらいのおじいさんが向こうからやってきて、話しかけてきました。そしてこのあたりの歴史についていろいろと説明をしてくれました。

話はとても面白く、興味がありましたが話が延々と続き30~40分たっても終わらないので「あの~旅はまだ先がありますので…」と丁寧に話をさえぎり、手を振って別れました。

橋を渡ると倉賀野宿(くらがのしゅく)に入りました。

しばらく行くと、中山道と日光街道の追分(街道が分かれるところ)がありました。江戸時代に朝廷から派遣されて日光東照宮に向かう例幣使(れいへいし)が中山道を京都から来てここから日光に向かったそうです。

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そこから倉賀野の街をしばらく歩くと左手に1軒の蔵造りのお店らしきものがありました。古い蔵を改造してつくったお店のようです。

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「蔵人」という小さな看板があります。無性にコーヒーを飲みたい気分でしたので、ふらりと中に入ってみました。

するとびっくり

まるで異空間に紛れ込んだような不思議な感覚です。

店内にはオスカーピーターソンのジャズピアノが流れ、白いひげに白いハンチングをかぶったマスターらしき人が「ようこそ、旅の方ですね。」と出迎えてくれました。

店内には入口に4,5人掛けのカウンターがあり、奥には骨とう品や趣味のよい本などが並べられた応接間のような部屋があります。

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お客さんたちは常連の人たちらしく、コーヒーを飲みながらジャズに聴き入ったり本を読んだりしてゆったりと過ごしているようでした。

しばらくは落ち着かず、キョロキョロと店内を見回したり、白洲正子の本をペラペラとめくったりしていましたが、目の前に座っていた白ひげの老紳士が「東京からいらしたのですか? 中山道の旅ですか?」と話しかけてくれたことをきっかけに店中のお客さんたちが話しかけてくれました。

ここのマスターはNHK学園のジャズの講座の講師もしていて、どうやらお客さんのほとんどはその受講生らしいことが分かりました。

私もジャズ大好き人間ですので、それからマスターを中心にみんなのジャズ談義に加わらせていただきました。

あっという間に小一時間が過ぎ去りました。まだまだここにいて心地よい雰囲気に浸っていたかったのですが、今日は暗くなる前に「高崎宿」までどうしても行き着きたかったので、みなさんとの別れを惜しみながらその店を辞しました。

店を出た後、みんなで記念写真を撮らなかったことを後悔しました。

当初の予定では、今日はこの「倉賀野」で切り上げて東京の自宅に帰るつもりだったのですが、「新町」で休憩しているときに、mixiのマイミクのAさんから「高崎のお団子屋さんにぜひ立ち寄ってみてください。」との連絡が入りましたので、暗くなる前にぜひ高崎まで歩いてそのお団子を食べてみたかったのです。

5時までに着かなければお団子屋さんは閉まってしまうだろうと思って、少し急ぎ足で夕暮れの道を進みました。

美味しいコーヒーを飲んで俄然元気が出たので足取り軽く1時間ほど歩き、5時少し前にお団子屋さんに着きました。

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なるほどいろいろな美味しそうなお団子が並んでいます。

「すみません。1本でもいいですか?」と遠慮がちに聞くと、お店の奥さんが「もちろん結構ですよ。」「お茶をいれますからそこにお座りください。」と笑顔で招き入れてくれました。

とても美味しいお茶と団子にホッとした気分になりました。

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その後、お店の奥からおばさんやお姉さんなど白い上っ張りを着た人たちがみんな出てきて、中山道の旅のことをいろいろとたずねたり、高崎のことをいろいろと話してくれたりしました。

みなさんに手を振って送ってもらい、幸せな気分で夕暮れの道を高崎駅を目指して残り2キロを歩きました。

すっかり暗くなってから高崎駅に着きました。

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駅ビルの中の寿司屋でお刺身をつまみに熱燗を一杯飲んでから電車に乗り自宅を目指しました。

我が家に着いたのは9時過ぎでした。今日の総歩行数は39502歩でした。

4万歩近く歩いたのは手術後初めてのことでしたが、腰の痛みも足の痛みもなく、家に帰っても幸福感で一杯でした。

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高崎から松井田まで 11月5日

高崎宿(たかさき)

  ↓    7.2キロ

板鼻宿(いたはな)

  ↓    3.3キロ

安中宿(あんなか)

  ↓    9.6キロ

松井田宿(まついだ)  今日の合計 20.1キロ

          日本橋からの総計 125.6キロ

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朝日が昇るころ我が家を出発して前回のゴール地点の高崎駅へ向かいました。

9時前に高崎に着いて、駅のホームの立ち食い蕎麦屋で「きつねうどん」を朝食がわりに食べ、その後駅前の広場でストレッチをしてから9時20分に歩き始めました。

前回は夜に高崎駅に着いて何も見えなかったのですが、今日は雲一つない日本晴れです。歩くのには最高のコンディションです。

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出発してすぐに中山道から少し外れて高崎城址を見学した後、すぐにまた旧街道に戻りました。

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やはり城下町だけあって街道沿いには古い商家などがまだ残っています。

Conv0005 古い商家とは対照的に、おもしろい店名の飲み屋さんがありました。「明るい負け組み」です。

これが朝ではなく夜のネオンの灯るころであれば入りたくなっていたかもしれません。

しばらく歩き、常磐町の角を曲がったところに「山田文庫」と目立たない看板のある大きな家がありました。昔の旧家を利用して市民のための図書館にしたものです。

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中は部屋数がたくさんあり、それぞれの部屋に項目別にいろいろな蔵書が並べてありました。

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庭には離れになった茶室もあり、ご主人がわざわざ雨戸を開けて中を案内してくださいました。そこで奥さんのいれてくださった美味しいお茶をご馳走になり、しばらくお話をした後、そこを後にしました。

10時半ごろ烏川にかかる「君が代橋」にさしかかりました。この橋は元々は粗末な木の橋だったそうですが、明治11年に明治天皇がここを通ることになり、そのために国費で立派な橋に架け替えたそうです。それを機に「君が代橋」と銘銘されたました。

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君が代斉唱が教育現場でさんざん問題になったときに、時の偉い人が「君が代」とは「天皇の世の中」ということではない、「君たちの世の中」という意味だなどと苦しい言い訳をしていましたが、その人をここに連れてきて案内板を読ませたら何と言うのでしょうね。

君が代橋の上からは周りを見渡すことができ、浅間山をはじめ、妙義山、荒船山、赤城山などが一望できました。

橋を渡ってしばらく歩くと豊岡町に入りました。昔は豊岡村だったところで日本一のだるまの生産地です。

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街道筋で赤いだるまが目に飛び込んできました。だるま製作の真っ最中でしたが、ちょっとお邪魔して写真を撮らせていただきました。ご主人は口数の少ない根っからの職人肌の人でしたが、奥さんが物柔らかな感じの人でいろいろと話してくださいました。

そこから少し先にまた別のだるま工房がありました。ここはまだ若いご主人が一人でだるまの顔を描いていました。

なかなかイケメンの若主人で、さわやかな笑顔でいろいろとだるまの話をしてくれたり、パンフレットなどを出してきてくださったりしました。

そして「一枚記念写真を撮りましょうか?」と言ってシャッターを押してくれました。

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このあたりは全国のだるまの8割を生産しているそうで、昔は100軒以上のだるま工房があったそうですが、今は後継者がだんだんいなくなり、50軒ほどになっているそうです。

そこからしばらくは旧街道の面影を残すのどかな街道を歩きました。

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途中の道からは、うっすらと雪化粧をした浅間山が正面に見えています。

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川向こうの少林山達磨寺に渡る橋は欄干にもだるまさんがあって思わず微笑みたくなりました。

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その後、街道は板鼻宿を経て安中宿へと向かいます。このあたりも道端に道祖神やお地蔵さん、庚申搭などが点在していて、「昔の旅人も頭を下げながら通り過ぎたのだろうな」などと想像しながらのんびりと歩を進めました。

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2時ごろ安中宿の街道を少しはずれた坂の上にある「旧安中藩武家長屋」に立ち寄りました。江戸時代の武士の生活が感じられてなかなか興味深い建物です。

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Conv0061  安中の宿はずれには杉並木が残っていました。昔は700本余りの杉が並んでいて日光の杉並木にも比較されるほどであったそうですが、今は大きな杉は10数本が残るだけでちょっと残念な気がします。

安中宿から松井田宿に向かう途中で、だんだん日が傾いてきました。

このあたりはどこを歩いていても正面に妙義山の荒々しい山容が目に入ります。

夕焼けをバックにして何とも言えないほどの見事な景色です。

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5時半をすぎてほぼ真っ暗になったころ松井田宿に入りました。今日はここでゴールですが、松井田には宿らしいところがないので、電車に乗って一駅分もどり、さっき通り過ぎた磯部温泉に宿をとり泊まることにしました。

一人旅の人はあまり泊めたがらない宿が多いのですが、「磯部館」という比較的大きなこの宿は気持ちよく泊めてくれました。

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ただしもう6時を過ぎていましたので、この時間からは夕食は頼むことができず、近くの小さな居酒屋に入り、つまみらしきものを食べながら一杯飲んで夕食代わりにしました。

そしてその後、貸切同然の大浴場で大の字になって体を温めた後、早めに寝ました。

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今日の総歩数は43,310歩でした。あちこち寄り道をしながら歩いたので、歩数計によると実際の歩行距離は29キロでした。

松井田宿から坂本宿まで 11月6日

松井田宿(まついだ)

  ↓     9.5キロ

坂本宿(さかもと)

     日本橋から総計 135.1キロ

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7時に起床、その後ホテルの朝食をゆっくりと食べてから8時半に出発しました。

昨夕ゴールした松井田宿までタクシーで戻り、そこからのスタートです。

今日のゴール目的地は軽井沢です。

朝の松井田宿は清清しい空気に包まれています。

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古い街並みを眺めながらゆっくりと宿場を通り過ぎました。

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一軒の民家の前にカボチャが手押し車の上にのせておいてありました。こんな古い宿場町でハロウィーンということもないのでは、と思いましたが、ひょっとしたら日本にも昔からカボチャを飾る習慣があったのでしょうか??

松井田宿を出てしばらくは風情のある街道が続きます。

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しばらくすると「五料村」に入りました。江戸時代にはこの村はよそ者が江戸に向けて入り込まないように監視する役目をもった村だったそうです。

気のせいか一人で歩く私に厳しい視線が注がれているような錯覚を覚えましたが、この村に復元されている「五料の茶屋本陣跡」を訪れると、受付の女性がとても感じよく、「ここは有料なのですが、外からのぞくだけならお金は結構ですよ」とあたたかく迎えてくれました。

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そこを出てしばらく行くと、丸山坂という坂道に出ました。坂道の途中に「夜泣き地蔵」と呼ばれるお地蔵様が並び、その前に「茶釜石」という不思議な石がありました。

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Conv0095_3 この石はたたくと茶釜をたたくような金属音がするので、昔の旅人もみんなたたいて不思議に思いながら通り過ぎたそうです。

私もたたいてみましたが、なるほど中が空洞のような金属音がして不思議な気がしました。

そこから先はのどかな景色の田舎道が続き、写真に撮りたい被写体がたくさんありました。

説明抜きで写真を並べますのでご覧ください。

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そこからしばらく歩くと横川駅に着きました。「峠の釜飯」で有名なところです。

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まだお昼には少し早かったのですが、昨日お昼ご飯を食べるところを見つけることができずお腹をすかせて歩いた苦い経験がありましたので、今日は食べられるうちに食べておくことにしました。

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その後「碓氷(うすい)関所跡」を見た後「坂本宿」を目指して歩きました。

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1時少し過ぎに「坂本宿」に着きました。この宿場は1625年に完成した幕府による計画都市であったそうで、計画的に作られた家並みや用水路などのある大きな宿場町だったそうです。

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しかし、今はその面影もなく寂しい山の中の集落といった感じです。

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一軒一軒の家に屋号を記した木の看板がかけられているのが唯一昔の宿場の面影を残しています。

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今日はここから碓氷峠(うすいとうげ)を越えて軽井沢宿を目指す予定でしたが、時はすでに1時半。

これから峠道を歩くと途中の山道で日が暮れてしまうのではないか、と心配になりました。

それに手術後初めての1泊2日の旅で、腰や足にも少し疲れを感じるので、今回は無理をせずにここで切り上げて東京へ戻ることにしました。

近くにただ1軒開いていたお店の主人に「ここから横川駅まで戻りたいのですが、バス停はどこですか?」と聞くと、「バスはありませんよ」とのそっけない返事。

「じゃあ横川まではどうやって行けばいいのですか?」ときくと「歩くしかないですね~」とのまたまたそっけない返事。

横川から汗をかきながら坂道を登ってきたばかりなので、「歩いて戻るのはイヤだあ~!」と思っていたら、子どもをおんぶして買い物に来ていた若いお母さんが、「そうだ。この先の「峠の温泉」に行くと、そこから送迎バスが出てるかも…」とのこと。

迷わずその温泉に向かいました。

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「こんな山の中に!」と思うほど立派な温泉施設です。

受付の女性に「ここから横川までの送迎バスに乗りたいのですが…」と聞くと、「本当は温泉利用者用なんですが、今日は空いているので温泉に入らなくてもお乗りになっていいですよ~」とやさしく答えてくれました。

それが気に入って、「温泉大人一枚!」と入湯券を買って、ゆっくりと温泉につかり体を休め、おまけに風呂上りに冷たい生ビールをグーッと一杯やってから横川行きのバスに乗りました。

そこから鈍行電車を乗り継いで我が家に帰りました。

Conv0134_2  今日は予定の半分で切り上げたので、1日の総歩数は20288歩と少なめでした。

しかし、無理をせず「坂本宿」で切り上げたのは正解だったと思います。

碓氷峠を越えて信州(長野県)に入るのは次回にしたいと思います。

坂本宿から軽井沢宿まで 11月14日

坂本宿(さかもと)

 ↓  11.6キロ

軽井沢宿(かるいさわ)

    日本橋から総計146.7キロ

  (ブログ更新が大幅に遅れましたが…)

我が家を早朝6時半に出て、青梅線→八高線→信越本線と鈍行列車を乗り継いで横川駅にたどり着きました。

Conv0144_3 信越本線はここで終点なので、そこからは土日だけ運行している観光用トロッコ電車に乗り坂本宿に向かいました。

坂本宿に着くまでに要した時間は我が家から約4時間、出発地点に戻って来るだけでも半日近くかかってしまいます。

10時40分、いよいよ碓氷峠を目指して坂本宿を出発です。

坂本宿は折りしも工事の真っ最中。

Photo この宿場は昔の絵を見ると、街道の真ん中に用水路が作られており、当時の水道の役目をしていることが分かります。

その用水路を復元するための工事のようですが、この宿場の昔の面影と特色を再現するという目的には大賛成! 完成したらまた訪れたいと思いながら坂道を登って碓氷峠の入り口を目指しました。

峠の入り口からいきなり杉林の中の細い山道になりました。

Conv0150 インターネットのサイトで知り合った中山道歩きの先輩から「碓氷峠を越えるときには登山用のストックと熊よけのベルを持っていったほうがよい」との忠告があったので、入り口でストックをリュックから取り出しました。

「熊よけのベル」はいつも山に登るときのために2個持っていたので、昨晩取り出そうとしたのですが、何故かどうしても見つかりませんでした。

仕方がないので、今日はベルなしで歩くことにしました。

道は思ったより急坂で、まるで山登りのようです。ストックが必要だということが良く分かりました。

道の途中に「安政遠足」の立て札があちこちにあります。

Conv0152 「あんせいえんそく?」と思うのですが実はこれは「あんせいとおあし」と読み、安中市のホームページによれば、

「この遠足の歴史は古く、江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉 勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里(28キロ)余りの中山道を徒歩競走をさせ、その着順を記録させたことがはじまりで、日本のマラソンの発祥です。

とのことです。

昔の人に負けないように一生懸命に歩いていると、突然景色の開けた場所に出ました。

「刎石の覗き(はねいしののぞき)」という場所です。

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ここからは先ほど出発した「坂本宿」の街並みが一望できて見事な眺めです。昔の旅人たちもこの眺めを見ながらここで一息ついたことでしょう。私もここで少しだけ休憩して、さらに歩き続けました。

