定年退職からの東海道五十三次への夢 

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昨年(平成18年)3月末日をもって長年勤めた仕事を定年退職し、はれて自由の身になりました。

小学校校長という、常に子どもたちの命を守る立場である責任重大な仕事からの解放ということで、束縛から解放された安堵感がありました。

その後、東京都H市において学校適応指導教室で小中学校の子どもたちを相手にする仕事を週3日させていただきながら、M大学の非常勤講師としても週1回大学生相手に教鞭をとらせていただいています。

しかし、時間的には今までとは比べものにならないほど楽になりました。そこで、これからは趣味に生きようという気持ちがむくむくとわきだしてきました。

Photo_110 今まで在職中は週末を利用して関東周辺の山々に登ることを楽しんでいました。しかし、今度はもう少し日数をかけて何かにチャレンジしてみようと考え、思い立ったのが「東海道五十三次を一人で旅してみよう。」ということでした。

そのための訓練として、退職後の平成18年4月から、歩くトレーニングを始めました。

まずは自宅を起点にして1~2時間のウォーキングをすることから開始し、週末にはちょっと遠出をして5~6時間のコースを歩いてみたりしました。

10月には自宅のある多摩地区のH市からスタートして多摩川沿いに60キロメートル歩き、多摩川の河口に位置する羽田空港まで行ってみました。途中1泊して2日間で歩きましたが、無事に歩き通し、羽田空港に到着しました。

Photo_111 それでがぜん自信がつき、東海道五十三次に本格的に挑戦しようと決心しました。

週末を利用しての旅ですので、京都までの約500キロを何回で踏破できるかは分かりませんが、決められたゴールの日があるわけではありませんので、ゆっくりと歩きたいと思っています。

またそれと同時にブログにより旅の記録を逐一レポートしていきたいと思い立ちましたが、なにぶんにもブログなるものは始めての経験ですのでうまくお伝えしていけるかどうか分かりません。

少しずつテクニックを身につけて写真なども取り入れたビジュアルなものにしていきたいと思いますので、しばらくはつたないブログですが、よろしくお付き合いください。

後日追記(2008年12月22日)

この旅の続きは「還暦からの中山道」 http://haya-iwa-zoo.cocolog-nifty.com/nakasendou でまた書いていきたいと思っています。

(写真や絵の上でクリックすると拡大されます。)

2007.04.04

いざ! 日本橋を出発! 3月17日

Photo_7     3月17日朝10時、日本橋のたもとに立ちました。

いよいよ夢にまで見た東海道五十三次の旅がこれから始まるのだと思うと、気持ちが引き締まり、自然に武者震いをしていました。

東京は前日の16日に観測史上一番遅い初雪が降ったばかりで、相当に寒く、道行く人たちは皆寒そうにしています。冬山用の上着を着てきて正解でした。

日本橋は土曜日ということもあり、人影はまばらでとても静かです。

橋の上に暗くかぶさった無粋な高速道路を恨めしく見上げ、日本の貧しい文化程度にについて疑問を感じながらも、橋の四隅にある広場の写真を写しました。

Photo_13 その後、「日本道路元標」の複製がある「元標の広場」で入念なストレッチを行ってから、東海道への第一歩を踏み出しました。

歩き始めると風が冷たく手が凍えそうです。やはり手袋を持ってきたのも正解でした。

日本橋から川崎へ 3月17日

Photo_4 銀座の街は人通りがだんだん増えてきました。

しかし、銀座がこんなにコーヒーショップが多いところだとは今まで意識したことがありませんでした。コーヒー愛好家の私としては、ちょっとコーヒーを飲みたいところですが、いま出発したばかりで休むのはどうかと思い我慢をしました。

そのまま歩いていくと新橋を過ぎてから徐々に銀座の華やかさもなくなり、ただの交通量の多い道路へと変わってきました。

12時ちょうど田町のスターバックスでトイレ休憩もかねて一休み、やっとコーヒーにありつきました。

10分ほど休んで再び歩き始めました。20分ほど歩くと高輪の大木戸跡に到着、昔の江戸のまちへの入り口だったところです。昔は街道の両側にあったものが今では片方の石垣だけが残っている状態です。

そこからしばらく歩くと右側に泉岳寺の案内板が見えてきました。忠臣蔵の四十七士の墓で有名ですが、訪れるのはこれが初めてです。

Photo_5 境内に入ると陣太鼓や提灯など忠臣蔵にまつわるみやげ物を売る店や資料館などがありました。

あまりゆっくりもしていられないので、お墓にだけお参りをしました。

主君浅野内匠頭の墓の隣に大石内蔵助以下四十七士の墓が並び、討ち入りの日はこうであったろうとの想像を掻き立てられました。

その後、品川の駅を通り過ぎ、しばらく歩くと、鈴が森刑場跡に着きました。

交通量の多い国道15号線の脇にあるにもかかわらず、ここだけはひんやりとするような冷気が漂っています。多くの人々がここで処刑されたとのことですが、その怨念がまだ残っているような気がしました。

Photo_17   その後も歩き続け多摩川にかかる六郷橋を渡りました。

橋の下を見ると、10月にH市から羽田空港まで歩いたときの道が河川敷に見えました。その道がなぜか懐かしく思えてなりませんでした。今回はその道を垂直に横切る形で西に向かって歩いています。

六郷橋を渡るとすぐに川崎の宿に入りました。

川崎には長年懇意にしていただいている知人の家族が住んでいます。なぜか急に電話をしたくなり携帯から電話をして見ましたが、残念ながらお留守でした。

今日は川崎に泊まる予定でしたので、ビジネスホテルに予約を入れた後、魚料理の店に入り美味しい肴をつまみに先ずは生ビールで一日目の予定達成を祝って一人で乾杯(?)しました。

その後、日本酒を熱燗でいただき、ひと心地ついたころ、先ほど電話をした知人のF先生から電話がかかってきました。留守電を聴いてすぐに電話をくださったらしく、「迎えに行くから遊びにきてください。」とのこと。厚かましいと思いながらもお邪魔することにしました。

F先生は昔、クウェートの日本人学校で働いているころ教頭先生としていらした大先輩です。

奥様とお嬢さんも一緒に温かく迎えてくださいました。

その後はビール、焼酎、ワインなどを次々にご馳走になり、気がついたらお風呂にも入れていただき泊まることになっていました。

東海道の旅第一日目から人に迷惑をかけて、これではいけないと大いに反省しながらも朝までぐっすり眠ってしまいました。

2007.04.15

川崎から保土ヶ谷へ 3月18日

Photo_6 (写真の上でクリックすると拡大されます。)

昨晩のお酒が少し残ってボ~ッとした頭で7時に起床、F先生のご家族と一緒に美味しい朝食をご馳走になりました。

その後、F先生が自宅から東海道の今日のスタート地点まで、わざわざ一緒に歩いて見送ってくださいました。

そこで握手をして別れて歩き始めたのが9時ちょっと過ぎ、そのころにはやっと二日酔いも醒め、足元も軽く歩き始めました。

Photo_7 すぐに鶴見を通り抜け、生麦に差しかかりました。生麦事件の現場から少し離れたところに事件の記念碑がありました。歴史上の大事件が起こったところとは思えないほど、静かなたたずまいでした。

やはり東海道を歩くということは、江戸時代の昔にタイムスリップしたような気持ちになるものだなあ、と改めて感じながら再び歩き始めました。

Photo_9 11時麒麟ビールの大きな工場に着きました。ここは以前勤めていた学校の職員旅行のときに見学で立ち寄り、ビールの試飲をしたことのあるところなので、ちょっと寄って一杯グーッといきたいところでしたが、正門を入ったところの木陰でストレッチをするだけにとどめました。

Photo_10 お昼近くになったので横浜の中華街に寄って何か美味しいものでも食べようかと思いましたが、この旅行はグルメ旅行ではなく東海道を歩き通すことが目的であることを考え、街道沿いの小さな中華料理の店で、坦々麺と餃子で昼食を済ませました。その店が思った以上に美味しい店でしたので、何だか得をしたような気になりました。

横浜を過ぎて民家の立ち並ぶ裏通り風のところを歩いていると、急に立て札も、案内板もない丁字路に出たので、直感でこれは右だと判断して歩き続けました。

ところが行けば行くほど街道らしくないところに入っていってしましたした。ちょうど通りかかったベビーカーを押した若いお母さんに

「すみません、ちょっとお尋ねしますが、保土ヶ谷の駅に行くにはこれをまっすぐでいいのでしょうか?」とたずねると、

「えっ! 保土ヶ谷はずっと遠いですよ。ここから歩いては行けませんよ。」との返事、

「いえ、日本橋から歩いてここまできたんです。京都まで歩こうと思っているのですが…。」

「え~っ! そうですか! じゃあ、大丈夫ですね。 では、この道は全然違いますから、地図上で分かるところまで私がご案内しますので、戻りましょう。」

かわいい赤ちゃんを乗せたベビーカーのお母さんと世間話をしながら2,30分歩いて、浅間神社まで戻ったところで、とても幸せな気持ちでその親子と別れて、再び東海道を歩き始めました。

Photo_18 道を間違えて40分以上時間的にロスをしましたが、それを何倍も上回るほどの気持ちの良い人との出会いを得て、逆に得をした気持ちになりました。(感謝!)

