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2007.10.22

知立~鳴海~宮へ 10月7日

7時起床。ホテルで朝食を済ませた後、8時に出発しました。空は美しい快晴で気持ちのよい朝です。

昨日の最終地点の古い和菓子屋さんの前まで戻り、そこから再び東海道を歩き始めます。

今回の旅は今日で3日目ですが、足は全く疲れを感じません。今日も快適に歩けそうです。

Photo 知立の町を出てすぐに逢妻川(あいづまがわ)にかかる逢妻橋を渡るとしばらく街道は1号線に沿って続きます。その後しばらく歩くと東海道は国道から分かれ、農家風の落ち着いた家並みが続きます。

Photo_2 そこから1キロほど歩くと「三河の国」と「尾張の国」の国境であった境川にかかる「境橋」を渡ります。

11時ちょうど、桶狭間の古戦場跡に着きました。今は史跡公園として整備されており、今川義元の墓などがあります。

Photo_3 Photo_4 400年少し前に織田信長がここで今川義元の陣地を急襲して討ち取った場所だということを考えると、またまた歴史の中にいる自分を感じます。

それにしても学生時代にもっともっと歴史の勉強をしておけばよかったとつくづく悔やまれます。いつも東海道の旅をするときには事前にいろいろな本を読み地理や歴史の予習をしてくるのですが、それでも歴史の知識がしっかりと身についていないために十分に名所や史跡などを味わっていない自分がいて、情けなく思われます。

しばらく古戦場の雰囲気の中で時間をすごした後、再び歩き始めました。

そこから1キロほど歩くと「有松」の町に入ってきました。ここは知立と鳴海の「間の宿」です。380年の伝統の技術を伝える絞り染め「有松絞(ありまつしぼり)」で有名なところです。

Photo_5 Photo_7 広重の「鳴海(なるみ)宿」の絵にもここの絞り染めの店で買い物をする人の姿がが描かれています。

おそらく江戸時代にはここの「有松絞」の着物や袋物などは、女性にとっては現代の「シャネル」や「アルマーニ」「ディオール」のような魅力のあるものだったのでしょう。お土産品としても相当高価なものであったようです。

Photo_6 この宿場は昔の風情を残した建物が街道に沿って並んでいます。それだけでも感激なのですが、今日はたまたま運よくこの町のお祭りの日でした。

Photo_8 小さな町には不釣合いなほどの大きくて立派な山車(だし)が3台も出ており、絞り染めのはっぴを着た人たちが大勢でそれを引いています。

どの人も晴れやかで多少上気した顔をしており、祭りの喜びがこちらにも伝わってきます。お囃子も素朴な中に賑わいがあり、往時の街道の賑わいを感じさせてくれます。

Photo_10 このあたりのお祭りにはどこも大きな天狗や怪物のようなものが出るようです。小さな子どもたちはそれを怖がって大きな声で鳴いていました。

Photo_11 大人たちは「どうして怖いのよ。ヤツデのうちわで頭をなでてもらうと強い子になるのよ。」などと言っていましたが、小さなころから獅子舞や天狗などが嫌いだった私には今でもこの「怪物」たちが怖く感じられて、小さな子どもたちが泣いている気持ちがよく分かりました。

Photo_12 ちょうどお昼の時間になったので有松宿の中にある「寿限無茶屋」という古い商家建築の手打ちうどん屋に入り、名古屋名物の「きしめん」で昼食をとりました。中はお客さんで満員でしたが、外から聞こえるお囃子の音を聞きながら美味しくいただきました。

しかし、東海道の旅をしていてお祭りに出会ったのはこれが初めてです。おそらく何百年もの間続けられてきた祭りでしょうから、それを思うと自分も昔の世界に引き戻されるような気がします。

もう少し見ていたい気持ちを抑えて、有松の町を離れました。

Photo_13 12時40分「鳴海(なるみ)宿」の入り口に到達しました。入り口には立派な常夜灯が立っています。

鳴海は来週がお祭りらしく、人々がその準備に励んでいました。

鳴海は江戸時代には海の近くで、潮の音が聞こえたところから「鳴海」という地名になったそうですが、今は海は埋め立てられて遠く離れています。

その後「鳴海宿」を通り抜けて歩き続けると、信じられないような光景が眼に飛び込んできました。

Photo_14 「笠寺の一里塚」という昔ながらの大きな榎が枝を広げる一里塚なのですが、塚のまわり一面に真っ赤な彼岸花が咲いているのです。

Photo それに西日があたり、一里塚全体が赤く浮き上がって見えます。おそらく写真に撮ってもこの美しさをとらえることは難しいでしょう。

まるで昔話に出てくる風景のようで思わず感嘆の声を上げてしまいました。

1年に1度、今しか見ることのできない光景です。先ほどの祭りと言い、この一里塚と言い、出会うことができたことはまさに幸運だと思います。

Photo_16 Photo_17 ここから「宮」の宿場に向けて歩きましたが、歩いている途中、通り過ぎる町々でどこもお祭りをやっていました。先ほどの有松の祭りに比べると規模の小さな素朴なお祭りですが、どこもおみこしが出て大人も子どもも皆楽しそうでした。

3時20分、今回の最終地点である「宮宿」の「七里の渡し」に着きました。ここには全く人影が無く私一人で、ひっそりと静まり返っていました。

Photo_18 江戸時代にはここから「桑名宿」までは陸路ではなく、大きな帆を張った船に乗って海路で渡ったそうです。ここから桑名まで7里(28キロ)あったので「七里の渡し」と呼ばれたとのことです。

常夜灯や時の鐘が復元されており、昔の船着場の面影がしのばれます。

Photo_19 次回は私もここから舟で桑名まで渡りたいのですが、あいにく今は渡し舟がなく、団体で舟をチャーターでもしないかぎり船旅は無理なようです。

仕方がありませんので、次回は桑名まで電車で行ってそこから続きを歩きたいと思います。

Photo_20 Photo_21 「七里の渡し」を後にして20分ほど歩き、「熱田神宮」を訪れました。多くの参拝客があり、境内はにぎやかでした。

今回の3日間の旅が無事に終わったことを感謝して参拝したあと、近くの熱田駅から名古屋に出ました。

Photo_22 こから新幹線で東京の我が家に帰るのですが、その前に駅の近くの「山本屋総本家」というお店で名古屋名物「味噌煮込みうどん」を食べました。さすが「総本家」というだけあってとても美味しいうどんで、満足しました。

その後、新幹線で我が家に帰りました。

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コメント

mixiの五十三次コミュからたどってきました。
うちの近くを通られたのですね。

有松から熱田界隈のお祭りに出る、赤ら顔で大男の様な人形は、猩々(しょうじょう)と言います。

小さい子は怖がって泣き、小学生になると、「しょーじょーのはげあたまー」とからかいながら遊びます。

ほかの地域でも同様かと思いますが、この辺りの旧東海道は、よく団体さんが歩いています。

私も一度、東海道を完歩してみたいなーと夢見ています。

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