12時30分ごろやっと急な登りが終わり、少しなだらかな尾根道に入りました。さきほど小休止をとった「刎石の覗き」では私以外に二組の男女に会いましたが、その後は誰一人出会う人なくここまで来ました。

ここで風が激しくなりましたが、道路の脇のくぼみで風を避けながら昼食をとることにしました。

Conv0169 出発前に買ってきた「ヤマザキのランチパック(やきそばサンド)」を食べましたが、とても美味しくて満足しました。

食べ終わってすぐにまた歩き始めましたが、道は相変わらず山道です。昔はもっと整備された街道だったのでしょうが、今は両側の林の木が侵食してきて道幅が人一人やっと通れるほどの細道になっています。

Conv0162_2 歩き始めてからあちこちで見かける「熊に注意!」の立て札を見る度にベルを持ってこなかったことが悔やまれます。

そのうち風がますます強くなりました。ゴーゴーと音を立てて吹く風の中を一人で恐々と歩き続けました。

3時ちょうど、峠の頂上の熊野神社に着きました。この熊野神社が群馬県と長野県の県境になっています。

Conv0184 茶屋に入って峠の名物の「力餅」を食べました。疲れた体に辛味大根が美味しく感じられ、疲れも吹き飛んでしまいました。

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近くの「見晴台」から関東平野、信州の山々、南北アルプスの山々などの見事な景色を堪能した後、下りの道は車道を避けて林の中をくねくねと続く碓氷峠遊覧歩道を歩いて軽井沢を目指しました。

Conv0203 途中で日も暮れて、旧軽井沢の商店街に出たときにはすでに真っ暗になっていました。

時計を見るとすでに5時過ぎ、中軽井沢の民宿を5時チェックインの約束で予約していたので、そこからタクシーに乗って民宿へ向かいました。

お客は私以外は女子大生4人組だとのこと、お風呂にすぐに入り、ストレッチをして体をほぐした後、夕食のために食堂へ降りていきました。

一人でビールを飲みながら夕食を始めていると、ザワザワと女性が入ってきました。

中高年の女性4人組です???。

「女性4人組です」と宿の人が言ったのが、私には「女子大生4人組です」と聞こえていたようです。

この歳になってまだ煩悩の消えない自分がそこにありました…。

この4人組は京都からの人たちで、中山道を私とは逆に京から江戸に向かって歩いているグループでした。食事をしながらしばらく街道歩きの旅の話でお互いに盛り上がりました。

その後、部屋に戻り、何もすることがないので、明日に備えて早く床に着きました。

今日の歩数は26393歩でした。Conv0205

軽井沢宿から岩村田宿まで 11月15日

軽井沢宿(かるいざわ)

  ↓     4.5キロ

沓掛宿(くつかけ)

  ↓     4.3キロ

追分宿(おいわけ)

  ↓     5.0キロ

小田井宿(おたい)

  ↓     4.7キロ

岩村田宿(いわむらた)  今日の合計 18.5キロ

          日本橋からの総計 165.2キロ

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6時に民宿で目が覚め、7時に朝食を食べた後、8時に出発しました。

まず、昨日のゴール地点の旧軽井沢までタクシーで戻り、そこから歩き始めました。

Conv0207 朝の軽井沢は空気が清々しくて、お天気もよく爽快です。

気温は1~2℃と冷え込んでいますが、冬山用の上着を着ているので、歩き始めるとすぐにポカポカと暖かくなってきました。

この辺りはオシャレなお店がたくさんあるので、ちょっとコーヒーでも飲みたいところですが、まだ朝早いのでどこもオープンしていません。

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約1時間で「沓掛宿」を通過、本陣跡が残ってはいますが、宿場の趣はほとんど感じられません。

しかも「沓掛(くつかけ)」という地名は今は「中軽井沢」に変わっています。歴史ある地名を観光客目的で容易に変更してしまうことを残念に思います。

そこからさらに歩くと間もなく「追分宿」に差しかかりました。ここは宿場の風情を残そうと努力していることが感じられます。

ここは一時有名な文士たちの別荘地としても栄えたところらしく、「堀辰雄文学記念館」がありました。

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「追分(おいわけ)」とは分かれ道のことで、ここから中山道と北国街道に分かれています。今もその分かれ道には大きな常夜灯や石仏、馬頭観音などが建っていて風情があります。

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昔の旅人はここから京を目指す人は左の中山道へ、善光寺や佐渡などを目指す人は右の北国街道へと歩を進めたことでしょう。

Conv0239 ここでちょうど風情のある蕎麦屋があったので、少し早めにここで昼食をとることにしました。「かきあげ蕎麦」を食べましたが、とても美味でした。女将さんとその息子さんも感じがよく、ここで昼食にしたことは正解でした。

そこからしばらく歩くと御代田(みよた)という土地にさしかかりました。この辺りは平安時代の浅間山の噴火で火砕流によって覆われたところらしく、江戸時代には不毛の地となって荒れ果てていたそうです。

Conv0249 その後開墾されて今は美しい田園風景となっていますが、開墾の過程で出てきた火山弾が道の両脇あちこちに積み重ねられていて珍しい光景でした。

Conv0265 1時半ごろ小田井宿に入りました。ここは江戸時代には宿が5軒しかない小さな宿場町だったそうですが、当時は追分宿が混雑することが多く、それを嫌った女性の旅人がここに宿をとることが多かったために別名「姫の宿」とも呼ばれたそうです。

小さな宿場町にしては、本陣跡や問屋跡などが大切に残されていて、昔の面影が感じられるところです。

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小田井宿を出ると中山道は大きな国道と重なり、交通量も多く、お店もたくさん並んでいます。思い返すと、今日は追分宿を出てからここまで、食べ物屋らしきところは1件もありませんでした。追分宿で早めに蕎麦で昼食を済ませておいて正解でした。

Conv0275 ここから今日のゴール地点の岩村田(いわむらた)に向けて歩いていると、道路わきのあちこちに真っ赤な実をたくさんつけたりんご畑が現れてきました。

南国九州長崎の生まれの私にはりんご畑はめずらしく、美しい風景でもあります。

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さらに進むと街道沿いに石仏の並ぶところがあり、往時の街道を偲ぶことができました。また、住吉神社という古い神社があり、そこには大きな樫の木がそびえていました。

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そこからほど近いところに龍雲寺という大きなお寺がありました。ここは武田信玄の遺骨を埋葬したと伝えられる霊廟があり、歴史と風格の感じられる寺でした。

3時過ぎに岩村田(いわむらた)宿に入りました。今はこのあたりでは大きな商店街のある賑やかな街並みになっています。

まだ足には余力が残っていますが、今日は東京の自宅へ帰るので、予定通り少し早めに切り上げて、ここから佐久平経由で帰ることにしました。

小海線で佐久平に出て、17時13分の新幹線の切符を買ってから、時間までしばらく駅のレストランで枝豆とソーセージをつまみにビールを飲んで休んだ後、帰宅しました。

今日の歩数は38019歩でした。Conv0291

(今回は4月になってからこのブログを更新しましたが、毎回ICレコーダーで逐次録音しながら歩いていますので、それを聞いて懐かしく思い出しながら書くことができました。)

岩村田宿から芦田宿まで 4月18日

岩村田(いわむらた)宿

   ↓     5.1キロ

塩名田(しおなた)宿

   ↓     2.9キロ

八幡(やわた)宿

   ↓     3.5キロ

望月(もちづき)宿

   ↓     4.8キロ

芦田(あしだ)宿     今日の合計 16.3 ㎞

              日本橋からの総計 181.5 ㎞

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朝6時半、家を出るときはめずらしく一面の霧の海でしたが、東京駅に着く頃には快晴、青空が広がっていました。

新幹線で佐久平に出て、そこから小海線で岩村田の駅へ。9時半頃岩村田の駅に着きました。前回の旅から約5ヶ月ぶりの岩村田です。

駅舎の待合室で時間を掛けて入念にストレッチをしました。ストレッチをしておかないと、必ず後で筋肉痛に悩まされるからです。

9時50分足取り軽く歩き始めました。空は青空、これから暖かくなりそうです。

歩き始めて30分もするともう両側は畑が広がり、のどかな景色です。

右手には雪を被って真っ白に輝く浅間山、左手には八ヶ岳連峰の白い山々が見えて見事な眺めです。

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お天気はよいのですが、昨日降った雪がまだ日陰には残っていて、風も冷たく手袋なしでは歩けないほどの寒さです。

このあたりはまだ桜はつぼみが固く閉じていますが、梅の花はきれいに咲いています。道ばたの菜の花や水仙の花と白く輝く浅間山の取り合わせがきれいです。

Conv0015_3 11時半、塩名田宿に入りました。宿場町らしい風情が感じられます。

Conv0013 歩いていると骨董屋がありました。いろいろと面白いものを売っていましたが、店先に大砲があったのが愉快でした。

Conv0019_2 その後、千曲川を渡りました。ここから眺める浅間山もまた一層きれいです。

Photo_3 広重の浮世絵にもここから見た浅間山が描かれています。

Conv0023 街道脇のお地蔵さんも暖かい日差しの中に浅間山を背にして立っています。

そこからしばらく歩くと八幡宿にはいりました。

Conv0031 もう12時半過ぎですので八幡宿に入ったらどこかでお昼を食べようと思っていたのですが、食事どころかこの宿場町には人っ子一人歩いていません。

人間はどこへ行ってしまったのでしょうか?

そこからいくら歩いても食事のできそうなお店もコンビニもありませんので、1時過ぎに道ばたの瓦葺きのバス停でリュックにいれておいたあんパンを食べて昼食にしました。

そのころから暖かくなってきて、もう手袋をはずしても大丈夫なくらいになりました。

皮肉なことに、あんパンで昼食を済ませて歩き始めると、10分もしないうちにログハウス風のレストランが現れました。

中に入ってコーヒーを注文すると、コーヒーが出てきたのですが、一緒に出てきたのが自家製の松前漬けです。

コーヒーもそれなりに美味しかったし、松前漬けは自家製らしく素朴な味で美味しかったのですが、コーヒーと松前漬けは決して合うものではありません。

Conv0039_2 さらに歩き続けると、このあたりは街道のあちこちで双体道祖神にお目にかかります。

Conv0043 男女の寄り添った姿の道祖神は見るものの心を癒してくれるような微笑ましいものです。

Conv0046 瓜生峠(うりゅうとうげ)を越えると望月宿です。ここは近々祭礼があるようで、道の両側に提灯が飾られていました。

Conv0048 宿場内には古い建物も多く残っており、なかなか風情がありました。

望月宿を出てしばらく歩くと間の宿の茂田井宿(もたいじゅく)に入りました。

Conv0060_2 蔵造りの家が並び江戸時代にタイムスリップしたかのような落ち着いた家並みです。

Conv0061 その中の一軒で「大沢酒造」という酒蔵の大きな門をくぐって中に入りました。

奥から中年の男の人が出てきて、入り口を開けてくれて暗い室内に電気をつけてくれると中に招き入れてくれました。

Conv0065 そして、ここで作られた6,7種類ぐらいのお酒を並べてくれて、「どうぞ、自由に味見をしてください。」と言ってくれました。

たった一人の旅人のためにこれだけ並べてくれたのですから、すべての種類を味見しないと失礼になると思い、端から順番に飲み比べました。

Conv0066_2 どれも驚くほど美味しいのですが、中でも「大吉野のしぼりたて」が気に入りました。

これだけ飲んだのですから、買わなければ悪いかな…と悩んでいたら、「旅の荷物になりますから、お買いいただかなくて結構ですよ。」と気を利かせて言ってくれました。

お言葉に甘えて「ご馳走さまでした。美味しいお酒でした。」のお礼の言葉だけを残してそこを出ました。

今日の目的地の芦田宿まであと少しです。今晩は佐久平まで戻ってビジネスホテルに泊まる予定ですので、足を速めました。

4時40分ごろ芦田宿についてすぐにバス停の時刻表を見ると、最終バスが5時11分です。危うくセーフでした。

しばらく本陣跡などを見たりしながら最終バスまでの時間を過ごしました。

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Conv0076 ここには昔の旅籠である「津ちや旅館」が残っていたり、本陣の古い建物も現存していたりしていますが、人通りはほとんど無く、出会ったのは3人の女子高生ぐらいでした。

Conv0078 バス停の標識の下に座ってバスを待つうちにウトウトと眠ってしまい。やってきたバスの運転手さんに起こされてバスに乗り込みました。

お客は私一人、だれも乗っていません。そのまま貸し切りバス状態で佐久平の駅まで戻りました。

6時ちょうどに駅前のビジネスホテルにチェックインすると、そこは健康ランドも併設していて泊まり客は自由に9種類のお風呂を楽しむことができるというのが宣伝文句です。

Conv0082 お風呂に入る前に夕食がてらにちょっと一杯やろうと外へ出かけました。しばらく歩いて良さそうな店を探していると「八風」という店がありました。

「ヤフー」とは何だかデジタル的な名前だなと思いながら中に入ると、カウンター席に案内されました。

カウンターの中の板前さんは実直そうなオジサンでほとんど言葉を発せず、黙々と料理を作り続けていましたが、若いお姉さんが愛想がよく、笑顔で接してくれました。

Conv0080 「おすすめの焼酎は?」と聞くと、「三種類の味比べ」がありますよ。」とのこと。言われるままにそれを注文しました。

つまみのおすすめを聞くと、こんな長野県の山奥(失礼!)に「のれそれ」があるとのこと、大好物なので迷わずそれを頼んで、つまみながら3種の焼酎を飲み比べました。

でも、正直言ってそれぞれの違いが私にはあまり分かりません。

Conv0081 次に別の焼酎をお湯割りで頼んだら、陶器のコップとお湯と焼酎が3つ別々に出てきました。これは自分の好きな加減の濃さで楽しむことができるので気に入りました。東京の店でこのような出し方をする店には入ったことがありません。

その後、ホテルに帰り、9種類のお風呂なるものを全部一通り回ってお風呂の中でストレッチをしたりして部屋に戻りました。

しばらくテレビを見て、気持ちよく眠りにつきました。

Conv0083 今日一日の歩数は34687歩でした。

芦田宿から和田宿まで 4月19日

芦田(あしだ)宿

   ↓     5.7 ㎞

長久保(ながくぼ)宿

   ↓     7.9 ㎞

和田(わだ)宿     今日の合計 13.6 ㎞

          日本橋からの総計 195.1 ㎞

ホテルで6時に起床。7時からのバイキング朝食をすませた後出発。

佐久平の駅前からバスで昨日のゴール地点の芦田宿まで戻りました。

昨日私一人しか乗っていなかったバスには今朝は高校生がいっぱい!大人は私一人です。

空は快晴、汗ばむほどの暖かさです。

8時半、芦田宿に着いて、昨日のバス停のところから西へ向かって歩き始めました。

Conv0087 芦田宿を出ると間もなく松並木が現れました。400年以上前に幕府が小諸藩に命じて植えさせたもので、今は天然記念物に指定されているそうです。

ここから道は笠取峠への登り道になりました。

今年初のウグイスの鳴き声が歩いている私についてくるように聞こえてきます。まるで鳴き声のリレーをしているようです。

9時半笠取峠の頂上の茶屋に着きました。そこで一休みしようかと思っていましたが、まだ営業していないようなので、そのまま通り過ぎました。

そこからの下りは旧国道になっていて、ほとんど車も人も見えず、のんびりと歩くことができました。

Conv0096 間もなく谷あいののどかな農村が見えてきました。満開の桜が点在しており、これぞ日本の風景といった懐かしさを覚える景色です。

Conv0093 道ばたには赤いよだれかけのお地蔵様が、このあたりの風景に溶け込んで心を和ませてくれます。

Conv0102 そこから五十鈴川に沿ってしばらく歩くと、長久保宿に入りました。

Conv0110_2  桜と梅が同時に咲いていて、静かな美しい町並みです。

11時を過ぎたので何か食べ物を買いたかったのですが、それらしいお店はありません。人通りもほとんどなくのんびりとした宿場町です。

そのまま長久保宿を通過して歩き続け、ちょうどお昼になったころ、行く手に大きなお店が見えてきました。看板には大きく「中山道」と書いてあります。あそこまで行けば何か食べ物にありつけそうです。