Photo_11 その後、相模鉄道の天王町駅のガード下をくぐってしばらく行くと、間もなく保土ヶ谷の駅に着きました。

今日はこれ以上無理をしないで、ここから一旦自宅に戻ることにしました。

駅前でコーヒーを飲んだ後、川崎経由でH市の我が家に5時ごろ帰りつきました。

2007.04.19

保土ヶ谷から藤沢へ 3月26日

Photo_118 一週間ぶりに保土ヶ谷の駅に戻ってきました。先週の続きを歩きます。

駅前で入念にストレッチをしてから10時ちょうどに出発しました。

朝食を食べてきていなかったので、コンビニに寄り、簡単に食べることのできるものを買うことにしました。

なぜか魚肉ソーセージが目に入り、無性に食べたくなりました。子どものころ魚肉ソーセージが世界で一番美味しいと思っていたので、とても懐かしく感じました。

途中外川神社という小さな社があったので、そこの階段に腰掛けて魚肉ソーセージとペットボトルのお茶で簡単な朝食をとりました。何十年ぶりかの魚肉ソーセージは今でもなぜか美味に感じました。

この神社の近くから街道に沿って松並木の再生工事が行われていました。保土ヶ谷区の事業らしいですが、滅びてしまった松並木を再生させ東海道の風情をよみがえらせようとする保土ヶ谷区の姿勢に好感を抱きました。

その後、権太坂にさしかかりました。大した坂道ではないものの、昔の人はこの坂道をあえぎながら登ったのだろうな、と想像しながら歩きました。権太坂を登りきって今度は焼餅坂という坂道を下りました。昔茶屋があって焼餅を売っていたところからこの名前がついたとの説明板がありました。

その後、吉田大橋を渡り戸塚の街に入りました。戸塚駅の近くの回転寿司屋で昼食をとり、再び歩き始めました。

しばらく行くと国道1号線に交わり、交通量の多い国道を排気ガスと戦いながら歩きました。マスクを持ってきていて大正解でした。

東海道もこのように交通量の多い国道を歩くのはまったく情緒も何もあったものではありません。

Photo_26 しばらくしてまた国道からはずれ、道場坂を下ると右側に広重の東海道五十三次の浮世絵にも出てくる「遊行寺」が現れました。境内には樹齢660年の大イチョウが大きな枝を広げていました。藤沢が遊行寺の門前町であったことをしのばせるようなりっぱなお寺です。

Photo_19 藤沢の街に入り、予約を入れておいたビジネスホテルにチェックインしました。なかなか清潔で設備も良いホテルで、大浴場もついていたので、先ずはお風呂でゆっくりと汗を流してから夕暮れの街に出かけました。

Photo_28 駅に向かって歩き、感じのよさそうな店を探していたところ、「いろは茶屋」という居酒屋が目に入りました。

中に入るとなかなか美味しそうな食べ物が書かれた短冊が壁に貼ってあります。その中から、「竹の子の刺身」と「かさごの煮魚」「アジの刺身」などを注文して日本酒の熱燗をいただきました。どれも期待以上の美味しさで満足でした。

そこで、軽い食事も済ませて、ほろ酔い加減でホテルに戻り、再びストレッチをして足にエアーサロンパスを吹き付けてからベッドに入りました。

明日もまた元気で歩けそうな気分で、眠りにつきました。

2007.04.21

藤沢から平塚へ 3月27日

Photo_35   9時30分ホテルを出て、藤沢駅前から出発、昨日の遊行寺の下にかかる遊行寺橋まで一旦戻り、そこから再び東海道を歩き始めました。

Photo_31 少し歩くと源義経の首を洗ったとされる井戸と首塚が街道を少し入ったところにありました。奥州平泉で最期を迎えた義経の首は源頼朝の下に届けられて首実検がなされたあと打ち捨てられてしまったそうですが、それを拾ったこの土地の人々がここに埋葬し供養したと言い伝えられています。

そのすぐ近くにこの義経を祀った白旗神社がありました。小さい神社ですが、きれいに手入れの行き届いた閑静な神社でした。

Photo_32 そこから先にはところどころに美しい松並木が残る道がつづき、東海道の名残を感じながら歩き続けました。

ちょうどお昼ごろ茅ヶ崎の駅に着きましたので、駅前のバーミヤンで昼食をとることにしました。疲れたからだが何となく刺激物を求めるので、坦々麺を食べましたが、とても美味しくて満足しました。

短時間で食べ終わり、すぐに再び歩き始めました。

歩き始めて間もなく、道は大きく北へ曲がり、鳥井戸橋を渡りました。このあたりが神奈川県内では唯一の街道から富士山が左側に見える「左富士」名所らしいのですが、今日はあいにく曇っていて富士山は全然顔を見せてくれませんでした。

しかし、心の眼で富士山を眺めながら、気持ちよく歩き続けました。

Photo_33 その先で相模川にかかる馬入橋を渡りました。大きな川幅にかかる橋の上は涼しい風が吹き渡り、爽快でした。

橋を渡ると間もなく平塚の駅に着きました。まだ時間が早いので、このまま大磯まで歩こうと思いましたが、家を出る前にネットで調べたかぎりでは、大磯にはホテルがなさそうでしたので、少しゆっくり過ごして今晩は平塚に泊まることにしました。

東海道からちょっと駅の方に入ったところにあるビジネスホテルにチェックインした後、海岸まで散歩に出かけました。

駅からまっすぐにのびる広い道路は清潔で気持ちの良い散歩道でした。海岸には松林が続き、砂浜からは遠くに江ノ島も望むことができました。

その後、一旦ホテルに戻り、夕暮れが近づくと共に平塚の街にぶらりと出かけました。

Photo_34 駅の近くの繁華街を今日の飲み屋を探しながら一通り見て回った後、ここは美味しそうだと目をつけた「魚忠」という店に入りました。

見事に大当たりで、注文した肴はすべて満足のいくものでした。

「このわた」と「なまこ」で軽く日本酒を飲んだ後、「しめさば」で焼酎をいただきました。「しめさば」のしめ具合がちょうど良く油も乗って最高の味でした。最後に「地アジの寿司」を食べましたが、これがまた新鮮なアジを握った寿司でこの上なく美味でした。

勘定を払うときに女将さんが名刺をくれて、「京都にも支店があるので京都においでの際はぜひお立ち寄りください。」と言うので、「これから京都に行くところですから、ぜひ寄りますよ。」と答えました。

「えっ、これから新幹線でいらっしゃるのですか?」と言うので、「いいえ、これから歩いて行きます。」というと、「ひえ~っ!」とびっくりしていました。

「何日かかるか分かりませんが、いま東海道五十三次を京都に向けて歩いているところですので、そのうち行き着くと思います。」と言うと、女将さんも、他のお客さんもみんなで「がんばってください!」と声をそろえて店を送り出してくれました。

そのまま上機嫌でホテルに戻り、お風呂に入ってから床につきました。

2007.04.26

平塚から小田原へ 3月28日

 朝7時起床、昨晩は一晩中左足の膝が痛くて寝苦しかったのですが、朝起きると痛みは完全に消え去っていました。今日もまた元気に歩けそうです。

 ホテルのバイキング朝食を食べてから入念にストレッチをした後、8時30分に出発しました。

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平塚の町をはずれると、すぐに目の前に高麗山(こまやま)が見えてきました。広重の浮世絵の「平塚」に描かれている円い形をしたかわいい山です。昔、朝鮮半島での争いにより国を滅ぼされた高句麗の王族とその従者が渡来して住み着いたため、「高麗山」と名前がついたそうです。

広重もこの同じ山を見ながらここを通ったのかと思うと江戸時代が身近に感じられるような気がしました。

9時50分大磯の駅を通過しました。小さなかわいい駅です。

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美しい松並木も残っていて、江戸時代の街道の趣を残しています。

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趣のある町並みをそのまま歩き、途中で海の方へ出てみました。目の前一面に海が広がり、水平線が丸く見えています。

吉田茂をはじめ名を成した政治家などがここに別荘を構えた理由がよく分かるような落ち着いたたたずまいの町です。

ただ残念なことに、美しい海岸線に沿って無粋な湘南バイパスが走っており、車の騒音で昔の面影を邪魔しています。

大磯の町外れに「江戸から17里、一里塚跡」がありました。そこで小休止をして、家から持ってきていた干し柿を食べました。疲れた体に適度な甘みの干し柿がこの上なく美味しく感じられました。

ここで10分ほど休憩した後、一路小田原に向かって再び歩き始めました。

1時過ぎに二宮駅を過ぎて袖ヶ浦の押切橋を渡りました。左側には一面に相模湾が広がっています。左前方には伊豆半島が伸びていますが、霞がかかったようにぼんやりと見えています。