Conv0113 考えてみれば朝8時半に和田宿を出発してから、まだ一度も休憩をとっていません。お店に入って背中のリュックを下ろすと急に体が軽くなりました。

「天ざるうどん」を食べました。天ぷらはあまり口に合わず残してしまいましたが、うどんはとても美味しくて、食べると体中にムクムクと力が湧いてくるような気がしました。

Conv0118 店を出て再び歩き始め、依田川に沿って歩いていると、わらぶき屋根のバス停がありました。このあたりは冬場寒いためにバス停はみな中で風をよけることができるような造りにになっています。

Conv0119 このあたりには双体道祖神が多いのですが、めずらしい「みみずの道祖神」がありました。土地を肥沃にしてくれる「みみず」に感謝して地元の人々がこの道祖神を作ったとの説明版がありました。とてもユーモラスでかわいい道祖神です。

Conv0128  1時40分に和田宿入り口の石碑のところにさしかかりました。ゆっくりとした登り道を和田宿の中心部を目指して歩くと、ちょうど2時ごろ本陣跡に着きました。早く着きすぎたので本当はもっと歩いておきたいところですが、この先は交通手段がありませんので、今日はここをゴールにするしかありません。

Conv0138_2 そのすぐ近くに古い古い旅籠である「本亭旅館」があります。本当はここに泊まりたかったのですが、経営者が高齢であるため開店休業の状態であるとのことで、仕方なく「民宿みや」を予約していました。

Conv0121 宿場内をそれらしい民宿を探してみましたが、どこにも見当たりません。電話をして行き方をたずねてみると、若い奥さんが言うには、山一つ越えたところなので歩いて来るのは無理だとのこと。

どうしようかと悩んでいると、奥さんが言うには「まだ早いのでもっと歩きたいのではありませんか?」、「その通りです!」と答えると、「今日あと6キロほど歩いて和田峠の登り口まで行っておくと明日の和田峠越えが楽ですからそうなさってはいかがですか? 峠口まで車でお迎えに行きますから」と親切な提案。

Conv0146 もちろんそのご厚意を受けることにして、和田宿をしばらく見物したあと和田峠に向かって再び歩き始めました。

なだらかな坂道を6キロほど歩くと和田峠の登り口に着きました。そこでストレッチをして体をほぐしながら待っていると、しばらくして近づいてきた車からニコニコと笑顔で奥さんが降りてきました。

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Conv0148

そこから民宿へ向かう途中、あちこち回り道をしてくれて、そのあたりの歴史的な場所を案内してくれました。思わぬ歴史散歩ができて感謝です。

宿に着くと今日のお客は私一人だとのこと。出迎えてくれた若い主人も笑顔が優しい、人の良さそうな男性です。小さな子どもが二人、この子たちもまた人なつこくてニコニコと出迎えてくれました。

Conv0150 部屋に案内されて、とりあえずビールをもらい喉をうるおしていると、奥さんがこのあたりの古い写真集や中山道の資料などを持ってきてくれました。

幕末から明治にかけての写真が非常に興味深く、引き込まれてしまいました。

Conv0151 Conv0152 その後、お風呂に入ったあと夕食となりました。おかずは質素なものでしたが、土鍋で炊いたご飯がこの上なく美味しく、満足しました。

谷あいの何もないところにあるこの民宿は冬場はスキー客で毎日満杯の状態なのだそうですが、シーズンオフはほとんどお客さんがいないとのことでした。

ご主人も奥さんもスキーのインストラクターをしながら民宿を経営しているそうです。

そのご、眠りにつくまでの長い夜を、貸していただいた本や資料を読みながら過ごしました。

Conv0153 今日一日の歩数は

36210歩でした。

和田宿から和田峠を越えて下諏訪まで 4月20日

和田(わだ)宿

   ↓      21.6 ㎞

下諏訪(しもすわ)宿 

          日本橋からの総計 216.7 ㎞

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「あら~! 雨ですよぉ~!」の民宿の奥さんの声で6時過ぎに目を覚ましました。

天気予報では今日は雨だとは全然言っていなかったのですが、外を見ると確かに小雨が降っています。

土鍋で炊いたご飯で美味しく朝食をいただき、今朝はご主人の車で送ってもらって、昨日のゴール地点「和田峠登り口」まで戻りました。

車の中でご主人ともいろいろと中山道や和田宿の話をしました。何カ所かで車を止めて、神社の言われや一里塚の説明などを語ってくれました。

Conv0155 そして和田峠の登り口に着くと、「自分の写真ってなかなか撮れないでしょう。私が撮りますからそこに立ってください。」と言って、シャッターを押してくれました。

「和田峠は熊が出ると聞いたのですがでますかねぇ?」と聞くと、

「熊は人間の方を見ているかもしれませんが、馬鹿じゃありませんので、人間に見られるようなことはしません。雪の上に足跡ぐらいは残しているかもしれませんが…」とのこと。

手を振って彼が戻っていったあと、そこで念入りにストレッチをして体をほぐした後、ちょうど8時に登り始めました。

Conv0157 今日の天気は朝からあいにくの小雨模様、気温も下がっています。

しとしとと降っていた雨が途中からパラパラと音を立てて降り始めました。


 


冬山用のゴアテックスの上着を持ってきていて正解でした。雨を気にせずそのまま歩くことができます。

Conv0158 民宿のご主人の話では3月末にこのあたりを寒波が襲い、木に雨氷がついて、その重みで木が倒れたり枝が落ちたりしていて道をふさいでいるでしょう、とのこと。

歩き始めると、なるほどあちこちで木が倒れていて、それをまたいだり下をくぐったりしながら登っていきました。


 

Conv0172 Conv0174 途中雪の上には何か動物の足跡があります。大きさと形からして、たぶん鹿の足跡ではないかと思います。

 

 

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息を弾ませながら登っていくと10時半ごろ頂上に着きました。
前回の碓氷峠のように峠の頂上には神社や茶店があるものと勝手に想像していたのですが、頂上は何もなく一面真っ白な霧の海でした。


しかも気温は氷点下かと思えるほど冷え込んでいます。

登り始めてからここまで、人間とは誰一人会わず、もちろん頂上にいるのは私一人です。

あまりの寒さに座って休む気にもならず、5分ほど休憩したのみで、すぐに下諏訪に向かって下り始めました。

下り道は和田側とはまったく異なり、狭くて足場の悪い山道が続きます。

Conv0186 途中で民宿のご主人が握ってくれた大きなおむすびを食べました。土鍋で炊いたご飯はおにぎりにしてもまた格別に美味でした。

昔の整備された中山道は自然破壊で消え去り、人一人がやっと通れるほどの険しい山道になっています。

登山用のストックを両手で使いながら気をつけて一歩一歩下っていきました。

雨はますます強くなり、帽子のひさしからポタポタと雨滴が落ちますが、防寒着のためにまったく寒さは感じません。

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道は水が流れて、まるで谷川を歩いているような感じです。

Conv0196 そのまま歩き続けて、2時頃には下諏訪の木落し坂に着きました。
Conv0201 木落し坂を上から見下ろしてみましたが、テレビで見た画面とは違って、まさに「絶壁」とも言えるような垂直に近い崖であることに驚きました。


 


 
Conv0207_2 その後、注連掛(しめかけ)と言われるところに立ち寄りました。
木落しが終わった御柱(おんばしら)を諏訪神社に立てるまで並べておいてあるところです。


 


Conv0204 これも7年に1度しか見ることができないそうなので、ラッキーでした。

その後、中山道からはずれてちょっと遠回りをし、「万治の石仏」を見に行きました。

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あの有名な岡本太郎をして「最高の芸術だ~衝撃」と言わしめただけあって、圧倒されるような力強さと大きな優しさを併せ持った石仏でした。

石仏から発するパワーのようなものを感じて、しばらくそこから動けないような感じにさえなりました。

Conv0220 そのご、下諏訪の町中に入りましたが、中山道沿いに小さな公衆温泉を見つけました。地元の人が銭湯代わりに利用しているところのようです。


 
ここは説明書によると歴史が古く、鎌倉時代にまでさかのぼるとのことでした。
ピリピリするぐらいの熱いお湯でしたが、慣れると気持ちが良くて、峠越えの疲れが吹き飛ぶようでした。

地元の人たちと裸のつきあいで会話を楽しんだ後、汗をかいた着衣を新しいものに着替えて、さっっぱりした気分で下諏訪駅に向かいました。

18時55分の「特急スーパーあずさ」の切符を買って、出発までの1時間を駅前の居酒屋で冷たいビールを飲んで「プハーッビールexclamation」と言いながら至福の時間を過ごしました。

今回の中山道3日間の旅も楽しく歩くことができました。

今日の歩数は33260歩でした。

Conv0224

下諏訪から塩尻を経て洗馬へ 5月15日

下諏訪(しもすわ)宿

   ↓      11.4㎞

塩尻(しおじり)宿

   ↓       7.2㎞

洗馬(せば)宿   今日の歩行距離合計 18.6㎞

         日本橋から 総計 253.3㎞

自宅を6時半に出て下諏訪駅に9時半に到着しました。

駅前でストレッチをしてから9時45分にスタートです!

空は雲一つ無い日本晴れ! 少し肌寒く感じますが歩くには最高のコンディションです。

Conv0001_2 歩き始めてすぐに中山道は民家の間をすり抜けるようなこんなに狭い道になりました。

「え~っ、これが中山道?」と驚きながらも、手作りの立て札に導かれて安心して通り抜けました。

こんな時にはどんな小さなものでも道標があると安心して歩けるので、有り難く感じるものです。

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そこからしばらく歩くと江戸時代の道標がありました。

「左いなミち 右中仙道」と読めます。裏を見ると「寛政三年」とあります。つまり200年以上前に建てられたものです。

これまでに多くの旅人を見守ってきたことでしょう。

Conv0003_2その先はしばらく国道から外れ、のどかな風景を眺めながら歩くことのできる旧街道です。

交通量の多い国道を離れて歩くことができるのはこれもまた幸せな気分です。

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1時間もしないうちに横川という小さな川に出ました。

先ほどツイッターでの街道歩きの仲間「でこちゃ」さんから、この先の今井という町が彼の故郷であるとツイッターを通して情報が入りました。

Conv0006 今井に入ると立派な土蔵がいくつも目に入ります。どの蔵にも屋号や名字などがついています。

でこちゃさんの実家はどの家だろう?と一軒一軒確かめるように見ながら歩くと、右手に大きな門構えの広大な敷地の屋敷が現われました。

Conv0008 「茶屋本陣跡」です。

ここは下諏訪宿と塩尻宿の間にあって塩尻峠を控えた「間の宿」だったようですが、それにしては立派すぎるほどの本陣です。

改めて周りを見回すと、緑多き山々に囲まれたのどかな土地です。

Conv0012 ここからは塩尻峠に向かってだらだら坂が続きます。ハアハアと息をはずませながら登ってていくと坂道の途中に大きな岩がありました。

昔は盗賊がこの岩陰に身を潜めて旅人を襲ったとの謂われがあるそうです。

Conv0014 さらにだらだらと続く坂道を登り続けます。朝のスタート時点では肌寒いぐらいの気温でしたが、今は暑くて流れる汗を拭き拭き歩きました。

12時半に塩尻峠の頂上に着きました。展望台に上がると「見事な景色!」が目の前に展開しました。

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このコンパクトデジカメで撮った写真では、はっきりとは見えませんが、肉眼では諏訪湖の上に富士山、左に八ヶ岳連峰、右に南アルプスの山々が日の光に輝いて見えました。

ここからの景色を浮世絵に描いた栄泉の目にも山々がはっきりと見えたようです。

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塩尻峠をあとにして今度は塩尻宿に向かって下り始めました。

この道は車とすれ違うこともあまりなく、のんびりとした道が続きます。

Conv0030 途中には「雀おどり」と呼ばれるこの地方独特の形をした屋根飾りのついた風格のある家が多く見られます。

昔から豊かな土地柄であったことがうかがえます。

Conv0027_2 庭先には鯉のぼりも青空の下を気持ちよさそうに泳いでいました。

2時過ぎに塩尻宿にさしかかりました。本陣跡と陣屋跡の碑はありますが、建物は何もありません。

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3時少し前に塩尻宿の阿禮神社の境内で一休みして途中で買った大福を食べました。甘い物を食べるとみるみる力が湧いてくるから不思議です。

10分ほど休んでから洗馬宿に向かって歩き続けました。

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しばらく歩くと平出の一里塚にさしかかりました。「これぞ一里塚!」と言わんばかりの立派な松の木の一里塚です。

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近くには縄文時代の竪穴式住居の集落跡が復元されていました。

Conv0037_2 このあたりの道は右手に北アルプスを見ながら歩きます。

夕陽に輝く雪を被った山々が信じられないほど美しく、神々しくさえ感じられます。

中仙道と北国街道・善光寺道の追分道標のある分かれ道を過ぎて、4時40分洗馬宿に入りました。人通りもあまりないような小さな宿場町です。

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本陣跡を見たあと、今日はここでおしまいにして洗馬駅から塩尻に戻って泊まることにしました。

洗馬駅から電車で塩尻駅まで戻り、ホテルルートインにチェックインしました。

大浴場で汗を流したあと、夜の塩尻の町に出かけました。

出かける前にホテルのカウンターで「このあたりで酒と肴の一番美味い店はどこですか?」とたずねると、「小料理屋のS店が一番美味しいですよ。」と教えてくれましたので、迷わずその店に向かいました。

店に入るとまだ先客はおらず、カウンターに座るのは私ひとり。

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和風美人の女将さんとその主人の板前さんを相手に、出してくれる肴をつまみながら美味しく地酒を飲みました。

他に客が来ないことをいいことに、すっかり二人と打ち解けて楽しく話をし、ついつい遅くまで飲んでしまいました。

お店を出る前に「ブログに載せたいのですが写真を撮っていいですか?」と聞くと「どうぞどうそ!」と言って主人が女将さんと二人の写真を撮ってくれました。

ついでに主人と二人の写真も撮ってもらいました。

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その後ホテルに戻り、気持ちよい眠りにつきました。

今日の歩数は36184歩でした。

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洗馬から本山→贄川→奈良井へ 5月16日

洗馬(せば)宿

   ↓        3.3㎞

本山(もとやま)宿

   ↓        7.8㎞

贄川(にえがわ)宿

   ↓         7.3㎞

奈良井(ならい)宿   今日の歩行距離合計 18.4㎞

        日本橋から総計 253.7㎞   

心地よい目覚めで6時に起床しました。

7時にホテルの朝食を食べてすぐに出発、昨日のゴール地点「洗馬宿」に戻ってきました。

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8時ごろ次の本山宿に向かって歩き始めると、すぐに前方から来た車が止まって、中年の女性が顔を出し「どちらからいらしたのですか?」と声をかけてくれました。

「東京からです。」と答えると、「ご苦労様です!もしよかったこれをお使いください。」と言ってこのあたりの案内地図をくれました。

人の良さそうな彼女の笑顔に「今日もまた良い日になるな!」と感じました。

Conv0073_2 少し歩いて国道に出ると、 道路標識に「中津川」や「木曽福島」の地名がありました。

いよいよ藤村の「夜明け前」の世界に近づいてきた感じがして、胸がワクワクしている自分がいます。

9時ちょうどに本山宿に入りました。ここは一軒一軒の家がとても大きくて立派な造りです。

あちこちの家の庭先には鯉のぼりが泳いでいます。

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ここは蕎麦の発祥地としても有名な土地だそうですので、食べてみたかったのですが時間が早いのでまだお店はオープンしていませんでした。

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古いたたずまいの家並みをながめながら歩いていると、前から歩いてきた小学校4年生ぐらいの男の子が「おはようござます!」と大きな声で挨拶をしてくれました。また後ろから走ってきた6年生ぐらいの女の子が追い抜きざまに振り返って「おはようございます!」と可愛い笑顔で挨拶してそのままかけ去っていきました

そう言えば、先ほど宿場の入り口のお地蔵さんのところで会った自転車を押して歩いていたおばあさんも、仲よさそうに歩いていた老夫婦も親しみを込めた声で「おはようございます!」と言ってくれたのでした。

これだけでこの「本山宿」が気に入ってしまいました。

本山宿を通り過ぎて1時間弱歩いたところで「是より南 木曽路」の石碑の場所に至りました。

ここが昔の「信濃国」と「木曽国」の境になるところです。ここからはいわゆる「夜明け前」の書き出しの「木曽路はすべて山の中である」の世界です。

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石碑の横を少し下ったところにあずまやがあったので、そこに座って小休止をしたあと、また歩き始めました。

まもなく「若神子(わかみこ)」という小さな集落を通りました。ここには湧き水を共同で使うことのできる水場が二カ所ほどある、のどかな集落です。

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八重桜や芝桜もちょうど満開で、とても幸せそうな雰囲気の土地であるように感じました。

途中の路上で二人の高齢の男性に会いました。これから上の神社で行なわれるお祭りに行くところだそうです。

祭の話などを聞いたり世間話などをしたりしながら、しばらく一緒にゆっくりゆっくり歩きました

彼らが子どもの頃は旧街道の趣がまだ十分に残っていて、道路も今のように舗装されておらず車も走っていなくて、実にのんびりとした風景だったそうです。

「昔の街道はよかったわね~ぇ」と二人とも声をそろえて言っていました。

分かれ道で彼らと別れて30分ほど行くとお昼ごろ贄川(にえがわ)宿に入りました。

その手前から祭装束のはっぴを着た親子や鉢巻きを締めた青年などに行き会いましたので、贄川宿でも今日は御柱祭のようです。

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宿場の入り口の関所を見学してから宿場内に入っていくと、街道沿いには祭の飾り付けがしてあり、露店もならんでいました。

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向こうの方から祭のお囃子の音が聞こえるので、そちらに向かって歩いて行くと、そこには大勢の人が集まって御柱を取り囲んでいました。下諏訪の御柱に比べるとはるかに小ぶりな柱なのですが、人々は晴れがましく嬉しそうな顔をしています。

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7年に一度のお祭りだそうですが、大人も子供も楽しみに待っていたお祭りなのでしょう。

Conv0120 どこの家でも道路に面したガラス戸を開けてお酒や料理などを振る舞っていました。私もだまって見ていたら「ま、ま、お酒でもどうぞ!」と勧められるかなと思ってあちこちの家の前でたたずんでいましたが、どうもよそ者には振る舞わないおきてでもあるのか一切勧められることはありませんでした。

しかし、お酒も料理も空きっ腹の私には美味しそうに見えて仕方がありませんでした。

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道路際に座って法被を着た人たちと話をしましたが、今日のこの賑わいは7年に一度の祭に合わせて故郷に帰ってきて参加している人が大部分だとのことでした。自分も埼玉県から来たとのことです。

おそらく普段は過疎化した、老人の多いひっそりとした集落なのでしょう。

去りがたい気持ちで贄川宿を出て、次の宿場の奈良井宿を目指しました。

途中、道の駅に立ち寄り、名物のお焼きを食べました。中に野沢菜が入っていて美味でした。

しばらく行くと平沢という町に入りました。ここは昔から漆器の名産地で、道の両側には古い漆器の店が並んでいます。

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何軒かのぞいてみましたが、欲しくなるような物がいくつも並んでいました。

しかし、荷物になるし値段も高価なので買うのは我慢しました。

そこからしばらく歩くと3時半ごろ奈良井宿に着きました。

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昔ながらの宿場町を保存してある風情のある町並みです。

今日はもう一つ先の薮原宿に宿を予約してあるので日が暮れる前に鳥居峠を越えるつもりでしたが、この調子では途中で暗くなりそうですし木曽大橋も見物したいので今日はここで終わりにして電車で薮原宿まで行くことにしました。明日またここに戻ってきて歩き始めましょう。

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奈良井宿をぶらぶら歩いて宿場の出口まで行き、そこからまた引き返して奈良井駅まで戻ってきました。

すると電車が出たばかりで次の電車まで1時間近くあったので、これ幸いとぜひ訪れてみたいと思っていた「木曽大橋」に向かいました。

駅から歩いて15分ほどです。人影のない道を歩いていると後ろから誰かの足音が聞こえ、「コンニチワ!」と声をかけてきました。

ヨーロッパ人らしい青年の笑顔がありました。そこから橋まで私の下手な英語で話しながら歩きましたが、彼はスイス人だとのこと。中山道を歩いて旅をしているとのことで驚きました。

スイスのどこから来たのかを聞くと、ルッツェルンからだそうです。私も以前行ったことがあって好きな街の一つだったので「ルッツェルンと言えばカペル橋が有名ですよね。」と言うと、嬉しそうな顔をして驚いていました。

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彼は今晩この奈良井に泊まるそうですが、私は電車の時間が気になっていたので、それ以上ゆっくりとは話せず、彼とはもう会うことはあるまいと思いながら握手をしてそこで別れました

そして奈良井駅から電車に乗って薮原(やぶはら)まで行き、予約を入れておいた旅館にわらじを脱ぎました(靴を脱ぎました)。迎えてくれた奥さんは優しそうなとても良い感じの人です。

旅館はひっそりとしていて、今晩の泊まり客は私一人だそうです。

お風呂に入ってから食堂へ行くとだだっ広い部屋のテレビの前に一人分の食事がぽつんと準備してありました。

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しかし、私一人のためにわざわざこの地で採れたフキの炊き込みご飯をつくってくれたそうです。フキと魚の白身を炊き込んだご飯は実に温かく心のこもった味がしました。

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食後、長い夜をテレビで龍馬伝を見たりI-podの音楽を聴いたりしながら、いつのまにか眠りにつきました。

今日の一日の歩数は39498歩でした。Conv0159

 

奈良井宿から薮原→宮ノ越へ 5月17日

奈良井(ならい)宿

    ↓      5.4㎞

薮原(やぶはら)宿

    ↓      7.5㎞

宮ノ越(みやのこし)宿   今日の歩行距離合計 12.9㎞

     日本橋から 総計 266.6㎞

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6時半起床。空は快晴!

朝食後宿を出て電車で昨日のゴール地点奈良井宿まで戻りました。

駅の待合室でストレッチをしたあと歩き始めました。

昨日は日曜日で奈良井宿には多くの観光客が訪れていましたが、今日は平日なので人影もまばらです。

昨日この宿場の端から端まで往復し見物したのですが、今日はもう一度ゆっくりと宿場の雰囲気を味わいながら歩きました。

9時ごろ鳥居峠の登り口にさしかかりました。石の道標には「右鳥居峠 左奈良井宿」の文字が読み取れます。

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道はすぐに急な上り坂になりました。石畳の道が復元されていて、江戸の昔を偲びながら登っていきました。

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急坂を息を弾ませながらしばらく歩き続けましたが、誰一人出会う人がいません。

熊が出ないことを祈りながら歩きました。

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道ばたにはいろいろな野草が花を付けていて心を和ませてくれます。

またウグイスの声が歩くにつれてついてくるかのように聞こえます。

私は旅をしていて嬉しく思うことは、富士山が見えることとウグイスの声が聞こえることです。両方とも得をしたような気分になります。

10時半ごろ鳥居峠の頂上にさしかかりました。今日は峠越えの間ずっと人に出会うことはないのかなと思っていたのですが、頂上の小屋の傍に出ている湧き水で誰かが顔を洗っています。

私も汗ビッショリなので顔を洗おうと近づくと、その人が振り返るなり「ハロー!!」と言うではありませんか。

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昨日、木曽大橋で出会ったスイス人の青年ダニエル君です。お互いに再び会えたことを喜んで握手をしました。

彼は昨日お互いに住所も交換しないで別れたことを残念に思っていたそうです。私も昨日は電車の時間が迫っていてゆっくり話もできなかったことを詫びて、改めて自己紹介をして住所やメールアドレスの交換をしました。

彼はリュックから何やら取り出して、これをぜひあげたかったのですと言い、ルッツェルンの絵はがきをくれました。

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中山道の山の中でルッツェルンの景色を見ようとは想像もしていませんでした。

何年か前に焼失して再建されたカペル橋もそこに写っていました。

彼はイギリスに留学して大学を卒業し今はスイス鉄道で働いているとのことです。

「スイスは世界一美しい国だね」と言うと、彼は「いいえ、一番美しいのは日本です」などと嬉しいことを言ってくれます。

日本を訪れるのはこれが2度目だそうで、前回は広島にも行ったそうです。今回は日本をより良く理解するためにはどこへ行くのがよいかインターネットや本をで調べた結果、中山道を歩いて旅をすることにしたそうです。

2週間の滞在なので全ての行程を歩き通すことはできないが、途中何カ所か電車を使いながら中山道を歩きたいと語っていました。

「よし、では今日はこれから一緒に歩こう!」と言うことになり、薮原まで同行することになりました。

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峠の上の神社では、彼は興味深く熱心に一つ一つの石像を眺めたり写真に撮ったりしていました。これは誰の石像か?とか何の神様か?などとと聞かれるのですが、教養のない私には答えることができません。

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木々の間から薮原の町並みが見えてきました。

Conv0186 薮原宿の入り口にあった湧き水を彼は美味しそうに飲んでいました。

湧き水の傍の民家から出てきた高齢の奥さんが「ここを下って行ったところに美味しい蕎麦のお店がありますよ。」と教えてくれました。

      

ダニエル君にソバを食べたいかどうか聞いてみると、「ぜひ食べてみたい!」と言うので、教えられそば屋に入りました。

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中に入ってみてビックリ! 壁も天井も家具もすべて漆塗りなのです。

昔は商家だったそうですが、ここで生まれた現在のご主人が、この伝統のある家屋を何とか活用して存続したいと考えて蕎麦屋を始めたと言っていました。

出てきたせいろ蕎麦は味も香りも歯触りも申し分なく、二人ともお代わりをして2枚ずつ食べました。

はるばる東京や名古屋、大阪などからわざわざお客さんがやってくるだけあります。

地元のおばあちゃんたちとも話をすることが出来てダニエル君は喜んでいました。

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「この店に来てこのソバを食べることが出来ただけでも今回日本に来た甲斐がありました。」と言って心から感動していましたので、私まで嬉しくなりました。

帰りはご主人が表まで見送りに出て、我々の姿が見えなくなるまで店の前で手を振ってくれました。

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その後二人でいろいろと話しながら歩いて行くうちに薮原の駅に着きました。

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彼は今日はここから福島宿まで電車で行ってそこに泊まるとのこと。

駅の近くで再会を約束してから別れました。

私は今日は宮ノ越宿まで歩いて、そこから早めに東京へ帰るつもりです。

途中、木曽川の流れや美しい木曽路の風景などを楽しみながらのんびりと歩きました。

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宮ノ越宿に入り、木曽義仲のゆかりの物が展示されているという「義仲館」がありましたが、今日は閉館していましたので見学は次回まで待つことにしました。

宮ノ越駅に向かって坂道を登っていきました。駅に着いたらまずはビールを飲もう!と楽しみにしながら行くと、ちょうど電車が発車したところでした。

次の電車まで1時間あります。「さてビール、ビール」と周りを見回すと、ここは無人駅、自動販売機も何もありません。

そこで再び坂道を下ってはるか離れたお店まで行き、ビールを買って駅に戻ってきました。

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待合室のベンチに座って「グビ~ッ!」とビールを飲んで一息ついているうちに1時間はあっという間に過ぎ去り電車がやってきました。

そこから塩尻経由で東京の我が家に戻りました。

今日は早めに切り上げたので歩数は少なく28765歩でした。

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宮ノ越宿→福島宿→上松宿 11月4日

宮ノ越(みやのこし)宿

   ↓         7.0㎞

福島(ふくしま)宿

   ↓         9.5㎞

上松(あげまつ)宿  合計 16.5㎞

       日本橋から総計 283.1㎞

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半年ぶりの中山道歩きです。

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塩尻経由で宮ノ越駅に11時半に着きました。途中これまでに歩いてきた中山道沿いの景色を懐かしく眺めながらやってきました。

駅から坂道を下って義仲館へ向かいました。前回見学する時間がなかったので今日はちょっと見学してから出発しようと思っていましたが、残念ながら何故か休館していました。

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木曾義仲と巴御前の写真だけ撮って、敷地内の食堂で「きのこうどん」を食べてからスタートしました。

空は雲一つ無い日本晴れ!回りの山々が紅葉を始めていて、緑とオレンジのグラデーションが美しく、心が浮き立つようです。

宮ノ越宿には古い歴史を感じさせる造りの家が何軒か残っていて、宿場町の風情を感じさせます。

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通りに面して御膳水と呼ばれる井戸があります。江戸末期に町内の飲用水を得るために掘られたものだそうですが、明治天皇も行幸の際、この井戸水をつかって点てたお茶を飲まれたそうです。

宮ノ越から福島宿へはのどかな田園風景を見ながら歩きます。

1時半、中山道の中間点にさしかかりました。ここは江戸からも京都からも67里28丁(約268㎞)と言われ中間点として有名だったそうです。

それにしてもここにはそれらしきモニュメント風なものは無く、案内板と小さな道標風の石碑があるのみでした。

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しかし、ここでしばし立ち止まり、「ああ、中山道も半分歩き終えたのだ」と改めて感慨にひたりました。

Conv0015 この辺りから見える山の上にはもう雪がうっすらと積もり、紅葉と雪の白さが何とも言えないほどの美しい光景です。

Conv0020_2 さらに歩いて行くと福島宿が近づいてきました。初冬の陽はすでに西に傾き始め、今日の目的地の上松宿まで歩くことが出来るかどうか少し心配になってきました。

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福島宿の関所で草鞋(靴)を脱いで上がり、見学をしました。高台にある関所から福島の宿場町を見渡すと、木曽川を挟んで両側に山が迫り狭隘な谷間の地形になっていることが分かります。

ここは関所を設けるには最適な土地であったことが納得できます。

さて、ますます陽が傾いてきましたが、今晩泊まるところをまだ予約していません。

ツイッター仲間のYさんが福島でのお勧めの宿を知らせてきてくれましたので、そこに電話をしてみましたが、もうすでに廃業したとのこと、残念です。

関所から見渡すと目立つところにホテル「三河屋」の看板が見えたので、直接そこまで行ってみました。

薄暗い玄関ロビーで、ちょっと不安になりましたが、カウンターに出てきた若い男性がとても感じの良い応対でしたので、そこに泊まることにしました。

しかし、今日はどうしても次の上松宿まで歩いておきたいので、いくつかザックの中の荷物を部屋に置いて少し身軽にしてから再び歩き始めました。

上松宿までは8.5㎞ですので6時少し過ぎには着いて、上松駅から電車で戻ってくるという算段です。

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4時を過ぎていよいよ道は薄暗くなってきました。

4時半になり山の端に完全に日が沈んで、急に寒くなってきました。手袋をつけて寒さに備えました。

ここから先、旧街道らしき道は街灯もなく真っ暗でしたので、そこを歩くのはやめて自動車道を通ることにしました。しかし、これが大きな間違いでした。自動車道は真っ暗で歩道もなく、走る車のヘッドライトだけが頼りです。おまけに今日に限っていつもは持ってくる登山用のヘッドランプをザックに入れ忘れていました。

大きなトラックがもの凄いスピードで体をかすめるように次から次へと走り過ぎて行き、「ああ、ここで死ぬのか」と真面目に考えるほど危険な状態でした。

当然歩くスピードは上がらず、ときには体をガードレールに寄せてトラックを避けながら少しずつ進みました。東海道、中山道を通して、街道歩き開始以来初の命の危険を感じるほどの危機です。

今晩はさっきの「三河屋」をゴールにして、この道は明日に回せばよかったと後悔しましたが後の祭り、何としてでも歩き通すしかありません。

6時ごろやっと歩道のあるところまで辿り着きました。

それまで必至になって歩いていたので気がつきませんでしたが、ここでふと空を見上げると思わず声を上げてしまいそうな満天の星空! 