国府津駅を過ぎたところで1時半を回りました。そろそろどこかで昼食を食べた方がよさそうです。

小田原まであと5,6キロのところで、見るからに美味しそうなうなぎの店を見つけました。うな重を注文しましたが、出てくるまでに30分かかりますとのことでした。30分もかかるのならさぞ美味しいに違いないと思って楽しみに待ちました。

期待通りの美味しそうに照り輝くうなぎが出てきました。一口食べると、ふんわりと柔らかく、たれは甘からず、辛からずで思わず眼をつぶってうなりたくなるほどの絶妙な味でした。

Unagi 食べる前に写真を撮ったのですが、うなぎの魅力に震えていたのか写真がピンボケでした。

うなぎを食べたせいか、体からエネルギーが湧き出すような感じで、その後順調に歩き続けました。

しばらくして酒匂川にかかる酒匂橋を渡りました。小田原はもうすぐです。

Photo_22 4時ごろ小田原の町に着きました。街道沿いのお休みどころで腰を下ろし、甘酒を飲みました。この甘酒もまた美味しくて、感激しました。歩いて旅をしていると、何を食べても、何を飲んでも美味しく感じるのかも知れません。

その後、小田原駅の近くの立ち寄り湯の「万葉の湯」に入りました。大きな温泉施設で風呂場も広く、ゆったりと体を温めて休ませることができました。

中には広い食事処もあってバイキングスタイルになっています。いろいろなおつまみ類を選んで、生ビールをグーッっと流し込みました。歩いた後のビールはまたことさらに美味しいものです。

その後、夕方の電車に乗り、東京H市の我が家に帰りました。

次回はいよいよ小田原をスタートして箱根越えに挑戦です!

2007.04.30

小田原から箱根へ 4月6日

Photo_123 6時50分の電車で我が家のあるH市の駅を出発して今日の出発点小田原に向かいました。

(写真や絵はクリックすると拡大されます。)

9時15分小田原に到着して、すぐに今日のスタート地点である街道筋の休憩所「なりわい交流館」を目指しました。

休憩所の前に着きましたが、今日はまだ時間が早いせいか開店していませんでした。お店の横でしっかりストレッチをしてから箱根へ向かって歩き始めました。

Photo_41 涼しくてちょっと寒いくらいの気温の中を朝の空気を一杯に吸い込んで歩いていると、すぐに右手にお城の天守閣風の大きな建物が眼に飛び込んできました。日本最古の薬屋「ういろう」のお店です。

Photo_42 そのほかにもさすがに城下町であり宿場町でもあった小田原だけあって、街道沿いには古い趣のあるお店が並んでいます。蒲鉾屋、薬屋、魚屋、桶屋、和菓子屋など、のぞきながら歩くととても面白いです。

Photo_43 その後歩き続けると早川に沿った街道に出ました。道に沿って満開の桜が咲き誇り、見事な眺めです。最高のタイミングでここに来たことは大変な幸運です。

それにしても小田原を出てからここまで、私のように歩いて旅をする者のための案内板の少なさに驚かされます。

今回の小田原からの旅の前にインターネットで「ちゃんと歩ける 東海道五十三次 完全踏査街道マップ」というのを見つけ購入しました。手作りの一見ちゃちな地図に8千円以上もとられてこれはうまくだまされたかな、と思っていたのですが、その思いは今回の旅を始めてすぐに打ち消されした。

Photo_23 幅9センチの帯状の地図を屏風折りにしてたたむと手のひらに収まるぐらいに小さくなります。その地図が実にポイントをよく押さえてあって、案内板や標識のないところで迷いそうになると、ちゃ~んと教えてくれるスグレモノです。

これはその後も大いに役に立って、良い買い物をしたと満足しています。

途中上り坂にかかると暑くなってきたので、箱根湯本の町の湯本小学校の近くで小休止をかねて服装調節をしました。

その後、どんどん歩き続けると標高が高くなってきたせいか、また寒く感じるようになってきましたので、上着を着なおしました。

なだらかな坂道を登り続けましたが、桜の花びらが舞い散る中を一人で歩くのがもったいないような気がしました。この幸福感を誰かと分かち合いたいような気持ちです。

途中なかなかお昼を食べることのできそうな店が見つからないので、「ホテル初花」というところのレストランで食事をしました。一面のガラス張りのレストランで、目の前には暖かい日差しの中に広がる春の山と、点在する満開の桜が広がり、まるで美しい絵を見ているような気分の中での贅沢な食事でした。

Photo_44 その後、畑宿の手前から「箱根といえば石畳」と言われるように有名な旧街道の石畳の道が始まりました。薄暗い石畳の道を歩いていると誰一人出会う人がいなくて、心細くなりそうなくらいです。しかし、これぞ「東海道」と思わせるほど、情緒のある道です。

Photo_24 石畳と言っても、石がきれいに敷き詰めてあるわけではなくゴロゴロと岩を埋め込んだという感じの道で、昔の人たちはわらじ履きでこの歩きにくい道をよく歩いたものだと感心します。一説によると徳川幕府が意図的に軍勢が箱根を越えて江戸を攻め込みにくくするために歩きにくい道にしたと言われていますが、その説明の方がなるほどとうなずける気がします。

ここから「女転ばしの坂」「割り石坂」「猿滑り坂」などといかにも難所らしい名前のついた坂を登って行きました。私は普段登山をしているので、これくらいの坂道は平気なのですが、昔の女性などにはさぞ大変な箱根越えだったことだろうと改めて思わずにはいられません。

Photo_45 3時ごろ「甘酒茶屋」に到着し、荷物をおろして甘酒をいただきました。昔から街道を旅する人たちがほっと一息ついた茶屋だったそうですが、いまだに手作りの甘酒やお餅を出しています。甘酒は手作りだけあって上品な甘さで、あと口もよく本当に美味しいものでした。

3時半、やっと上り坂が終わって、道は下りになってきました。それから少し歩くと芦ノ湖が見えてきて、元箱根の町に着きました。

Photo_47 そこから巨大な杉の並ぶ「杉並木」を歩きました。この杉並木には前に何度か観光で来たことがありますが、今回は一旅人として歩いてきたので、今までの杉並木とは一味違って見えました。そこを歩いている自分が江戸時代にタイムスリップしたかのようです。

杉並木を抜けると関所跡があります。今は立派に復元されていて観光客もたくさん訪れていました。

関所のすぐ近くに予約を入れていた宿がありました。一人旅用の安い宿をとろうとしたのですが、なかなか見つからず、仕方なく高い宿になってしまいました。

温泉にゆっくりと浸ってから部屋に運ばれた食事を一人さびしくとり、その後、明日の沼津までの行程を地図上でおさらいをして、翌日に備えていつもより少し早めに寝ました。

2007.05.01

箱根から沼津へ 4月7日

7時起床、ゆったりと温泉に入り、8時から朝食を食べた後、8時半に旅館を出発しました。

Photo_49 芦ノ湖畔に出ると、今日は富士山が湖の上にくっきりとそびえ立っています。

再び旧東海道の石畳の道に出ました。ここから箱根峠まではまたまた登り道です。しばらく歩いているうちに汗ばんできました。

Photo_50 9時45分に箱根峠を越えていよいよ静岡県に入りました。箱根峠には「現代の一里塚」ということで、高名な7,8人の女性の言葉を刻んだオブジェがいくつか並んでいました。宇宙飛行士の向井千秋さん、ジャズピアニストの穐吉敏子さん、女優の黒柳徹子さん宮城まり子さん、脚本家の橋田寿賀子さんなどなどの言葉が並んでいました。

Photo_51 その後しばらく笹薮の中を通る石畳の道を歩きました。誰一人出会う人もなく、江戸時代そのままの世界に迷い込むような不思議な感覚でした。

それを抜けてしばらく歩くと「竹屋」という茶屋がありました。

Photo_52 中に入ると囲炉裏があり、鉄瓶から湯気があがっていました。甘酒と黄な粉もちを注文しましたが、これもまた手作りだそうで、両方とも旅の疲れを吹き飛ばしてくれるような美味しさでした。

また、女将さんもとても感じの良い人で、店先にあった道中合羽と三度笠をつけて記念写真を撮ってくれました。(その写真がプロフィールに使っているものです。)

この店にはNHKの企画で東海道五十三次を旅したサッカーの岩本選手も立ち寄ったとのことです。

黄粉もちを昼食にして、そのまま三島を目指して歩き出しました。どこまでも下り坂の続く街道です。昨日の箱根への登り道より下りの方が足に負担がかかり、足の筋肉が硬くなっていくのが分かります。

Photo_57 途中、街道筋にしゃれた作りのレストランがありました。「えっ!こんなところにレストランが?」と思いましたが、かわいい看板に「美味しいコーヒーがあります。ウォーキングの皆様お気軽にどうぞ。」とあったので、昨日からコーヒーを一滴も飲んでいなかった私は吸い込まれるように店に入っていきました。久しぶりのコーヒーは運動のあとのビールにも負けないほどの美味しさでした。

Photo_125 2時過ぎに三島の街中に入りました。まっすぐに歩いていくと右手に三島大社が見えてきました。広重の浮世絵にある神社なので一度は来てみたいと思っていたところです。桜が満開で様々な露店が並んでいます。花見客Photo_54 も大勢繰り出しています。

満開の桜の木の下で裏千家の野点の会が行われていました。和服姿の美しいお嬢さん方がお茶をたてていまPhoto_55 す。私にも「どうぞ」と言われたので緋毛氈をしいた椅子に腰掛けてお菓子とお茶をいただきました。

鮮やかな緑のお茶の中に舞い落ちてきた桜の花びらがハラリと入り、実に風流なひとときでした。

三島大社を出たところで、急に雨が降ってきました。このまま三島から今日は帰宅しようかとも思いましたが、しばらく傘をさして歩くうちにまた明るくなってきましたので、このまま沼津まで歩くことにしました。

Photo_126 4時10分、沼津の手前の黄瀬川を渡り、沼津の街中に入りました。そのまま歩き、5時ちょうどに沼津駅に着きました。

駅前の居酒屋に入りましたが、沼津という土地柄か美味しい海の幸が豊富でした。それらを肴にビールと日本酒をいただいた後、沼津駅から三島に戻り、そこから新幹線で東京の我が家に帰りました。

沼津から吉原へ 4月27日

今朝は5時起きで我が家を出て、東京駅へ向かい、そこから新幹線で三島まで行き、沼津に戻ってきました。

Photo_58 9時40分に沼津駅を出発して歩き始めました。すぐに狩野川のほとりに出ると、川原一面に何百匹もの「こいのぼり」が泳いでいました。こいのぼりフェスティバルだそうですが、朝からのどかな風景を見ることができてとても良い気分です。

そこから東海道がまた始まりますが、ちょっと街道をはずれて千本松原の方へ足を伸ばしてみました。

Photo_59 どこまでも見渡す限りに続く松林と、なだらかな弧を描いて続く砂浜、そしてキラキラと輝く駿河湾が見事な眺めです。海に向かって左側に伊豆半島そして右側には御前崎に続く海岸が見えています。

しかし、残念ながら、お天気はよいのですが、富士山が全然見えません。山側は雲に覆われています。

その後東海道に戻り、歩き始めましたが、どこまでも民家が立ち並ぶ単調な街道です。海岸の松林にそって歩いた方がずっと気持ちもよく楽しいと思うのですが、やはり東海道を歩く旅ですので、そこはぐっと我慢して東海道を忠実に歩くことにしました。

Photo_127 途中「原駅」を通過するころから右前方に富士山が見えてきました。今日は見ることができないかとあきらめていた富士山が美しい顔を見せてくれて何だか嬉しくなりました。

広重の「原」の浮世絵でもきれいな富士山を仰ぎ見る女性が描かれています。

原駅前のさびれた商店街の中の寿司とうなぎの店に入り、蒲焼定食でお昼ご飯をとり、そのまままた歩き始めました。

その後「田子の浦」に着きました。ここでまた浜の方に出てみました。ここもまた延々と続く松林と砂浜が絶景です。

万葉集の山部の赤人の歌「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」を声に出してうたってみました。まさにこの場所で詠まれた歌だろうな、と納得しました。

そこから再び街道に戻って歩き始めましたが、歩いている間ずっと富士山が右手に見えています。

途中何人ものご高齢の方々と道ですれ違いましたが、皆さん穏やかで幸せそうな顔つきをなさっています。このような土地に生まれ、小さいときから何十年もこの雄大な富士山を見て育ったおじいちゃん、おばあちゃんだからこそ、このような豊かな顔つきをなさっているのではと感じましたが、それは私の気のせいでしょうか。

Photo_128 その後東海道は急に北へ向きを変えます。その間数百メートルぐらいですが、この間だけ今までずっと右側に見えていた富士山が左側に見えるのです。有名な「東海道の左富士」の場所です。

Photo_62 「左富士神社」という社がありましたが、その真正面の酒屋さんから年老いたおかみさんが飛び出してきて、「今日は富士山がきれいに見えて、よかったですね~!」と満面の笑みで我がことのように喜んでくれました。そして富士山の絵葉書やパンフレットなどをプレゼントしていただきました。

彼女は沼津で生まれて、若いころここに嫁入ってきたそうです。彼女もやはり富士山効果(?)か幸せそうな福相でした。

Photo_63 4時40分、予約を入れておいた「鯛屋旅館」に着きました。ここは創業三百年の歴史ある宿で、清水の次郎長や山岡鉄舟なども常宿にしていたそうです。しかし、それなりに古い旅館で、宿賃も一泊朝食つきで4500円と異常に安いところです。

しかし、宿の主人をはじめ働いている人たちの感じがよく、サービス満点でした。

宿の主人にこの街で美味しい魚を食べさせてくれる店を聞いたところ、すぐ近くの「笹寿司」という店を紹介してくれました。カウンターの中の白髪頭のシャッキリとした大将に「何かお勧めのものを出してほしい。」と頼むと、カタクチイワシの刺身、アジの刺身、アマダイの刺身などを出してくれました。

どれも美味しくて驚くほどでしたが、中でも桜エビを食べて育ったアジの刺身はピンク色の美しい身で、歯ざわりもよく最高に美味でした。

美味しい肴でお酒もほどよくいただいたところで宿に戻り、明日に備えて早めに休みました。

2007.05.03

吉原から由比へ 4月28日

8時ちょっと過ぎ、鯛屋旅館を出発しました。ご主人が表まで出てきて、火打石を打って今後の旅の安全を祈りながら見送ってくれました。

しばらく歩いて振り返ると、見えなくなるまで手を振って送ってくれていました。旅先ではこのような人情あるれる行為がこの上なく嬉しく感じるものです。

少し歩いて潤井川を渡ると、「鶴芝の碑」がありました。ここには昔「鶴の茶屋」があり、多くの旅人が休憩をとったそうです。本来はここからの富士の眺めが美しいそうですが、今日は雲がかかっていて残念ながら富士山は見えません。

Photo_66 10時半、富士川にさしかかりました。思っていたよりずっと川幅の広い川です。昔は橋がなく、渡し舟などで渡ったようです。

今は長い橋がかかっていますが、長さが300メートルもあろうかと思われるほどに感じられました。本当ならここからの富士山もさぞきれいだろうと想像されますが、今日はまったく見えません。

Photo_67 橋を渡ったところから河岸段丘を登る道が街道になっています。狭い道幅のところですが、東海道の名残が残っていて、なかなか風情があります。

Photo_74 その先に「岩淵の一里塚」がありました。ここは道の両側にちゃんと塚が残っていて、大きな榎も枝を広げています。これだけちゃんと残っている一里塚もめずらしいです。

そのまま歩き続けると街道のすぐそばで鶯がさかんに鳴いています。「ホーホケキョ」と鳴く鶯の声はいつどこで聞いても心を癒してくれるから不思議です。

Photo_129 街道は再び街中に入り、「新蒲原駅」に出ました。駅の近くには広重の「夜の雪」の碑がありました。このあたりは冬でも気候温暖な土地であるにもかかわらず、なぜ広重が雪景色の蒲原を描いたのかは謎になっているようです。

ここで軽い昼食をとってからすぐにまた歩き始めました。

2時半、由比の本陣公園に着きました。ここには「東海道広重美術館」があります。昨晩泊まった「鯛屋旅館」の主人がぜひ寄るように言っていたので、立ち寄りました。

中には広重の浮世絵の原画が展示されており、東海道五十三次の浮世絵もすべてそろって展示されていました。一枚一枚ゆっくりと鑑賞し、改めて江戸時代の東海道のイメージを頭の中にしっかりと焼き付けました。

その後美術館の隣の「御幸亭」を訪れました。ここは明治天皇が休憩されたところから「御幸亭」と名づけられたものだそうです。ここでは美しい日本庭園を眺めながら、お抹茶とお菓子の接待を受けました。

ここで1時間半ほどゆっくりと時間を過ごした後、今日の目的地「由比」に向けて再び歩き始めました。

Photo_64 4時前に由比の街中に入りました。ここは日本一の桜エビの漁獲量を誇る町ですが、小さな漁港です。街道は「桜えび通り」名づけられており、桜エビを扱うお店が何Photo_71 軒もありました。

Photo_69 通りを外れて漁港に行ってみると、何十隻もの桜エビ漁船が小さな港にぎっしりと停泊していました。

4時過ぎに今日の宿である「見晴旅館」に着きました。昨晩、由比の宿を調べて、別の旅館に電話をしたのですが、予約がいっぱいでとることができず、この「見晴旅館」が空いていて予約がとれたのです。