空にこんなにたくさんの星があったのかと信じられないほどの星の数です。

しばらく進むと上松宿の街の灯が見えてきました。道にも街灯があって足下が見えるようになったので、スピードを上げて歩きました。

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6時半、予定より大幅に遅れて上松宿に入り、上松駅に着きました。

電車で福島宿まで戻ろうかと思っていましたが、次の電車までにはだいぶ待たなければならないのので、駅前に停まっていたタクシーに乗って戻りました。

ホテルではチェックインが遅くて夕食は間に合わないと言われていましたので、福島の街で良さそうな店を探しました。

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豆腐料理の看板が出ている店に入り、まずは生ビールで「今日も生きている」ことに感謝してひとり乾杯をしました。

その後豆腐料理に舌鼓を打ちながらこの地方の地酒「七笑」を2合ほど飲み、いい気分になってホテルに戻り、風呂に入った後早めに寝ました。

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今日の歩数は30316歩でした。スタートがお昼過ぎだったので、少し少なめです。

 

上松宿→須原宿 11月5日

上松(あげまつ)宿

   ↓         12.8㎞

須原(すはら)宿

       日本橋から総計 295.9㎞

福島宿のホテルで7時に目を覚まし、朝食を済ませてから福島駅に向かいました。

そこから電車で昨日のゴール地点「上松宿」へ行き、9時ごろ上松駅から歩き始めました

昨晩暗くなってからここに着いたので、もう一度福島方向へ戻り、本陣跡や玉林寺などを見てから次の須原宿を目指して歩き始めました。今日はここから須原宿を経て野尻宿までの20㎞を歩く予定です。

歩き始めて間もなく多瀬屋(たせや)と越前屋に挟まれた角に出ました。

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ここから右に折れて下っていくと中山道随一の名勝「寝覚の床」があります。

下りて見物しようかそれとも先を急ごうかと思案していたら、「たせや」から真っ赤なジャンパーを着た人の良さそうなおじいさんが出てきて手招きをしながら「どうぞお入りなさい」と招じ入れてくれました。

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そして囲炉裏のある部屋に上がらせてくれて、昔の写真や品物などを一つ一つ見せながら説明をしてくれました。

今日は野尻宿まで歩く予定なので時間が気になりましたが、おじいさんのお話はいつまでも続き終わりそうにありません。

85歳だそうですが、私が65歳だということを聞くと「ほほ~う!若いのう!」と口を開けて笑っていました。

何とかそこを辞して、坂道を寝覚ノ床に向かって下っていきました。白亜紀の巨大な花崗岩が川の両岸に連なり、まさに奇勝と言うべき眺めです。

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そこを見た後また上へ戻り、「芳香堂」というお店で「栗きんとん」と「栗小もち」を一つずつ買い、店先で食べさせてもらいました。どちらもほどよい甘さで美味です。

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1時過ぎに小野の滝にさしかかりました。まだ上松を出発してから3㎞ほどしか進んでいないのですが、もうこんな時間です。先が思いやられますが急がなければならない旅でもないので気楽に見物をしながら歩くことにします。

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この滝は木曽八景の一つで中山道浮世絵「上松宿」の場面にも描かれており、昔の旅人もここで一休みしたのではないかと思われます。

ここでしばらくマイナスイオンを吸い込みながら一休み。今晩の宿をまだ予約していませんでしたので、ここから何軒か泊まれそうな宿に電話をしましたが、なかなか予約がとれません。しかたなく須原の役場に電話をして紹介してもらい、野尻宿の先の「あてら荘」という宿がやっととれました。

その後、スマホでツイッターをのぞきました。

中山道の旅と東海道の旅の大きな違いは、中山道は途中からツイッターを始めましたので、ツイッターで知り合った街道歩きを趣味とする同好の士たちと時々情報交換をしながら歩いていることです。

中には五街道をすべて歩き終わり、新たな街道に挑戦している人もいて、様々な有益な情報を知らせてくださるので、街道歩き旅がますます充実したものになってきています。

ここでツイッターのタイムラインに仲間の一人である「ぼんたさん」からメッセージが入っていました。

彼女は名古屋の方で、ちょうど今日は彼女も中山道の旅を下諏訪で終えて名古屋に帰る途中、私が歩いているところを電車で通るので、どこかでお会いしませんか?とのお誘いをいただきました。

私の答えはもちろん「OK!」です。今日は野尻宿まで歩く予定なのでそこで4時半ごろ会うことにしました。

ツイッターでは毎日のように会話を交わしているのですが、お会いするのは今日が初めてです。果たしてどんな方なのでしょう!

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1時半ごろ萩原村というところにさしかかりました。この辺りは何カ所かに湧き水の水場を小屋を建てて大切に保存してあります。備え付けの茶碗で飲んでみると何とも言えない自然のままの味がします。これでコーヒーを淹れて飲んだらさぞ美味しいことでしょう。

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2時半ごろお昼を食べていなかったことに気がつき、道ばたの道祖神の横でザックに入れておいた魚肉ソーセージを食べました。

再び歩き始めましたが、日も傾いてきました。木曽路は谷間を通る街道ですので日が落ちるのが早く、この調子では、ぼんたさんと約束した野尻はおろか須原宿まで歩けるかどうかも心配です。

このあたりはお店も何もない道が続き、トイレもありません。途中で尿意をもよおし道ばたで失礼しようかと思いましたが、いきなりこの看板が目に入りました。

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私以外にも同じことを考える人がいるようです。須原駅に着くまで我慢することにしました。

3時半、須原駅まであと1㎞のところまで来ました。今日は野尻宿まで歩くのは時間的に無理ですので、須原駅から電車に乗って野尻駅まで行くことに予定変更しました。

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須原駅に着いてトイレを済ませた後、電車に乗りました。1時間に1本ぐらいしか走っていないので、ひょっとしたらこれから会うぼんたさんもこの電車に乗っているかも知れないと列車内を見回してみましたが、どの人だか分かりません。

ぼんたさんはツイッターの自分のアイコンにリラックマという熊のぬいぐるみの写真を使っているので、何となく丸顔の小熊に似た人ではないかと想像しています。

電車が次の野尻駅に近づき、お客さんが下りる支度を始めました。すると座っている私の前に登山姿の熊のような大きな女性が近づいて来て両足を踏ん張って立ちました。

一瞬「ええ~っ、恐っ!」と思いましたが、電車が停まるとその人は出口に向かって歩き去りましたのでホッとしました。

私も後について電車から降り、改札口で後ろをふり返ると赤いセーターのスリムで美しい女性がニコニコ笑いながら近づいて来ます。

「ぼんたさん?」と聞くと、「はやせさん!」と言って手を差し伸べてくれました。

思わず嬉しくなりハグしようかと思いましたが、初対面なのでちょっと遠慮して握手に留めました。

しかし、お互いに初めての出会いを満面の笑みを浮かべて喜び合いました。

その後、駅前に1件しか無さそうな喫茶店に入りコーヒーを飲みながら改めて自己紹介をしたり、今日ここに来るまでの話をしたりしました。

そこのマスターに「お酒が飲めるような店がありますか?」と聞くと、この先に1件ありますとのこと。

そこへ行ってみると、まだ開いていません。たぶん5時からオープンなのだろうと思い、しばらく待つことにしました。

そのうち開店準備をしている若い女将さんが出てきて、「開店は6時からです」とのこと、「ええ~っ!」とがっかりしていたら、気の毒に思ったのか「まだ準備中ですが、それでもよかったらどうぞ!」と入れてくれました。

Conv0086 まずはビールで乾杯!

と言いたいところですが、ぼんたさんはアルコールが全然ダメとのこと、ビールとウーロン茶で初めてのリアルの出会いを祝って乾杯をしました。

続いてお酒はこの地域の地酒「木曽のかけはし」を注文しました。女将さんの手作りの美味しい料理と明るい笑顔、そしてぼんたさんとの楽しい会話で盛り上がり、2合徳利で3本まで飲んだような気がします。

その後、ぼんたさんは名古屋まで帰らなければならないので8時少し過ぎにお開きにすることにしました。

女将さんが車を出してくれて、先にぼんたさんを野尻駅で降ろし、その後私を今晩の宿「あてら荘」まで送ってくれました。

宿は日帰り温泉センターの中にあるホテルでしたので、寝る前に温泉に入って疲れを癒し、早めに休みました。

須原宿 → 野尻宿(十二兼駅で中断) 11月6日

須原(すはら)宿

   ↓             7.2㎞

野尻(のじり)宿(十二兼駅)

        日本橋から総計 303.1㎞

6時に宿で目を覚ますと少し二日酔い気味ですが、気分は爽快、今日も元気に歩けそうです!


眠気覚ましにお風呂に行ってみましたが、昨晩入ったはずのお風呂場をよく覚えていません。

名古屋からの旅の男性と風呂の中で話をしました。
人の良さそうな人です。

7時半から食堂で朝食。

食堂の担当のおじさんに電車の時間をたずねたり、タクシーの便を聞いたりしていたら宿の車で須原宿まで送ってくれるとのありがたい申し出です。

お陰さまで簡単に昨日のゴール地点「須原宿」まで戻ることができ、そこから8時半に歩き始めました。

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須原宿は「水舟の里」と呼ばれているそうですが、なるほどあちこちに水が湧き出しています。

水舟と呼ばれる丸木をくり貫いた水槽が何か所もあり、そこにきれいな水があふれていて、情緒のある宿場町です。

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昨晩飲んだ地酒「木曽のかけはし」の酒蔵もここにありました。

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今日は三留野宿まで歩いて、そこから早めに東京へ帰ろうと思っていましたが、途中の「道の駅大桑」あたりで急に右膝が痛みだしました。

すぐに治るだろうと思い、道の駅でしばらく休んでまた歩き始めましたが痛みは増す一方。スピードを落としてゆっくり歩きました。

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やがて11時ごろ野尻宿に入り、昨晩ぼんたさんと一緒に飲んだお店の前にやってきました。

昨晩のことを懐かしく思い出しながら、大して見るべきもののない野尻宿を通り過ぎ、三留野宿を目指して歩き続けました。

Conv0102_2  やがて昨晩泊まった「あてら荘」の対岸までやってきました。右膝の痛みはますますひどくなり、足を引きずりながらやっと歩くことができるような状態です。

12時半過ぎに、やがてもう歩けないと思うほどに痛くなったときに、ちょうど「十二兼」という無人駅がありました。

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駅の待合室でしばらく休んでから今後どうしようか考えようと思って中に入り時刻表を見ると、何と2時間に1本ぐらいしかない電車がちょうどあと数分で来るところです。

これは今日は無理をせずにここから帰りなさいと言う神様の思し召しに違いないと理解して、迷わずその電車に飛び乗って東京の我が家を目指しました。


途中乗換駅の塩尻でもタイミング良く特急スーパーあずさに乗り換えることが出来て早めに自宅に戻ることができました。

今日は途中で中止して帰ってきましたが、「名誉ある撤退」と考えることにしましょう。


そして次の街道歩きに備えて早く治したいと思います。

野尻宿 → 妻籠宿 12月11日

野尻(のじり)宿

   ↓         10.1㎞       

三留野(みどの)宿

   ↓          5.6㎞

妻籠(つまご)宿

           日本橋から総計 318.8㎞

前回右膝の痛みで歩けなくなり、途中で「名誉の撤退?」をした「十二兼駅」まで戻ってきました。

今朝はここまで来る途中人身事故で電車が大幅に遅れ、ここに着いたのが午後1時近くでした。

待合室でストレッチをした後、歩き始めましたが、あいにく雨が降ってきました。

ザックにカバーをつけて傘を差して歩きます。しかし、雨の木曽路もなかなか風情があって良いものです。

この辺りはずっと木曽川に沿って歩くことになります。河原には巨石が並び神秘的な気配さえ漂わせています。

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この辺りは昔は中山道でも随一の難所と言われたところで、旅人たちは切り立った崖に渡された粗末な木製の橋「桟(かけはし)」を何度も渡らなければならないほどの命がけの道だったそうです。

雨が降ったり止んだりする中を歩き続けると、やがて「三留野宿」の表示が見えてきました。その向こうにはニューヨークのブルックリンブリッジによく似た形の橋が見えます。

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近づくと規模は小さいながらも珍しい造りの吊り橋で、全長247メートルの「桃介橋」でした。

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古い家が多く残る「三留野宿を傘を差して通り抜け、しばらく歩くと2時少し過ぎに南木曾駅に着きました。

朝食の後何も食べていませんので温かいうどんでも食べて体を温めたいと思っていましたが、駅の周辺には飲食店が全然見当たりません。

Conv0008 仕方がないので小さな食品店であんパンを買って駅の待合室で食べました。

だんだん日が傾いて薄暗くなってきたころ上久保の一里塚にさしかかりました。妻籠宿まではもうすぐです。

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さらに進むと夕暮れの妻籠宿の入り口に達しました。今晩泊まる民宿「大吉」は一番手前の宿でした。

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その少し先から宿場に下っていく坂道を見下ろすと、ほとんど人影が無く、灯火がぼうっと浮かんでいて、まるで江戸の昔に返ったかのような錯覚を覚えます。

しばらく宿場内を歩いて夕暮れの妻籠宿を満喫した後、今夜の宿の「大吉」に戻りました。

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傘をたたんで大吉の障子戸を開けると高齢の女将さんと美しい若女将が出迎えてくれました。

この宿はネットで予約しておいたものですが、清潔で感じの良い宿です。テレビでも何度も取り上げられたそうで、有名人の訪れも多く色紙がいっぱいです。

女将さんに「私も書きましょうか?」と聞いたところ、やんわりと遠慮されました。

今晩の宿泊客は7人だけだそうです。

まずはお風呂で冷えた体を温め、「さあビール、ビール!」と夕食の部屋へ行きました。

他のお客さんはみなもう揃っており、すぐに夕食が始まりました。

大阪からの若者男女3人組、同じく大阪からのひとり旅のおじさん、オランダから初めて日本に来た夫婦、それに私の7名です。

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私はビールの後は女将さんが勧めてくれた妻籠のご当地限定の酒だという「鷺娘」をいただきました。

若女将の作る美味しい料理を食べながら、それぞれが好みの飲み物を飲むうちに次第に話が弾んできました。

77歳の女将さんが明るくて話し好き、場を明るくしてくれます。

オランダ人の夫妻も会話の仲間入りをして楽しそうです。

最近のオランダは教育が荒廃し、若者の倫理観が廃れて住みにくい国になったと少し愚痴も出ていましたが、老女将の片言英語のユーモラスな話に大笑いしていました。

Conv0031 夕食後部屋に戻りましたが、まだ8時です。まだ眠れそうにもありませんでしたが、テレビを見たり本を読んだりしているうちに、先ほどの「鷺娘」が程良く効いてきて、いつのまにか眠りについていました。

 

妻籠宿→馬籠宿→落合宿→中津川宿 12月12日

妻籠(つまご)宿

  ↓        7.8㎞

馬籠(まごめ)宿

  ↓         4.6㎞

落合(おちあい)宿

  ↓        5.9㎞

中津川(なかつがわ)宿

          日本橋から総計 337.1㎞

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昨晩早く寝たせいか5時頃目覚めました。窓を開けると冷たい風がさあーっと吹き込んできましたが、空を見上げると満点の星空です!

昨日と違って良い天気になりそうです。

夜が明けるにしたがって窓の外には美しい農村風景が広がりました。

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清々しい空気に心も洗われるような気分です。

今日も良い旅になりそうです。

昨晩のメンバーで一緒に朝食を食べた後、それぞれ出立しました。

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宿から外に出ると宿場の通りにはずっと向こうまで人っ子一人見当たりません。

そんな静かな宿場の中を一軒一軒ゆっくりと楽しんで眺めながら歩いて行きました。

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まるで妻籠宿全体を私一人で借り切ったような状態で、贅沢そのものです!

普段は観光客があふれているとのことが信じられません。

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出会ったのは猫が一匹だけでした。人なつこい猫で、自分から近づいて来てなかなか離れようとしません。

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そろそろ宿場のはずれ近くまできましたが、とうとう誰とも会うことなく妻籠宿を離れました。

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そこから細い旧道に入り、しばらく歩くと大妻籠という集落が見えてきました。

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ここは妻籠の奥座敷といわれたところで、広い間口をもった大きな家屋が並んでいます。

妻籠宿に泊まるのも良いが、ここ大妻籠の古い旅籠に泊まるのも良さそうだなあ、と思いながら通り過ぎました。

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その先で街道は馬籠峠に向かう石畳の登り道にさしかかりました。入り口には熊よけのベルが設置されています。できれば熊さんには会いたくないので、力を込めて大きな音でベルを鳴らして登り始めました。

間もなく水の音が聞こえ滝が見えてきました。吉川英治の小説「宮本武蔵」に出てくる舞台となった場所で、雄滝、雌滝の二つの滝が美しい姿を見せていました。

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武蔵はここでお通に対する男としての煩悩をおさえるために滝にうたれたそうです。煩悩のかたまりのような私は一瞬迷いましたが、凍死するのが恐いので身を清めることは止めにして、早々とその場を離れました。

Conv0075 その先、馬籠峠の頂上が近くなったころ一軒の民家が現われました。「一石栃立場茶屋」だったところです。今は旅人の休憩所になっています。

私の足音が聞こえたのか中からおじいさんが出てきて「お疲れさん、中で茶でも飲んでいきなさい。」と声をかけてくれました。

中に入ると囲炉裏に薪が燃えていて香ばしい煙の臭いが漂っています。

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お茶を入れてくれて漬け物と共に出してくれました。歩いてきて喉が渇いていたので何度もお代わりして美味しくいただきました。

話し好きのおじいさんはその間ずっと話し続けています。

彼が言いたいのは、「峠の向こう側の岐阜県はここ長野県と違って中山道や宿場町の保存に関する考え方が間違っている」ということです。

妻籠宿は昔の風情を残した保存に力を注いでいるが、馬籠宿は観光客受けだけを考えて整備し過ぎているということを何度も繰り返し話していました。

Conv0077_2  途中で話を遮ることができず、ついつい小一時間ほど相槌を打ちながら話を聞いていましたが、旅の二人連れが立ち寄ったのを潮時に少しばかりの茶代を置いてそこを失礼しました。

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ちょうど11時ごろ馬籠峠の頂上に着いて、長野県から岐阜県に入りました。

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民家の軒下に干された唐辛子や椿の実の殻などに心を和ませながら道を下って行くと、ちょうどお昼ごろ馬籠宿の入り口にさしかかりました。

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なるほど先ほどの茶屋のおじいさんが言っていたように、ここ馬籠宿は路は石畳できれいに整備され、あまりにも観光地化されすぎているように感じます。

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ここに来たらぜひ訪れてみたいと思っていた島崎正樹とその家族が眠る永晶寺のお墓へ向かいました。正樹は島崎藤村の「夜明け前」の主人公「青山半蔵」のモデルとなった藤村の父親です。

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想像していた通りの田舎の静かなお寺の墓地に、思ったよりずっと質素なお墓がありました。

観光客あふれる馬籠宿の中で、ここは訪れる人もなくひっそりと静まりかえっていました。

馬籠脇本陣資料館や藤村記念館を見学した後、馬籠宿を後にしました。

左手には雪化粧を始めた恵那山がそびえています。

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ここからは十曲峠と呼ばれていた難所の一つで、次の宿場の落合宿まで長く続く石畳路を下っていきます。下りはそんなに大変ではありませんが、京から江戸を目指して登ってくる旅人には確かに辛い登り路だったことでしょう。

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下り続けると3時ごろ民家が見えてきて落合宿に近づきました。今日は落合宿の一つ先の中津川宿が目的地ですので、暗くなる前に着くには少し急がなければなりません。

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落合宿では本陣跡を外から見ただけで 、先を急ぐことにしました。

ここからは中津川宿まで楽な歩きになるだろうと思っていたのですが、上り坂、下り坂が繰り返し繰り返し続く想像以上に大変な「難所」でした。

わざと歩きにくいところに街道を作ったのではないかと思うほど、意地悪な道です。

しかし、ほのぼのとした街道筋の景色を見ながら歩いていると疲れを忘れます。

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最後の上り坂を登り終えると夕陽に照らされた中津川の街が目に飛び込んできました。

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暗くなる前に中津川宿に着くことができてホッとしました。

中津川宿と言えば、名物は「すや」の「栗きんとん」です。先ずはそこを目指しました。

閉店間際の店に入ると静かな昔風のたたずまいの店内に心和む気持ちになりました。

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若い女性の店員さんに栗きんとんを食べたいことを伝えると、畳に座るように勧めてくれて囲炉裏の側で美味しいお茶と共に出してくれました。

「すや」(昔は酢を商うお店だったそうです。)の栗きんとんを食べるのは初めてですが、上品な甘さとなめらかな舌触りに思わずうっとりとしてしまいました。

その後予約していたビジネスホテルを目指して歩き始めましたが栗きんとんで元気が出すぎたせいか、気がついたら中津川宿のはずれまで来てしまい、方角を間違えたことに気付いて再び「すや」の前まで戻りました。

やっとホテルにたどりつき、チェックインをした後、フロントにいるここの社長だという男性にお勧めの「お酒の飲めるお店」をたずねると、彼が唯一薦められる店として、ある居酒屋を教えてくれました。

荷物を置いてさっそく行ってみると、あいにく今日は閉店でした。

しかたなくしばらく歩いて捜しましたが、チェーン店の居酒屋ばかりです。そのうち駅前に一軒のの蕎麦屋を見つけて、あまり期待もせずに入りました。

もう閉店の時間だったそうですが、女将さんが「どうぞ」と席をすすめてくれました。

取り敢えず「だし巻き玉子」と「焼き味噌」を頼んで熱燗を飲むことにしました。

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出てきた玉子も焼き味噌も嬉しいほどの美味しさです!その後、〆にいただいた蕎麦も絶品でした。

美味しい物を食べるときにはいつもそうなのですが、またまた写真を撮るのも忘れていました。

良い気分になって店を出てホテルに戻り、お風呂に入ってぐっすりと眠りました。

 

中津川宿→大井宿 12月13日

中津川(なかつがわ)宿

    ↓      7.8㎞

大井(おおい)宿

       日本橋から総計 344.9㎞

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中津川のホテルで6時に目覚めました。外はまだ真っ暗、テレビの天気予報では今日は雨だと言っています。

ホテルの朝食を7時半に済ませてから出発です。

今日は大湫宿まで約22Kmを歩く予定です。

このホテルは安くて少し貧相な感じですが、社長が礼儀正しく親切な人で気持ちよく過ごすことができました。

歩き始めて間もなく雨がポツポツ降ってきました。

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中津川橋の上から見た恵那山です。上の浮世絵はこの辺りからの景色だと思われます。

宿場内には歴史を感じさせる古い建物がたくさん残っていて、昔の宿場町の趣を残しています。

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老舗らしい商家、清酒の蔵元などが並び、建物の博物館さながらの光景です。

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街を抜けるとまた田園風景が広がりました。ここからはまだ恵那山を望むことができます。

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街道沿いには微笑ましい姿の 双頭一身道祖神がありました。

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しばらくのどかな風景が続きます。

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この辺りで大粒の雨が降り出してきました。街道沿いの池には水紋がポツポツと広がり、清々しい眺めです。

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今日は大湫宿まで歩く予定でしたが、このまま雨が続くようなら大井宿までで切り上げて帰宅しようと思います。

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今日もまた大きな山茶花の木を見つけました。この見事な花の下で雨宿りをすることにしました。

そこでツイッターをのぞいてみると、前回の旅の野尻宿で嬉しい対面をした街道歩き仲間の一人である「ぼんたさん」からメッセージが入っていました。

「飯盛り女が大井宿で待ち構えていますよ!」とのこと、飯盛り女にはめっぽう弱い私はすぐに今日のゴールは大井宿にすることに決定しました。

雨がさきほどより激しくなってきたので、ザックカバーをつけて傘をさして歩き始めました。

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やがて「中山道 是より大井」の石碑があるところに到達しました。

ぼんたさんが大井宿の恵那駅近くの喫茶店で待っていてくださるとのことなので気が焦りますが、ここから駅までまだ3Kmほどありそうです。

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駆け足で本陣跡や枡形を見ながら先を急ぎましたが、恵那駅には予定よりだいぶ遅れて1時半ごろ着きました。

ぼんたさんを長時間待たせてしまいましたが、笑顔で迎えてくれましたのでホッとしました。

そこから彼女の愛車、黒のBMWにに乗せていただき、付知峡倉屋温泉の「おんぽいの湯」へ案内していただきました。

左ハンドルの外車を颯爽と操る彼女の姿に見惚れているうちに「おんぽいの湯」に着きました。

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露天風呂で旅の疲れを癒してすっかりいい気分になった後、湯上がりのぼんたさんにここで食事でもと誘っていただきましたが、どうせ食事をするなら、昨晩の中津川の蕎麦屋の美味しいだし巻き玉子と蕎麦をご馳走したいと思い、中津川駅まで戻ってもらいました。

ところが昨日の蕎麦屋は開店までまだ1時間以上あるとのことで、残念ながら諦めざるを得ませんでした。

他の店を探したあげく、変なとんかつ屋しか開いていなくて、そこで海老フライとミックスフライのようなものを頼みました。

温泉のお礼にもっと美味しい物をご馳走したかったのですが、こんなものでぼんたさんごめんなさい!

私はフライをつまみに焼酎のお湯割りをいただき、お酒を飲めないぼんたさんはフライをおかずにしてご飯を食べていました。

食後、中津川駅前でまたの再会を約束して別れました。

そして6時半の電車に乗り、電車の中でウイスキーと日本酒を買って、一人打ち上げ会をしながら、塩尻経由で我が家に帰りました。

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今回の旅も最後がぼんたさんのお陰でハッピーエンドに終わり、感謝です。

大井宿→大湫宿→細久手宿  4月24日

大井(おおい)宿

   ↓       13.8㎞

大湫(おおくて)宿

   ↓        5.9㎞

細久手(ほそくて)宿

         今日の合計歩行距離 19.7㎞

         日本橋から総計 364.6㎞

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昨年の12月以来、久しぶりの中山道歩きです。

今回は鵜沼宿近くに済む友人夫妻から「自分の家をベース基地にして歩きませんか?」との有り難いお誘いをいただき、それに甘えることにしました。

昨日妻と共に電車で出発して塩尻経由で南木曾駅まで来て、前回ゆっくり見学できなかった妻籠宿を訪れました。

前回は12月の寒い妻籠宿を訪れましたが、昨日は桜や桃やレンギョウなどの花々が咲き揃う春真っ盛りの妻籠宿でした。

折からの春の雨に濡れて木々の新緑や、赤、黄、白の花々が瑞々しい美しさを見せていました

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初めて見る妻籠宿に妻も大喜びです。雨のせいか観光客も少なく、静かな宿場町の情緒を味わうことができました。

ゆっくりと見物してから再び電車に乗り友人宅の近くの駅まで行きました。奥さんが車で駅まで迎えに来てくださり、鵜沼宿を少し見学した後、新築したばかりの家に迎え入れてもらいました。

お互いに夫婦同士での長年の付き合いですので、奥さんと妻も仲良しなのです。

夜は奥さんの手料理でお酒も美味しくいただき、久しぶりの再会を喜び合って、幸せな時間を過ごしました。

Conv0001 さて、今朝は朝食の後、友人の運転する車で4人そろって恵那駅までやってきました。

妻は膝に疾患があり今回の中山道の山道を一緒に歩くことはできないので、友人夫妻に今日はこのあたりを案内してもらうことになっています。

私はここで降ろしてもらって3人と別れ、駅前の広場でストレッチを入念にすませてから大井宿を出立しました。

空は日本晴れ!暑くもなく、寒くもなく、まさに絶好の「街道日和」です。

Conv0002 この日の中山道は交通を遮断して道の真ん中に地元の野菜や花や食品、雑貨などを売る店が並ぶ朝市になっており、開店前の準備中でしたが、活気にあふれていました。

その中を昔の街道の賑わいを思い浮かべながら歩きました。

間もなく町外れに出ると中山道は西行塚の道標から右に折れて、なだらかな登り道になります。

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歩き始めて約1時間、「十三峠」の入り口にさしかかりました。

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そこから少し登ると西行の墓と言われている西行塚がありました。ここは展望台にもなっており、大井宿の町並みや遠く恵那山の姿まで見晴らすことができます。

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Conv0135 そこからさらに登っていくと「槙ヶ根一里塚」がありました。ここは道の両側の塚が揃って残っており嬉しい限りです。

起伏のある山道で、国道として開発されることがなかったが故に今に残ることができたのでしょう。

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その先に「槙ヶ根の追分」の道標がありました。ここから道は左伊勢名古屋、右西京大阪に分かれます。

ここから左に折れてお伊勢参りに行きたい気分にもなりました。

このあたりは十三峠と呼ばれるだけあって、上り坂と下り坂が繰り返し出てきます。いくつか名前をあげてみると西行坂、七本松坂、槙ヶ根坂、みだれ坂、みたらしの坂など、これからまだまだいくつもの坂が続きます。

今日は日曜日であるにもかかわらず、すれ違う人はほとんどいません。静かな山の中の街道を一人汗をかきながら歩いています。

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やがて「首なし地蔵跡」にさしかかりました。地蔵に首がないのは恐ろしい謂われがあるようです。恐い話が嫌いな私は早々に通り過ぎました。

その先の急な坂道を下っていると、下から杖をついた腰の曲がったおばあさんが登ってくるのに出会いました。

「こんにちは!」と声をかけると、顔中を笑顔にしたおばあさんは「お疲れさん。どこから来たん?」と聞きます。

「東京から来て、中山道を歩いています。」と言うと、「えらいねぇ、ほれ、これあげよう。」と手提げ袋から飴を一つ取りだして手のひらにのせてくれました。

おばあさんこそ、こんな険しい道をどこから来て何処へ行くのか不思議に思いましたが、たずねませんでした。お年は85歳だということでした。

おばあさんが坂道を登り切って見えなくなるまで見送って、再び歩き始めました。もらったニッキ飴の美味しいこと、美味しいこと、疲れた体に元気がみなぎってくるようでした。

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ちょうどお昼ごろ「紅坂の一里塚」に至りました。大きな桜の木が花を咲かせています。満開は過ぎていますが、まだ十分に美しいです。

ここで出発前に買ってきたおむすびを食べることにしました。お花見をしながら食べるお昼ご飯は贅沢な味がしました。

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「里すくも坂」あたりにもきれいな桃の花が咲いていました。

その先、大久後の集落からは美しい棚田の風景を望むことができました。

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田んぼで働く父親を小さな子どもがじっと見ている姿が微笑ましくて印象的でした。

そこから先も登ったり下ったりしながらいくつもの峠を越えていくと、やがてカキーン、スコーンという聴きなれた音が耳に入ってきました。

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道ばたの林の途絶えた場所から少し入って行ってみると、目の前にグリーンが現われ、誰かがパターをしている最中でした。

驚くことに、この辺りは中山道がゴルフ場の真ん中を突っ切る形になっているのです。

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地蔵坂を下って「尻冷しの地蔵尊」までやってきました。大湫宿まではもう少しです。

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大湫宿の入り口では見事な枝垂れ桜が出迎えてくれました。

大湫宿の本陣跡は今は小学校になっていました。皇女和宮もここにお泊まりになったそうです。

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神明神社の大杉は樹齢1300年という立派なもので、街道を見下ろしているかのごとく立っていました。

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江戸時代の旅人たちもこの大杉を見上げながら通っていったことでしょう。

夕方の大湫宿は人通りもなく、静まりかえっています。

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大湫宿を抜けてしばらく歩くと大きな二つの岩が目に入りました。昔から旅人にも有名な目印だった「大湫の二つ岩」と呼ばれる岩です。

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そのうちの一つ「母衣岩」は高さは6、7メートルほど、幅は20メートルほどもありそうです。

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やがて琵琶峠の入り口にさしかかりました。ここで冷たい雨が降り始めて急に気温も下がってきましたので、ザックから上着と手袋を出して身につけました。

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ここからは石畳の道が続きます。

琵琶峠の頂上には馬頭観音が祀られていました。

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その横の皇女和宮の歌碑には「住みなれし都路出てけういくひ いそぐともつらき東へのたび」と彫られています。

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石畳の下り坂には桜の花びらが降り敷いており、その上を風流に思いながら歩くのが贅沢に感じられます。

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道ばたの石仏を眺めるのも街道歩きの楽しみの一つです。

6時ごろ細久手宿の旅籠、大黒屋前に着きました。

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今日は友人がここまで迎えに来てくれると言っていたのですが、申し訳ないので電話でタクシーを呼んで御嵩駅まで行くことにしました。

タクシーを待つ間に、ザックから草大福を取りだして食べました。

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一日歩いて疲れた体に大福の甘さが何とも言えず美味しく感じられました。