Photo_70 中に入ると感じの良い女将さんが笑顔で出迎えてくれました。思っていたよりもずっと清潔できれいな旅館なのでほっとしました。

Photo_73 今日は新鮮な桜えびが入っていますのでお楽しみくださいとの女将さんの話にますますうれしくなりました。

部屋に通されると女将さんが「あら、さっきまで見えなかった富士山がほら、あんなにきれいに顔をみせましたよ!」と明るい声をあげました。なるほど部屋の窓からは夕日に照らされて、少しピンクがかった富士山がくっきりと浮かび上がっています。

これは何から何までついているぞ、と浮き浮きしてきました。その後お風呂に入ったあと夕食をいただきました。

夕食はまさに「桜えびづくし」で、桜えびの刺身、桜えびの酢の物、桜えびの煮浸し、桜えびのかき揚げ、桜えびのすき焼き風鍋物などなど、これでもかこれでもかと言わんばかりの「桜えび攻勢」です。

しかし、一つ一つみんな味や風味が違っていて美味しく、「まだ来い、まだ来い」と言いたくなるほどの勢いで満足していただきました。

その他にも目の前の海で獲れたばかりというアジやヒラメの刺身や太刀魚の塩焼きなども出ましたが、残さず全部いただきました。

一泊二食付きで9千円ちょっとの安さでありながら、割烹旅館並みの豪華な夕食が出て信じられないほどです。またもう一度来たいと思わせる宿です。

その後、もう一度お風呂に入ってから、入念にストレッチをして、エアーサロンパスを両足に吹き付けた後、今日もまた早めに寝ました。

由比から江尻(清水)まで4月29日

8時15分見晴旅館の人々に見送られて由比(ゆい)を出発しました。

見晴旅館の人たちが、これから越える「薩埵峠(さったとうげ)」はちょっと大変ですよ。がんばってくださいね。と励ましてくれました。

Photo_81 今朝は昨日にも増して富士山がくっきりとそびえています。桜えび通りの不思議なアーチと富士山の取り合わせが「芸術的?」で思わずシャッターを押していました。

しばらく歩くとすぐに薩埵峠の登り道にさしかかりました。道の両側はビワ畑と甘夏柑の畑が続いています。

Photo_11 2_3

途中で振り向いてみると、「うぁ~!」と声を上げたくなるほど美しい富士山が見えました。広重が薩埵峠からの富士山を意欲的に描いたはずだと納得しました。

少し息がはずみそうになったころ、薩埵峠に着きました。途中の登り道ではあまり人とは会わなかったのに峠の展望台には多くの人たちがいました。車で上がってくる道があって駐車場もできているのです。

ここからの眺めは真っ青な空とキラキラと輝く駿河湾、そして純白に輝く富士山のコントラストが見事です。

残念なことには峠の下には高速道をがあり、無数の自動車が飛ぶように走っているのが見えることです。しかし、それさえ見ないようにすれば、ああ、広重の時代とあまり変わっていないのだろうなと思うことができます。

Photo_131 薩埵峠を下り終えて興津川を渡り興津(おきつ)の街に入りました。ここで昼食をとるはずでしたが、まだ時間も早いし、お腹もまだ空いていないので、もうしばらく歩き続けることにしました。

歩いていると「清見寺」というお寺が見えてきました。徳川家康が幼少時に過ごしたお寺だとのことです。いかにも由緒ありげな重厚なたたずまいでした。

そのすぐ先に明治の西園寺公望の老後の家であった「坐漁荘」があります。中に入ってみるときれいに再建されていて、美しい純和風建築の邸宅であり、公望が愛しただけある美しい屋敷でした。

Photo_132 1時過ぎに今日の目的地「江尻(今は清水市)」の街に入りました。

街道は今では「清水銀座」という商店街になっていますが、人通りも少なくほとんどの店もシャッターを下ろしたままで、さびれゆく商店街のイメージです。ここもまた今までいくつも見てきたような、郊外の大型ショッピングセンターに客を吸収された潰れ行く商店街なのでしょう。

昔の旅人で賑わった宿場町から近代の商店街へ、そしてさびれた現代の道筋へ、と変化の方程式がここも当てはまっているように思えます。

Photo_77 間もなく清水駅前に着きました。まだ時間も早いので今日は「府中(静岡市)」まで歩こうかとも思いましたが、ぜひ三保の松原を見物したかったので、清水駅前からバスに乗って三保の松原へ向かいました。

この3日間の疲れが出たのか、バスに乗っている間の20分間ほどしっかり眠ってしましました。

Photo_78 バス停から10数分歩くと、三保の松原に着きました。あたりは観光客でいっぱいです。天女が羽衣を掛けたという伝説のある「羽衣の松」の周りには老若男女が集まっており、若いカップルが隣の小さな神社でおみくじを引く姿も見られました。

砂浜を歩いて波打ち際まで行くと子どもたちが打ち寄せるさざ波に足を浸して喜んでいました。

Photo_79 ここから見る富士山も、緑の松林と真っ白い富士山の組み合わせで美しいのですが、砂浜に波消しブロックを設置するための大型クレーン車が3台も停められていて、ちょっとつや消しでした。

しばらく見物した後、またバス停まで戻り清水駅へと向かいました。またまた帰りもぐっすりと眠り、気がついたときは清水駅に到着し、みんなバスを降りているところでした。

清水には「清水の次郎長遺物館」もあるそうですが、こちらは今回は見ずに帰ることにしました。

清水駅から一旦静岡駅までJRで出て、そこから新幹線で東京に向かいました。

新幹線の中では土地の名物らしい「黒はんぺん(いわしの蒲鉾)」と「桜えびはんぺん」をつまみにビールを飲んでいい気持ちになり、東京駅に着くまでぐっすりと眠りました。

東京駅からH市の我が家に着くとまだ明るくて、余裕のある帰宅でした。

次回は清水駅からスタートです。

2007.05.30

江尻から丸子まで 5月26日

 4月29日以来、久しぶりの東海道です。この一ヶ月ほど忙しくて、なかなか週末に出かけることができず、うずうずしていました。

 朝6時半に家を出て東京駅に向かい、新幹線で静岡経由清水駅を目指しました。新幹線の指定席は禁煙席が空いてなくて喫煙席になってしまいました。以前タバコを吸っていたころは何とも感じませんでしたが、禁煙をして7年目になる今では喫煙車両に入っただけで喉が痛くなるような感覚を覚えます。

9時半清水駅に到着しました。約1ヶ月ぶりの「江尻宿」で、不思議と懐かしさを感じます。

日本橋をスタートして始まったこの旅も、その日の出発地点まで戻ってくるだけで自宅から3時間もかかるようになってしまいました。

思えば一歩一歩の旅も、はるか遠くまで来てしまったものです。

駅前に降り立つと、今日はカンカン照りの真夏のような暑さで、この時間からすでに、アスファルト道路も燃えているような照り返しです。

熱中症にならないように気をつけて歩かなければなりません。

出発してすぐに「清水銀座」のにぎやかな人並みを通り抜けました。このあたりがかつての江尻の宿場の中心だったそうです。

「江尻宿」は往時は大きな宿駅だったそうですが、今は「江尻」の名は地名として残っているだけで、むしろ「清水港」や「清水の次郎長」で知られる町になっています。

Photo_88 巴川にかかる稚児橋にさしかかりました。江戸時代にこの橋ができたときの逸話にちなんで、橋の四隅にはかわいい河童の像があります。

稚児橋を渡ってしばらく西へ行くと、「追分羊羹」の老舗がありました。中に入るといかにも歴史のありそうな家のつくりで、お店から座Photo_89 敷をはさんで奥の方にきれいな庭が見えました。

荷物になるので、小さな一口羊羹を2個だけ買ったのですが、店の人が「お茶をお入れしますから、ちょっと休んでいってください。」と言ってくれました。

よく冷やした緑茶とお茶菓子(どら焼き)がお盆の上に置かれて出てきました。冷たいお茶が暑さで乾いた喉に心地よく、美味しくいただきました。

甘いものを食べて元気が出たところで再び歩き始めました。

しばらく歩くとにぎやかな音楽が聞こえてきました。街道脇の小学校で春の運動会の真っ最中です。

ちょっと塀の外からのぞいてみると、1年生の玉入れをやっているところでした。普通は玉入れというと「紅白玉入れ」ですが、ここでは赤、白、青、黄の四色に分かれた玉入れです。青空に四色の玉が飛び交ってとてもきれいでした。

11時半、カンカン照りの中を歩いていると、頭がボーっとして、足もとがふらついてきました。これが熱中症でしょうか。

一休みしようかと思いましたが、適当な場所がなくて、もうしばらく歩き続けました。

間もなく「草薙神社」の大鳥居にさしかかりました。ここは日本武尊(やまとたけるのみこと)が宝刀を抜き逆賊の放った炎から逃れたことで有名な場所です。今でも土中から黒く焦げたような土が出るとのことですが、この神話も何か事実に基づいているのでしょうか。