御嵩駅から電車を乗り継いで友人の町の駅に着くと、彼が迎えに来てくれていました。

夜はまたゆっくりと風呂に入らせてもらい、奥さんの手作りの料理とお酒をいただきながら、4人で楽しく語り合いました。

細久手宿→御嵩宿→伏見宿  4月25日

細久手(ほそくて)宿

   ↓       11.8㎞

御嵩(みたけ)宿

   ↓        3.9㎞

伏見(ふしみ)宿

       日本橋から総計 380.3㎞

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5時40分起床。朝食の後、友人の車で細久手まで送ってもらいました。妻は今日は友人の奥さんと一緒に名古屋城見物に出かけるそうで嬉しそうです。

皆で大黒屋の前で記念写真を撮り合ってから、3人は来た道を再び下っていきました。

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9時ごろ昨日のゴール地点「大黒屋」の前をスタートしました。

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細久手を出るとすぐに石を積み上げて作った洞の中に観音様が祀ってありました。「細久手坂の穴観音」です。

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このような道祖神や石仏などを見ると、昔の人たちが大切にお守りして旅の無事を祈っていた様子が伝わってきて、思わず手を合わせたくなります。

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その先の「秋葉坂三尊」も丁寧に作られた石室の中に納められた石仏です。

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このあたりから大音響の雷を伴う雨が降ってきました。近くに落雷があったのかサイレンの音と防災無線で何か呼びかけている声が聞こえます。

そのうち雹がパラパラパラと音を立てて降ってきましたが、林の中の街道をさらに歩き続けます。

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鴨之巣一里塚にさしかかりました。大井宿からここまでの一里塚はほとんどが道の両側に残っていて嬉しい限りです。

山中であるが故に、後の時代の開発から逃れることができたのでしょう。

やがてまた陽が差して暖かくなってきました。

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誰一人歩いていませんが、頭の中にははちょんまげ姿のお侍、商人、虚無僧、可愛い町娘とその母親らしい二人連れなどが歩いている姿が思い浮かびますので退屈することがありません。

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美しい竹林に沿った路もまた風情があります。

お昼にはまだ少し時間がありますが、津橋村観音堂の石段が休憩にちょうどよさそうだったので、荷物を降ろして座り、友人の奥さんが作ってくれたおにぎりをいただくことにしました。

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心のこもったおにぎりの味はまた格別、またまた力が湧いてきました。

その後も美しい春の景色を楽しみながら歩きました。

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まさに百花繚乱で一人で観るにはもったいないほどです。

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謡坂(うたうさか)の途中にある「唄清水」、昔は旅人に美味しい水を提供していたそうです。

「馬子唄の響きに浪たつ清水かな」の句碑があります。

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上の左は「十本木茶屋跡」です。ここは右側の広重の「御嵩宿」の浮世絵に描かれた場所だという説があるそうですが、確かに向こうから上がってくる坂がありその雰囲気はあります。

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その先の謡坂の石畳を下っているとまた雷が鳴り始めました。先ほどからころころ変わるお天気ですが、それもまた楽しと思いながら歩き続けます。

謡坂から少し脇道に入ったところに「聖母マリア像入り口」という標識がありました。

行ってみるとマリア様が祀られており、千羽鶴や花が供えてありました。

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説明板によると、この付近でマリア像や十字架を刻んだ石などの隠れキリシタンの遺物が掘り出されたことから「七御前遺跡」と呼ばれてマリア像が祀られることになったそうです。

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その先に「耳神社」がありました。ここにお供えしてある錐(きり)を耳に当てると耳の病が治るとの言い伝えがあり、回復したら自分の歳の数の錐を奉納する風習があるという珍しい神社です。

そこからしばらく歩くと「牛の鼻かけ坂」に至りました。ここはあまりの急坂に、登ってきた牛の鼻が欠けてしまうほどだったことから名付けられたとのことです。

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先ほどから急に気温が下がり寒くなってきたので、ここで少し休憩してザックに入れておいた魚肉ソーセージを食べました。

子どもの頃から魚肉ソーセージ大好きの私は大満足、体も中から温まってくるような気がしました。

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2時ごろ御嵩宿の入り口に至りました。和泉式部の墓だといわれる「和泉式部廟所」がありました。和泉式部はここで亡くなったという古くからの言い伝えがあるそうです。

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郷土資料館の「中山道御嵩館」を見学しようと思っていましたが、今日は残念ながら休館日でした。

本陣跡などを外から見学しながら歩き、御嵩宿を通り抜けました。

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途中「鬼の首塚」に立ち寄ったりしながら歩いていると間もなく伏見宿に入りました。

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4時半に本陣跡に着きました。今日の中山道歩きはここをゴールにして、明智駅から電車で友人宅へ戻ることにします。

昨日と今日の二日間で歩いた大井宿から伏見宿までの街道は中山道の中でも最も楽しいルートの一つではないかと思いました。

天候は少し不安定でしたが、ゆっくり歩いて街道情緒を十分に満喫することができました。

友人宅で今宵もまた美味しいお酒と食事をいただき、幸せな眠りにつきました。

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そして翌日は友人夫妻に扶桑緑地公園、犬山城、有楽苑などを案内してもらいました。

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有楽苑の中の茶室「如庵」はツイッター仲間のYさんに勧めていただいたのですが、その魅力に惹きつけられて立ち去りたくないほどの気持ちになりました。

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美味しいお茶とお菓子もいただき忘れられない旅の締めくくりになりました。

伏見宿→鵜沼宿 8月27日

伏見(ふしみ)宿

   ↓           7.8㎞

太田(おおた)宿 

   ↓           7.9㎞

鵜沼(うぬま)宿  

       今日の歩行距離合計    15.7㎞

日本橋からの総計距離  396.0㎞

今回もまた前回と同じ友人宅にお世話になりながら街道を歩くことになりました。また妻も一緒です。

昨日(8月26日)は青春18きっぷを使って早朝の電車で出発しました。

妻にとっては生まれて初めての18きっぷの旅で、各駅停車の電車の窓から嬉しそうに外を眺め、電車が駅に停車する度に駅の名前を一つずつメモしては楽しそうにしています。

スマートフォンでちょっとネット検索すると駅の名前はズラッと一覧表になって出てくるのですが、あえてそのことは黙っていました。

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途中塩尻駅で中津川行きのワンマン電車に乗り換えて11時ごろ奈良井宿に着きました。

前回一人でここを訪れたときにはスイス人の青年に出会った懐かしい宿場町です。

今回は妻にこの町並みを見せたくて寄りました。

18切符は何度途中下車をしても1日2300円ですので、このような旅には便利です。

宿場の端から端まで往復して見物した後、徳利屋という店に入りました。

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囲炉裏の側の席に案内され、まずはビール!五平餅と蕎麦なども注文しました。

すべて美味しく、二人ともきれいに残さずいただきました。

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妻は奈良井宿を気に入ってもう少しゆっくりしていたかったようですが、今日は友人宅にお世話になることになっているので、短時間の見物で切り上げ再び奈良井駅から電車に乗りました。

途中、前回と前々回の旅でお世話になったツイッター仲間のぼんたさんからツイッターで連絡があり、私の妻にもぜひ会いたいとのことで今日お会いすることになりました。

夕方、鵜沼駅経由で友人の住まいに近い扶桑駅に降り立ちました。

駅には友人の奥さんが車で出迎えに来てくださっていました。

間もなくぼんたさんもその駅まで来てくださり、お互いを紹介し合いました。

友人の奥さんが「では、ご一緒に我が家に」と誘ってくれましたので、ぼんたさんもそのまま一緒に友人宅へ向かいました。

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その夜はぼんたさんと友人夫妻、私たち夫婦の5人で奥さん手作りの美味しい料理で楽しく会話をしながら夕食を共にしました。

友人が畑で作った新鮮な野菜を使った料理が次々に出されて、ぼんたさんも美味しそうに食べていました。

夕食の後、ぼんたさんが愛車の黒のBMWで帰るのをみんなで見送った後、明日の歩きに備えて早めに寝ました。

******ここからいよいよ本来のブログに戻ります*******

8月27日、6時ちょうどに目覚ましで起きました。

美味しい朝食をいただいた後、友人が車で今日のスタート地点「伏見宿」まで送ってくれました。

今日は起伏の少ない道程ですので、午前中は妻と友人の奥さんも一緒に歩くことにしました。

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伏見宿の中心にある「一本松公園」を8時半にスタートしました。

歩き始めるとすぐに猛烈な日差しが照りつけてきました。

街道歩きにはまだ暑すぎる、9月まで待てば良かったかと思いましたが、女性二人は思ったより元気です。

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宿場のはずれに真新しい石碑がありました。恵土の一里塚跡です。江戸から九十七里、京へ三十七里とあります。

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一里塚近くの道端には、この季節には珍しい黄色のコスモスが咲いていました。

愛知用水を越えてしばらく歩くと太田橋に差しかかりました。ここは太田の渡しがあったところです。

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橋の下に下りてみると、その水の流れの速いこと、そして川幅の広いことに驚きました。これでは泳いで渡ることなどできそうにありません。昔は舟で渡ることさえ大変だったことでしょう。

川越が昔の旅人にとって想像以上の難事だったことがよく分かります。

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橋を渡って向こう岸の土手道に沿って歩きます。日差しを遮るものがないので焼けるような暑さですが川風が心地よく感じられます

神明水神様の横を上がると、そこはもう太田宿の入り口でした。

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太田宿では本陣跡や脇本陣跡、中山道会館などを見学しました。姫たち二人も興味深げに熱心に見学していました。

中でも中山道会館は相当にお金を掛けて作られた施設のようで、展示物などもよく工夫されていて楽しく見学をさせてもらいました。

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造り酒屋「御代桜酒造」もあります。建物の白と黒のコントラストが実に美しくしばらく眺めていました。

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脇本陣林家住宅は昭和58年の大水害で大きな被害を被ったそうだが、見事に修復されていて見甲斐のあるところでした。


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太田宿をゆっくり見学している内にお昼の時間になりました。

三人でうなぎ屋さんに入り、「まぶし」を注文しました。

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町の人に美味しいよと勧められて入っただけあって、鰻好きの私にはたまらないほどの美味しさでした。

ゆっくりと昼食を済ませて、奥方二人とはうなぎ屋さんの前で別れました。

時間はもう一時半になっています。ここからは少し速度を上げて鵜沼宿を目指して一人で歩きます。

太田宿を出る手前に味のある店構えの酒屋さんがありました。

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こんな酒屋で買った酒は美味しいに違いありません。

太田宿に別れを告げてしばらく歩くと美しい景色の場所に差しかかりました。

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ここは日本ラインロマンチック街道と命名されているそうです。

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そう言えばライン川のローレライあたりに似ているような気もします。

さらに川沿いに進むと坂祝の岩屋観音に出ました。階段を上ると岩窟の中に観音様が安置されていました。

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昔の旅人はここで旅の安全を祈ったことでしょう。またここからは崖の下を流れる雄大な木曽川の流れも一望できて、東から渡ってきた人たちにとってはホッと一息つく場所でもあったに違いありません。

そこから1キロ足らず先に「うとう峠」の入り口がありました。国道下のトンネルを通って登り口に向かいます。

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そこからしばらくは山道のような小径を枯葉を踏みしめながら心地よく歩きます。

やがて「うとう峠」の頂上に着きました。頂上は「いこいの広場」という公園になっています。うとう峠の一里塚跡もありました。

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そこからは鵜沼宿に向かう下り道です。途中の合戸池あたりで道を間違え違う方向に下って行き、20分ほどロスをしましたが、無事に鵜沼宿入り口にある大安寺大橋に着きました。

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橋を渡るとすぐに左手にきれいに整備された駐車場があり、その前には鵜沼宿町屋館があります。

宿場全体がよく整備されていて、各務原市が宿場の保存に力を入れていることが伝わってきます。

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町屋館に入ると中は資料館になっていて、物腰の柔らかな男性が丁重に迎えてくださり、館内を丁寧に案内してくださいました。

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またその隣には脇本陣の建物を忠実に復元した、まだ木の香も新しい脇本陣が建っています。昨年平成22年に完成したばかりだそうです。

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街道沿いの宿場の様子はその土地の自治体の姿勢によって大きく違ってきます。ここ鵜沼宿は各務原市が力を注いでいるらしく、今もなお道路の補修作業などが進められていました。これからもますます大切にされ歴史的価値を残していくことでしょう。

今日はここをゴールにして、近くの高山本線鵜沼宿駅から友人宅まで電車で戻ることにしました。

この夜もまた友人宅で美味しい夕食とお酒をご馳走になりました。

そして友人たちとの語らいで楽しく過ごして床につきました。

鵜沼宿→加納宿 8月28日

鵜沼(うぬま)宿

   ↓         16.8Km

加納(かのう)宿

日本橋から総計    412.8Km

今朝もまた友人夫妻と妻の3人がスタート地点の鵜沼宿まで送ってくれました。

3人が町屋館前で手を振ってくれるのに振り返って応えながら歩き始めました。

本来は一人旅であるはずの中山道歩きが、ここ何回かは友人宅に泊めてもらっているお陰で、もったいないほどの贅沢で恵まれた旅になっています。

そのことに感謝しながら歩いていると宿場のはずれにお寺が見えてきました。

空安寺です。

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落ち着いた佇まいの瀟洒な境内です。

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入り口に立っているお地蔵様も美しい顔をなさっています。

朝方は曇っていて少し涼しく感じられましたが、急に青空に変わり、強い陽射しが照りつけてきました。

その後、陽を遮るものが何もない国道沿いの道が続きます。

街道歩きで一番面白くなく、そして辛いパターンです。

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途中、やっと現れたコンビニでアイスを買って一息つきました。

熱中症寸前でぼーっとしている頭がこれでシャキッと冷やされました。

そのまま歩き続け各務原市街に入りました。

ガストがありましたので、迷わずそこに入りました。

まだ11時ですが、この先お店がある保証はありませんので、早めの昼食をとっておくことにしました。

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シーフードピザとアイスコーヒーの昼食。食べるとみるみるうちに力がみなぎってきました。

そこでツイッターでつぶやいたり、地図を確認したりしながら約1時間も休んでいました。

さて、次の加納宿を目指して歩き始めましたが、どこまで行ってもかんかん照りの道が続いています。

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トイレに行きたくてもお店がまったく現れません。

先ほど早めに昼食を済ませておいて正解でした。

手力雄神社入り口の鳥居のところまできました。

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この辺りは人通りもなくお店もまったくありません。

なぜか鰻屋が一軒ありましたが、トイレだけで鰻屋に入るのも気が引けるし、それかと言ってトイレのために高価な鰻を食べる気にもならず、そのまま我慢をして通り過ぎました。

少しはずれて大きな国道に出れば何かお店があるのでしょうが、街道沿いには何も見当たりません。

その少し先に「細畑の一里塚」がありました。ここは道の両側に残っていて、どちらにも榎の大木が青空に枝を広げています。

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いよいよ膀胱がパンパンになり破裂寸前というときに名鉄の茶所駅の手前に喫茶店を発見しました。

やれやれという思いでトイレに駆け込み用を足した後に飲んだアイスコーヒーの美味しいこと美味しいこと! 感動的です。

その後、いろいろな道標などを一つ一つ楽しんで眺めながら歩いていると加納宿に入りました。

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加納宿の本陣跡には小さな標柱が立っているだけで少し寂しい気持ちがしました。

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しかし、別の場所に右のような立派な案内板も作られていましたので安心しました。

まだ3時前ですが今日はここ加納宿をゴールにすることにしました。

先ほどからどうしてもかき氷を食べたくなったので、ここから岐阜駅まで歩き、駅の周辺をかき氷を求めて歩き回りました。

30分以上歩き回ってもかき氷の旗が見つからず、残念でなりません。

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この暑さの中に平然と立っている織田信長の金ぴかの像が恨めしく見えます。

仕方がないので喫茶店に入りリンゴジュースを飲んで涼をとりました。

その後、名鉄新岐阜駅から電車に乗って友人宅へ戻りました。

そして夜はまた夕食時に美味しいお酒を飲みながら楽しく語り合い、その後早めに床に入り眠りにつきました。

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その翌朝は友人夫妻と私たち夫婦の4人そろって、友人の車で一昨日歩きながら乗ってみたいと思っていたライン下りの舟に案内してもらいました。

犬山市の乗り場まで行き、そこから舟に乗り込みました。

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舟が川中に出ると涼しい風が吹いてとても良い気持ちです。

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13キロ、約1時間の船旅はとても爽やかで気持ちよく、美しい景色も十分に楽しみました。

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そして犬山城の下で舟を下りました。

そこから犬山駅まで行き、そこで友人たちと別れて電車に乗り、名古屋経由で東京の自宅へ戻りました。

名古屋で新幹線に乗る前に、駅ビルの中の山本屋総本店で味噌煮込みうどんを食べました。これは私の大好物です。

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汗をかきながら美味しくいただき、お腹が一杯になりました。

しかし、もう一つ名古屋では食べておかねばなりません。

新幹線のホームの立ち食いの店で仕上げにきしめんを食べました。

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これも最高に美味しくて、今回も大満足の旅でした。





加納宿→赤坂宿  9月9日

加納(かのう)宿

   ↓          5.9Km

河渡(ごうど)宿

   ↓          4.7Km

美江寺(みえじ)宿

   ↓          8.7Km

赤坂(あかさか)宿

       今日の合計歩行距離   19.30Km

 日本橋から総計歩行距離   432.1Km

今回もまた青春18切符で出かけました。また妻も一緒です。

昨日(9月8日)の早朝家を出て各駅停車の電車を乗り継ぎ南木曽駅で途中下車しました。

そこからバスで馬籠宿へ向かいました。今回も妻に初めての馬籠宿を見せることが目的です。

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石畳の道は照り返しで暑いのですが、観光客で賑わっていました。

馬籠宿は坂道にできた珍しい宿場です。一番上の入り口から入り坂道を下って行きました。

途中の店で昼食に蕎麦を食べた後、食後に「宇治金時ミルク」のかき氷をいただきました。

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白玉入りがなかったのは残念でしたが、暑さの中を歩いた後なのでこの上なく美味しく感じました。

馬籠宿の反対側のはずれからバスに乗り中津川へ出ました。

中津川では「すや」に寄り、シーズンが始まったばかりの「栗きんとん」を購入し前回に引き続きまたお世話になる友人宅への土産にすることにしました。

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その後、中津川駅からまた電車を乗り継ぎ鵜沼宿近くに住む友人宅を目指しました。

その夜もまた友人夫妻のあたたかいもてなしを受け、奥さん手作りの美味しい食事とビール、日本酒、ウイスキーなどをいただきながら、楽しく語り合いました。

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9月9日(金)

友人が飼育している鈴虫の優しい音色で気持ちよく目覚めました。

今日は友人の奥さんと妻も一緒に3人で家を出て今日のスタート地点加納宿を目指します。

名鉄新岐阜駅から前回のゴール地点加納宿へと行き、そこから8時ごろ出発しました。

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今日は途中まで3人一緒に歩きます。加納宿のはずれにある空き地でストレッチをした後、歩き始めました。

Conv0011歩き始めてすぐに東京では見かけないオール100円の自販機がありましたのでお茶を買いました。

Conv0012途中分かりにくい道で迷いそうなところが何箇所かありましたが、タイミング良く分かりやすい案内の表示があって助かりました。

10時ごろ長良川を渡る「小紅の渡し」の案内板のところに着きました。

今日はこの「小紅の渡し」を渡ることが最大のイベントです!

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石段を上がって土手を越え川岸まで行くと、向こう岸の土手の上に船頭小屋が見えました。

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先ほど出会った地元の人の話では「お~い」と手を振るとすぐに来てくれますよ、とのことでしたので3人で声を合わせて「お~い!」と叫びました。

カメラのズームレンズで見ると小屋の中には確かに人がいるのが分かります。

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そしてこちらに顔を向けたのも分かるのですが、全然立ち上がる気配がありません。

今度は3人でさらに大きな声で叫びながら手に持ったタオルなどを振りましたが、それでも立ち上がる気配がありません。

約40分間叫び続けてそろそろ声がかれて喉が痛くなってきたころ、小屋の中の人がやっと立ち上がって、ゆっくりゆっくりとした動作で石段を下りて来ました。

そしてゆっくりともやい綱をほどき、やっとのことで舟を川に出してこちらに向かって近づいてきました。

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ようやく舟に乗り込みます。

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船頭さんは見るからに人の良さそうなおじさんでした。

「おじさん、ずいぶん長い間大声で呼んだり、手を振ったりしていたんだけど、見えなかったのですか?」と聞くと、

「あ~あ、あそこはいろんな人が来てラジオ体操をやることがあるので、あんたたちもラジオ体操をしてるんだとばかり思っていたよ・・」

(そんな馬鹿なことがあるか(-_-#) と思いましたが、善良そうなオジサンですのでそれ以上詮索しないことにしました。

しかもこの渡しは岐阜市の管轄で運営されており無料ですので、40分ぐらい待たされても、声が枯れて喉が痛くなっても文句は言えません。

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舟の上はひんやりとした川風が心地よく頬を撫でてくれて、それまでの汗も引いていきます。

間もなく無事に向こう岸に着いて、再び土手道を歩き始めました。

土手道から振り返ると今朝出発した加納宿(岐阜市)の方角に金華山が見え、頂上にポツンと岐阜城が認められました。

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そこから30分ほどで河渡宿入り口に着きました。

河渡宿入り口には「馬頭観世音菩薩」が祭ってありました。


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この河渡宿は度重なる長良川の氾濫に加えて戦災にも遭い、ほとんどの遺構は消失してしまって宿場町を偲ばせるものは何も残っていないようです。

女性二人とはここまで歩いて別れる予定だったのですが、二人ともまだ歩けそうだとのことなので次の美江寺宿まで歩くことになりました。

Conv0028そこからしばらく歩くと街道沿いに一件の寿司屋がありました。他には食べる店もなさそうですので、ここで昼食にしました。

このあたりは他に店がないので、街道歩きの人がよく寄っていくと女将さんが言っていました。

1時半ごろ美江寺宿に着きました。

このあたりは道標や案内板なども分かりやすく整備されていて「旅人に優しい町」という感じがしました。

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ここで、ツイッターでの街道歩き仲間のでこちゃさんが後ろから追いついてきました。

同じく今日たまたま近くの街道を歩いている彼と昨日から連絡を取り合って、今日はどこかで出会う約束をしていたのです。

彼を妻や友人の奥さんに紹介して、彼女たちが乗る電車が美江寺駅に来るまでしばらく4人で楽しく談笑しました。

好青年のでこちゃさん(もう二人のお子さんの父親ですが)のことを女性二人は大変気に入ってくれたようで、私も鼻が高くなる思いでした。

肖像権の関係で一緒にとった写真をアップできないのが残念です。(本当は妻が自分の顔をアップされると恥ずかしいと言っているのですが・・)

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女性二人が乗り込んだ電車を手を振って見送った後、今度は男二人で歩き始めました。

でこちゃさんとは2月にツイッターの街道歩き仲間のオフ会で日本橋に集まったときにお会いしたのが初めてで今日は二度目の出会いです。

しかし、毎日のようにツイッターで語り合っていますので、もう旧知の仲のように心が通じ合い、お互いに楽しく談笑しながら歩きました。




Conv0048_2揖斐川を渡りました。
途中それぞれに写真を撮ったり、ツイッターでつぶやいたりしながら歩きます。

Conv0052このあたりは和宮ゆかりの場所や石碑がいくつか見られます。小簾紅園(おずこうえん)という場所には塚が築かれており、立派な歌碑もありました。

「落ちてゆく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」

Conv0054平野井川の土手に大きな石の道標がありました。「右すのまた宿道 左木曽路」と彫ってあります。相当に古いものですので、昔の旅人はこれを見ながら歩を進めことでしょう。

間もなく「赤坂宿」に近づきました。私は今日はここでゴールにする予定です。

しかし、でこちゃさんは今日はこの二つ先の「関ヶ原宿」まで歩きたいとのこと。

「いやあ、もうここで切り上げて、久しぶりの再会を祝して一杯やりましょうよ!」と誘惑をしました。

最初は躊躇していた彼もやはり酒の誘惑には勝てなかったようで、一緒にここで切り上げて飲むことにしました。

Conv0055彼は今晩の宿は岐阜駅の近くにとってあるとのことで、東赤坂駅から二人で岐阜駅に戻りました。

岐阜駅に着く前に同じツイッターの街道仲間で前回友人宅まで来てくれた「ぼんたさん」にでこちゃさんが連絡をとってくれました。

すると彼女も名古屋から岐阜に駆けつけてくれるとのこと、嬉しい展開になりました。

友人宅に電話をして帰りが遅くなることを断った上で、岐阜駅近くの居酒屋に入りました。

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早速二人で乾杯!この店は馬刺しや馬のレバ刺しなど、馬料理がメニューにずらり! 

「これはウマい!!」と言いながら美味しく飲み、そして食べました。

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やがて名古屋からぼんたさんも到着し、3人で乾杯! 夜は一層盛り上がっていくのでした。

赤坂宿→関ヶ原宿→柏原宿 9月10日

赤坂(あかさか)宿

   ↓            5.2Km

垂井(たるい)宿

   ↓            5.5Km

関ヶ原(せきがはら)宿

   ↓            3.9Km

今須(います)宿

   ↓            4.0Km

柏原(かしわばら)宿

 

        今日の合計歩行距離   18.6Km

 

日本橋から総計歩行距離  450.7Km

6時起床、友人宅で取れ立て野菜をふんだんに使った美味しい朝食をいただいてから電車で出発しました。

岐阜経由で昨日のゴール地点東赤坂駅まで戻ってきました。

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昨日一緒に歩いたでこちゃさんは今朝は私より早くここからスタートしています。

私は今日は9時少し前にスタート、赤坂宿の手前にある白山神社でストレッチをしてから歩き始めました。

杭瀬川を渡るとそこは赤坂宿です。

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入り口に火の見櫓がそびえています。その向かい側には赤坂港跡の洋風の建物が見えてきました。

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ここは川の港(湊)として賑わったところで、この港と名古屋の間を往復する川舟は一時は350隻にものぼったそうです。

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船着き場がきれいに修復されて復元されていました。

この洋風の白い建物は今は「赤坂港会館」という資料館になっています。

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靴を脱いで上に上がらせてもらうと、80歳になられるという女性が赤坂宿についていろいろな話をしてくださいました。

面白い話でいつまでも聞いていたいとは思いましたが、スタートしたばかりでこれから先を歩かなければならないので、途中で失礼しました。

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朝から既に猛烈な暑さですので、近くの店でアイスを買って食べました。

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本陣跡は建物は残っておらず、石碑だけです。

さらに進むと土蔵造りの家に挟まれた趣のある路地があったり、古い建物が残っていたりして宿場町らしい風情が感じられます。

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宿場の駅「五七館」や「お嫁入り普請探訪館」などの資料館のようなものもありますが、あまりゆっくり見学する時間もないので、ざっと一通りみせてもらうだけにしました。

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それでもこの赤坂宿を通り抜けるだけで1時間半もかかってしまいました。

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ここには廃線も残っていました。今は草が生えて使われていませんが、昔はこの土地の名産品である石灰を運ぶために貨物列車が盛んに通っていたと思われます。

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赤坂宿を出ると間もなく「昼飯町」という面白い地名の場所に差しかかりました。

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昔、難波の海で拾い上げられた如来像を善光寺に納めるため、それを運んでにここを通った人々がこの地で美しい景色を眺めながら昼飯(ひるめし)を食べたのでこの名がついたそうです。

 

しかし、後に「ひるめし」では下品なので「ひるいい」「ひるい」と呼ばれるようになったとのことです。

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その先には奈良時代に建てられた国分寺に至る道があり、道標が立っています。またすぐ近くの一里塚跡には常夜灯が立っていました。

 

太陽がじりじりと照りつける中を歩き、やがて垂井宿に入りました。

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すぐに目に入ったのは旅籠「亀丸屋」です。昔は飯盛り旅籠だった古い建物ですが今でも現役の旅館として営業しています。

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安永7年(1778年)の建物だそうです。

焼けるような暑さの中に宿場全体が静まりかえっています。

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旅籠「長浜屋」で荷物を下ろして一休みさせてもらいました。今は無料休憩所兼ちょっとした資料館になっています。

 

ここにはまた話し好きなおじいさんがいて、しばらくこの宿場町の話を聞かせていただきました。

 

そろそろお腹が空いてきたので、どこか昼食を食べられる所はないか尋ねると、すぐ近くの食事処を教えてくれました。

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そこでカウンターの中の大将の勧める刺身定食をいただきました。イサキと鮪の刺身はとても美味しかったのですが、大将が話し好きで食べている間中話しかけるので、うなずいたり相づちを打ったりするのに忙しくてゆっくり味わうことができませんでした。

 

しかし、人の良い大将とその気さくな女将さんとの出会いは嬉しいものでした。

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この垂井宿には本龍寺という立派なお寺があります。このような小さな宿場町に似つかわしくないほどの立派なお寺です。

 

また築200年ほどの古い商家なども残っていて宿場町の趣が感じられます。

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宿場の家並みを抜けたところに垂井の一里塚があります。

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この一里塚はほぼ原型を留めており、国の史跡に指定された一里塚はここと板橋区の志村の一里塚の二カ所だけだそうです。

 

間もなく関ヶ原宿が近づくと共に、それらしい有名な史跡が現れ始めました。

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徳川家康が最初に陣を張った桃配山です。途中まで上がりましたが、暑さで頭がくらくらするので頂上までは行きませんでした。

 

今日は街道歩きはここで終わりにして関ヶ原の戦の跡を見学して回ろうかとも考えましたが、それは次の機会に回して今日は歩き続けることにしました。

 

3時ごろ不破の関跡に差しかかりました。

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その先には小さな川が流れています。この藤川(藤古川)を挟んで壬申の乱では両軍が対峙したところで、当時の軍事上の要害の地だったそうです。

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この小さな川が歴史上重要な地点だったとは信じがたいことです。

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そこから暑さにあえぎながら歩いて行くと「鶯の滝」がありました。昔は旅人たちが涼を求めてしばし休んだところだそうですが、今はあまりきれいな滝とは言えません。しかし、昔を偲びながら滝の横の階段に座って一休みしました。

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その少し先に「常磐御前の墓」がありましたのでお参りをしました。

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この辺りではもう稲刈りが始まっています。

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そこから街道は今須峠に差しかかります。峠の途中に流れる湧き水で顔を洗いました。酷暑の中、生き返るような思いです。

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やがて4時頃、今須宿の手前の「今須の一里塚」に差しかかりました。

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今須宿に入りました。いかにも街道沿いの宿場町らしく落ち着いた佇まいです。

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小さな今須宿はあっという間に通り過ぎました。

やがて車返しの坂を過ぎて寝物語の里に入りました。

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ここは小さな流れを境に近江国と美濃国の国境であったところです。

今は実に頼りないほどの細い溝を挟んで国境の標柱が立っています。

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そこからさらに進むと柏原宿に近づいて来ました。

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5時ごろ柏原宿に入りました。もう日も傾いてきたので今日はここをゴールにして帰ることにします。

柏原駅に着くとちょうど電車が入ってくるところでした。これを逃すと1時間近く待つことになりそうですので、慌てて階段を駆け上り反対側のホームへ駆け下りてぎりぎりのところで電車に乗り込みました。

そこから電車を乗り継いでまた友人宅へ戻りました。

その夜もまた美味しい食事とお酒をご馳走になり、いい気分で早めに床に入り眠りにつきました。

今回もまた友人夫妻にはすっかり甘えて世話になりました。

3回も続けて彼らの家を拠点にして歩かせてもらい、まるで殿様の旅のように恵まれたものになりました。

「もつべきものは友」と昔から言われますが、このように旅先でのあたたかいもてなしは特に有り難く、嬉しく感じられるものです。

遠く江戸の時代の旅人たちもこのような人情を感じつつ旅をしたのであろうと肌で感じました。

感謝!

翌11日は友人の奥さんに長良川の「草井の渡し跡」に案内してもらいました。

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この近くで生まれ育った彼女は高校時代ぐらいまで、まだここの渡し船に乗って対岸に渡っていたそうです。

時には自転車と共に乗ったという話が面白く感じました。

その後、近くの駅まで送ってもらい、そこから名古屋に出て、妻と共に徳川美術館を見学してから新幹線で東京に戻りました。

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