いよいよ本格的な熱中症の症状が出始め、倒れそうになってきたので、たまたま街道にあったファミリーレストランに飛び込みました。

アイスコーヒーを頼むと、「お変わり自由ですから、何杯でもどうぞ」と言って、飲み干すごとにすぐにまた注ぎに来てくれます。申し訳なく思いながらもコーヒー3杯と水をグラスに2杯立て続けに飲みました。そして30分ほど冷房の中で体を冷ますと、みるみるうちに体力が復活してきて元気になりました。

あのままもう少し無理をしていたら、完全に「熱中症」になっていたことでしょう。ちょっと怖くなりました。これから先は十分に気をつけて、水分を多すぎるぐらいにとりながら歩くことにしました。

1時半、いよいよ府中(静岡)の町外れに入って来ました。少しずつ商店が増え始め、にぎやかさを感じるようになりました。

Photo_133 しばらくそのまま歩くと、静岡市の中心部に入りました。ビルが立ち並ぶ大きな街です。2時ごろレストランに入り、カレーライスで昼食をとりました。

今日はこの後「丸子宿」まで歩く予定ですが、丸子にはホテルも旅館もなさそうなので、ここ府中(静岡)で電話をしてビジネスホテルを予約しました。丸子まで歩いたら帰ってくるつもりです。

Photo_90 3時半、安倍川のほとりに着きました。安倍川橋のすぐ手前に名物の安倍川餅を売る「石部屋」を見つけ、中に入って「きなこ餅」と「あん餅」を注文しました。

Photo_91 せっかくの名物を頼んだのですが、驚くほどの量の多さです。さっき食べたカレーライスがまだお腹に残っていて、全部は食べきれず、半分ほど残してしまいました。

安倍川橋を渡りました。長さが300メートルもあろうかと思われるほどの長い橋です。

Photo_92 日も傾き、橋の上は涼しい風が吹き抜けて、生き返ったような気分です。このまま丸子まで元気に歩き通せるような力が湧いてきました。

4時過ぎ丸子宿の町並みが見えてきました。広重の浮世絵から想像してもっと山の中のさびしい宿場かと思っていたのですが、思ったよりも開けていて、通る車も多く、ちょっとがっかりしました。

Photo_93 しかし、丸子の中心部に近づくにつれて道も狭くなり、両側に古い作りの家が立ち並び、街道の風情が感じられるようになってきました。

普通の民家が並んでいるのですが、どの家にも厚い板に屋号の書かれた看板が掛けられています。その一つ一つを見ながら歩くと、「よろずや」「やねや」「鍛冶屋」などがあり、なかなか面白いです。

Photo_12 Photo_13

5時少し前に「とろろ汁」で有名な丁子屋に着きました。広重の浮世絵そのままのような、わらぶき屋根の店で何だか見るだけでうれしくなりました。

ここでは必ずとろろ汁を食べようと思っていたのですが、何だかまだお腹が空かず、食べる気になりませんでした。

その後、バスで静岡に戻り、駅の近くのビジネスホテルにチェックインしました。

丸子から藤枝まで 5月27日

 7時起床、窓の外を見ると今日も朝からカンカン照りのお天気です。今日も熱中症に気をつけながら歩かなければなりません。

 昨夜コンビニで買ってきておいた「おにぎり」で朝食をすませ、部屋でストレッチをした後、8時ちょうどにホテルを出発しました。

静岡駅の北側からバスに乗り、昨日の到着地点「丸子(まりこ)」まで戻りました。

9時15分にとろろ汁の「丁子屋」の前を再びスタートして岡部(おかべ)を目指しました。今日は岡部を通り越してもう一つ先の藤枝まで歩く予定です。

丸子宿のはずれを歩いていると、民家の玄関に立っている人が「こんにちは!」と声をかけてくれます。こちらも丁寧に頭を下げて、明るい声で「こんにちは!」と挨拶を返すと、とても清清しい気分になります。

Photo_97 宿場を出たところで振り返ってみると、丸子宿というのは山間の小さな宿場町であることがよく分かります。

その後、国道1号線としばらく合流して歩きます。太陽が次第に高くなり、自分の影が短くなってきました。それとともに暑さが厳しくなり、また頭がボ~ッとしてきました。

しかし、この頃から今日は昨日と違って風が吹き始め、爽やかな気分になってきました。ずっとこの調子だと今日は無事に藤枝まで歩き通せそうです。

Photo_98 しばらく歩くと「宇津ノ谷峠」の登り口にさしかかりました。古い家並みがしばらく続き、集落全体が意識的に清楚に整備されていることが分かります。

Photo_99 坂道の途中に「お羽織屋」という屋号の家があります。昔、小田原征伐のためにここを通りかかった豊臣秀吉がこの家の主人の言動をいたく気に入り、戦に勝って帰るときに再び立ち寄り、ほうびとして陣羽織を与えたそうです。

以後、この家を「お羽織屋」と呼ぶようになったとのこと、現在もここではその羽織を展示しています。

Photo_100 その家の裏側が入り口になっており、立ち寄ってみると、優しい感じのおばあさんが羽織にまつわる話を丁寧に語ってくれました。話はいつまでも続きそうでしたので、先を急ぐ私は適当なところでお礼を言ってその場を離れました。

江戸時代にはこの羽織のことが有名になり、参勤交代の途中の大名たちもわざわざ立ち寄り有難そうに羽織をさわっていったそうです。そのために白い部分が手垢で変色してしまったとおばあさんが言っていました。

Photo_101 その後、宇津ノ谷峠の登り道に入りました。ここは鬱蒼とした杉林や竹林の中の薄暗い峠道で、出会う人もない静かなところです。

道の真ん中に大きな木の枝が落ちていました。近づいていくと、突然その枝がシュルシュルと音を立てて動き始めました。

びっくりして思わず飛び下がりました。心臓がドキドキしているのが分かります。

よく見ると大きな蛇です。じっと見ていると蛇もこちらを見ています。よく観察すると、長さが2メートル近くあり、太さも親指と人差し指でつくる丸よりももっと大きく、迫力があります。

しばらくにらみ合っていましたが、蛇は林の中に消えていきました。

後になって写真を撮っておけばよかったと思いましたが、やはり急な出現にびっくりしてそれどころではありませんでした。

Photo_135 11時過ぎに宇津ノ谷峠を越えて、岡部の宿場に近づいてきました。

太陽はいよいよ真上に近づき、自分の影はほとんどありません。

ちょうどお昼ごろ岡部の「柏屋」という昔の旅籠に着きました。今は復元されて資料館になっています。そこを見学したあと、裏にある土蔵を改造したレストランで「とろろそば」を食べました。

Photo_103 このあたりは昔から「とろろ」の名産地ですので、食べてみようと思ったのですが、普段は食べようとも思わない「とろろそば」がびっくりするほど美味でした。冷たく冷えたそばと喉越しのよいとろろが暑い街道を歩いてきた私には何よりも美味しく感じられました。

再び岡部の宿場を通り抜ける道を歩き始めました。カンカン照りの道は人通りもほとんどありません。

Photo_104 Photo_105 Photo_106 Photo_107

岡部にも丸子と同じように家々に屋号を書いた木札が掛けられています。いろいろな屋号を興味深く見ながら歩きました。

その時むこうから足の不自由な若い女性が歩いてきました。私は何となく見て見ぬ振りをして、すれ違おうとしました。すると突然むこうから「こんにちは!」と明るい声で声を掛けられました。

私はそのお嬢さんの笑顔になぜか救われるような思いをするとともに、自分を恥ずかしくも感じました。

その後もユニフォームを着た少年野球の子どもたちの集団や、女子高校生などに「こんにちは!」と声を掛けられました。

このあたりは学校などで挨拶をするように教育されているのでしょうか、それとも昔から栄えた宿場町としての風土が、そこにすむ人々を旅人に優しく作り上げたのでしょうか。

Photo_136 2時半、藤枝の街に入ってきました。商店街が続いており、アーケードが歩道を覆っているので、しばらくは日陰を歩くことができそうで嬉しいです。

Photo_109 3時25分、今回のゴールである藤枝駅に無事到着しました。新幹線の切符を買ったあと、しばらく時間があったので駅のコーヒーショップでアイスコーヒーを飲んで一息つき、その後静岡へ出て新幹線に乗り換えて東京の自宅に戻りました。

次回は藤枝から再びスタートです!

2007.06.28

藤枝から金谷へ 6月16日

Photo_137 朝6時半、我が家を出て東京駅経由新幹線で今日のスタート地点藤枝へ向かいました。

9時半に藤枝駅に到着、駅前で準備運動をしたり日焼け止めを塗ったりした後、10時ちょうどに歩き始めました。

今日も快晴で、ジリジリとお日様が照りつけています。熱中症に気をつけながら歩かなければなりません。

街道を歩き始めると、ところどころに松並木が残っていて、少し昔の面影が感じられます。

Photo_138 町外れに差し掛かると、住宅の間に田んぼが見られるようになりました。田植えが終わって1ヶ月ほどたっているのでしょうか、稲は美しい緑色に輝き元気に成長しています。

島田宿に入り、ちょうど正午になったころ、自分の影がほとんどなくなり、足元に小さくまとまってしまいました。太陽は頭の真上から容赦なく照りつけています。体感温度は優に35,6度はあるのではないかと思われます。こまめに水分をとって熱中症にならないように気をつけながら歩き続けます。

12時半、島田駅の近くの蕎麦屋に入りました。「雪月花」というしゃれた名前の蕎麦屋です。すべてにこだわりをもった店で、手摘みの蕎麦を石臼で挽いた香りの高い「十割そば」にはじまり、手の込んだ「そばつゆ」、てんぷらは揚げたてを一品ずつ出すなど、東京でもなかなかお目にかかれない良い店でした。

美味しい蕎麦に満足したところで、再び歩き始めました。

Photo_139 そこから30分足らずで大井川の川越遺跡に着きました。ここには川越に関する様々な手続きなどをしていた川会所をはじめ、川越人足のための建物や、川越をする人々が料金を支払う場所などが再現されて街並みを形成しています。

Photo_140 川越人足の等身大人形などが置いてあり、思わずギクッとしました。

その後「島田市博物館」を見学した後、いよいよ大井川を渡りました。もちろん今は川を歩いて渡ることはなく、川に掛けられた「大井川橋」を渡ります。

Photo_141 Photo_142 橋は長さが1026メートルもあり、川幅の広さが改めてよく分かります。橋の上から川を見下ろすと、思っていたよりも流れが速く、昔の人がここで命を落とすことがあったということにもうなづけます。

Photo_145 Photo_146 橋の上は帽子が飛びそうなくらいに風が吹いていて、しばし暑さを忘れさせてくれました。

Photo_143 Photo_144 橋を渡り終えるとすぐに金谷宿の街に入りました。宿場町の面影はほとんど残っておらず、わずかに「本陣跡」の看板などが立てられているのみです。

今日は「金谷宿」を通り過ぎて次の「日坂宿」まで歩くつもりでしたので金谷駅のガードを通り過ぎて日坂に向かう坂道を登り始めましたが、暑さで頭がふらふらして思考力がなくなってきたので、「これはよくない」と思い、金谷駅に引き返ししばらく休みました。

そしてそのまま日坂行きをあきらめ、今日は金谷宿に泊まることにしました。

金屋宿は小さな小さな町で、宿屋もあまりなく、電話をしてとれた宿は丘の上の大衆演芸場付属の古い旅館でした。

6畳一間の狭い部屋で、部屋の入り口の引き戸は金具に錠前を通してロックするという、今までに経験したことのない旧式なシステムの旅館でした。もちろんバスもトイレも部屋にはついていません。

しかし、こんな宿も昔の東海道の旅人に比べれば贅沢なもので、雨露がしのげるだけでも幸せだと思える自分が不思議でした。

夕方早く宿に入ったので、お風呂に入ってもまだ5時前で、日は高く何もすることがないので、とりあえず昼寝をして夕食までの時間をつぶしました。

7時ごろ夕食が準備されたのでそれをいただき、そのあとは明日の歩くルートをおさらいしたり、テレビを見たりして退屈な時間を過ごした後、早めに寝ました。

大井川を越えて、何となく嬉しい気持ちだったので、いい夢を見ながら眠れました。

金谷から日坂そして掛川へ 6月17日

7時起床。朝食の場所に行くと、旅回りの一座がお芝居を行う大衆演芸場の舞台つきの大広間でした。200人分ぐらいの座り机が並べられ、間に真っ赤な長座布団が敷き詰められた人っ子一人いない部屋で、初めて見る光景でした。

たぶん昼間は大勢の人がここを訪れ、飲食をしながらお芝居を楽しんでいるのでしょう。

そこの一番舞台から離れた机に私の食事だけがポツンと置かれていて不思議な空間です。(後で写真を撮っておけばよかったと後悔しました…)

食事を済ませた後、8時に旅館を出発しました。

Photo_147 駅の裏から坂道を登ると、じきに金谷の石畳の道にでました。ここは江戸時代の石畳が壊れてしまっていたものを平成3年に町民約600名が力を合わせて道普請を行い、復元させたものだそうです。

途中には地蔵堂などもあって、歩いているとさながら江戸時代にタイムスリップしたかのようです。

Photo_148 Photo_149 この石畳を登り詰めると峠を越えて、今度は菊川坂の下り道になります。ここは江戸時代の石畳がそのまま残っているところがあり、ひなびた丸石に昔がしのばれます。

両側の茶畑からはさかんにウグイスの鳴き声が聞こえています。

その後、間の宿の菊川を通り抜け、急な坂道をひとしきり登ると、昔から短歌や俳句などによく出てくる「小夜の中山」に着きました。急坂を登っただけあってこの辺りは相当に標高が高い山の上です。

昔の人にとっては難所の一つでもあり、京の都から東に下る人々にとっては、いよいよはるか離れた東国へ入っていくという感慨深い場所でもあったことでしょう。

Photo_150 峠の上の久延寺というお寺には徳川家康お手植えの松があり、そのすぐそばには歌川広重の浮世絵にも出てくる、日坂の「夜泣き石」がありました。

Photo_151 Photo_152 その後、昔「夜泣き石」があった場所を写真に撮りましたが、広重の絵と比べると坂道がなだらかで、広重が極端にデフォルメして坂道を急坂に描いたことが分かります。

Photo_153 Photo_154 それにしてもこの辺りはさすが静岡だけあって茶畑の多いところです。一時、日本の茶作りは衰退したのではないかと思いますが、例の「お~いお茶」に始まる日本茶ブームでまた茶作りが盛んになったのではないでしょうか。非常に喜ばしいことだと思いながらどこまでも続く茶畑の間の街道を歩きました。

11時ちょうどに「日坂(にっさか)宿」に着きました。ここに入る前の小夜の中山から下ってくる坂道は驚くほど急な下りで、ふくらはぎの筋肉がつりそうになりました。

日坂は昔の建物などが復元されていて、宿場町の雰囲気を残そうという地元の人たちの気持ちが伝わってきます。

Photo_155 昔の宿を残した「川坂屋」をのぞいてみました。見学者の芳名帳がありましたので記入しましたが、今日は私が最初の訪問者でした。

そこで番をしている女性が「下りの坂道が大変だったでしょう。私たちもこちらから登るときは這うようにして登るんですよ。」と言いながら迎えてくれました。そして宿の内部の案内や、この宿場の話などを笑顔で丁寧にしてくれました。

その後、日坂を離れて、相変わらずの暑さの中を掛川に向かって歩きました。

途中、掛川の町に入る手前で和食のファミリーレストランに入り、冷たいうどんで昼食を済ませた後、再び歩き続けました。

  2,3キロ歩くと、掛川の街に入りました。山内一豊が居城した掛川城の城下町です。

Photo_156 Photo_158 Photo_159 立派な大手門や天守閣が復元されていて、街中の銀行までがお城のような造りになっていました。

掛川駅の方へ歩いていくと大音響で音楽が聞こえてきました。駅前の広場で音楽フェスティバルが行われていたのでした。しばらく私もそこで音楽を楽しみました。

今日は本当は次の宿場の「袋井宿」まで行きたいと思っていました。「袋井」は東海道五十三次の中で、江戸からも27番目、京からも27番目の、ちょうど真ん中の宿場ですので、何とか今日で東海道の旅の半分を終わらせたかったのです。

しかし、掛川からはまだ10キロ近くあり、そこまで行くと今日の帰りが遅くなりそうだったので、今回はあきらめ、掛川から帰ることにしました。

7,8月は暑さで歩くのが無理なようなので、できれば夏前の最終回になりそうな今回で、半分を終わらせておきたかったのですが、「袋井」は次回にまわすことにしました。

掛川から新幹線に乗り、笹かまぼこをつまみにビールを1本飲んだら、そのまま眠ってしまい、起きたときはもう東京に着いていました。

2007.07.14

掛川~袋井~見付へ 6月30日

6時30分自宅を出発、東京駅に出て新幹線で掛川に向かいました。

掛川の駅に着き、駅前の広場で身支度を整えて、10時ちょうどに歩き始めました。

今日明日は長期予報では曇りのはずでしたが、予報がはずれ、雲ひとつないカンカン照りのお天気になりました。これではまた暑い中を熱中症と戦いながら歩かなければなりません。

Photo_164 前回訪れた掛川城の大手門の近くの旧街道まで出て、そこからまた東海道を歩き始めました。

Photo_165 Photo_166 10時40分、大池橋にさしかかりました。広重の掛川の絵に描かれている橋です。昔は土橋だったそうですが、今はコンクリートの大きな橋になっており多くの自動車が行き交っています。

11時、まだ掛川の駅を出発して1時間しかたっていませんが、焼け付くような熱さに両手や顔がヒリヒリするような感覚です。

どこかお店があったら一休みしようと思いましたが、旧街道沿いにはそれらしきお店が全く見当たりません。しかたなく暑さの中を歩き続けました。コンビにすら一軒もありません。

Photo_167 しばらく歩いていると松並木が現れましたので、木の根っこでちょっとだけ休憩をしました。

Photo_168 正午ごろ自分の影を見ると、足元に小さくまとまっています。太陽が真上から照っているということです。

正午少し過ぎにいよいよ「袋井宿」の入り口にたどり着きました。

Photo_170 ここは東海道五十三次の中で、江戸から数えても27番目、京都から数えても27番目の宿場で、ちょうど真ん中に位置することで有名な宿場町です。

どうしても夏前にここまで制覇しておきたかったので、実現することができてうれしいです。

しかし、街道の両側には民家が並んでいるだけで、炎天下に人っ子一人あるいていません。

お店も見当たらないので、そのまま黙々と歩いていると、右手にダイワハウスの広大な工場が現れました。歩いて通り過ぎるのに相当時間がかかるほど広い敷地です。

こんな小さな宿場町に、

「何でダイワハウスなんだ?」

と思いましたが、あまり深くは詮索しないでそのまま通り過ぎました。

Photo_171 しばらく行くと左手に小学校が見えてきました。校門には大きな木製の看板がかけられており、「どまんなか東小学校」と書かれていました。

東海道五十三次のど真ん中に位置する小学校として、子どもたちは誇りをもっているのでしょう。敷地内に一里塚も復元してありました。

Photo_172 Photo_176 そこを通り過ぎて町の中心部に行くと、「どまんなか茶屋」がありました。昔の広重の絵ではちょっとした木陰を利用して土盛りをしただけの小さな茶屋ですが、今は写真のようなかわいい茶屋になっています。

しかし、特に食べ物らしいものはなく、店番のおじいさんがお茶と漬物とせんべい(無料)を出してくれました。

店番のおじいさんと先客の2人のおじいさんに私を入れて(本当は自分をおじいさんの中には入れたくないのだけれど…)、計4人の「おじいさん」でお茶を飲みながら、しばらく談笑をした後、そこを離れました。

1時半になりましたが食事をできそうな店がなかなか見当たらないので、仕方なくもうしばらく歩きました。

2時になってやっと街道沿いに蕎麦屋があったので、そこで親子どんぶりとうどんのセットを注文しました。まあまあ美味しかったのですが驚くほど量が多くて、半分ほど残してしまいました。

食後2時間ほど歩いたころ、見付宿(今の磐田市)に近づきました。

さすがにサッカーチームのジュビロ磐田のホームタウンだけあって、商店街の両側にはジュビロ磐田の水色の旗がそこかしこに掲げてあります。

Photo_173 宿場の中心部の本陣跡の近くに「旧見付学校」がありました。現存する最古の小学校で、石垣の上に5階建ての白亜の校舎が美しく鎮座していました。

Photo_174 中に入ると、昔の教室風景や校長室などが再現されていて、なかなか興味深いものがありました。

その後、道は大きく南に折れて、磐田駅まで続いていました。

駅の近くに昨日予約をしておいたホテルを見つけチェックインしました。小さなビジネスホテルですが、清潔で感じのよいところでホッとしました。

ホテルについてテレビのニュースを見たら、今日はこの地方は昼間気温が35度もあったと言っていました。どうりで暑いはずです。熱中症にならなかったのは幸いでした。

そのニュース以上に驚いたのは、久間防衛大臣が広島・長崎に落ちた原爆が「しょうがない」ことだったと発言したとのニュースです。

私も長崎での被爆者の一人として許すことのできない発言です。ホテルの部屋で一人怒っていました。

しかし、彼は同じ長崎の出身といっても長崎市から遠くはなれた島原半島の人だから所詮他人ごとのようにしか感じていなかったのだろうと思うことにしました。

しかし、こんな人が防衛大臣なんていかにも今の日本を象徴しているなあと、不思議に納得しました。

Photo_175 夜はホテルの近くの「春駒」という寿司屋で一杯やりながら夕食を食べました。イイダコが美味しくて酒が進みました。

最初は無愛想だった店の大将と次第に話がはずみ、同じカウンターに座っているお客さんも仲間に入って東海道の話などで盛り上がりました。

その後、いい気分でホテルに帰り、ぐっすりと眠りました。

見付から浜松へ 7月1日

7時に起床、ホテルのレストランで朝食を済ませて、8時にホテルを出発しました。

ホテルの前の通りがちょうど旧東海道ですので、そのまま西に向かって歩き始めました。

今日は空は曇っていて昨日よりも暑くはなさそうですので、うれしいです。

Photo_177 Photo_178 ホテルを出てちょうど1時間歩いたところで天竜川の土手に着きました。河川敷は野球場になっていて多くの人たちが朝から野球を楽しんでいます。

Photo_179 9時半「新天竜川橋」の上で日本橋からちょうど250キロの標識を見つけました。本当に自分の足で250キロの距離を歩いてきたのだなあという感慨にふけりました。

続けて休まずに歩き続け11時ごろ浜松の町に近づきました。今日は曇り空なのでホテルを出てから3時間休憩なしで歩き続けることができました。

浜松のはるか手前からでも市内にそびえるひときわ高いビルが見えます。浜松はもっと小さな都市かと思っていましたので、高層ビルがあることに驚きました。

市の中心部に着く前に郊外の「ガスト」に入り、アイスコーヒーをたのんで今日初めての休憩をとりました。ドリンクバー形式だったので3杯もお代わりをして十分に水分を補給しました。

Photo_186 そこを出て再び歩き始めると、早くも昼前に浜松駅の近くに着きました。

今日はここがゴール地点の予定でしたので、ゆっくり市内見物をすることにしました。

Photo_180 Photo_181 まずは浜松城を目指しました。徳川家康が17年間在城した由緒ある城です。天守閣に登って周りを見晴らすと、改めて浜松が大きな街であることが分かりました。

城から下りてきて浜松駅を目指しました。駅も大きな駅です。

駅の近くで明治創業の老舗のうなぎ屋「八百徳本店」に入りました。浜松と言えばやはり「うなぎ」です。食べずに帰ることは許されません(?)

Photo_182 「おひつ・うなぎ茶漬け」を注文しました。

まずは、おひつ半分の「ひつまぶし」を食べ、残った半分をたっぷりの刻みねぎと生わさびをのせて、その上にだし汁をかけてお茶漬けにします。

「う~ん!」とうなりたくなるほどの美味しさでした。

Photo_183 満足したところでそこからほど近い「楽器博物館」を訪れました。全世界から集めた楽器を展示してある大きな博物館です。

Photo_184 楽器が大好きで、東京の楽器屋に行っても、何時間見ていても飽きないような私ですので、ここはまさにパラダイスのようなところでした。

Photo_185 ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南米などの様々な楽器はいつまで見ていても楽しく魅力的でした。

ここでゆっくり楽しんだ後、浜松駅から新幹線に乗り、東京の自宅に帰りました。

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         お 知 ら せ

今回の旅が暑さの中を歩く限界だったような気がします。

これからの7月、8月は熱中症が怖いので、東海道の旅はしばらく休止にして、続きはまた9月になってからにしたいと思います。

(7月、8月は涼しい高山歩きをする予定です。)

9月に浜松から再びスタートして秋の紅葉のころ京都にゴールインできたら理想的だなと考えています。

3月からこのブログにお付き合いくださった方々、ありがとうございました。

また9月になったら是非訪れてくださることをお待ちしています。

では、またお会いしましょう!

2007.09.18

浜松~舞坂~新居へ 9月14日

 お久しぶりです! しばらくご無沙汰しました。

夏の間、熱中症を避けるために7、8月は東海道の旅もお休みしました。

この間、日本列島は記録的な猛暑でしたが、皆様はお元気でお過ごしでしたでしょうか?

私はこの夏、息子二人とともに日光白根山と富士山に登りました。富士山は始めての挑戦でしたが、無事に登頂しました。頂上から見たご来光の美しさは強く心に残りました。

9月も中旬になって、東海道の一人旅もそろそろもう再開してもよいだろうと思い、前回の最終地点浜松から歩き始めることにしました。

以下、再び「東海道五十三次一人旅」のブログを続けますので、どうか最後の京都へのゴールインまで気長にお付き合いください。

9月14日(金)

久しぶりの東海道の旅に胸を躍らせて6時ちょっとすぎに自宅を出ました。東京駅に出て、8時06分発の新幹線で今日のスタート地点の浜松に向かいました。

Photo 浜松地方の天気予報では台風接近のため今日から3日間とも雨時々曇りになっていましたが、天気予報がはずれて強い日差しが照りつけています。

駅前を10時に出発して前回の最終地点の本陣跡を目指しました。

2ヶ月以上ぶりの浜松ですが、すぐに土地勘を取り戻し東海道の本陣跡に出ました。

Photo_15 すぐに舞坂を目指して歩き始めましたが、朝からもうジリジリと照りつけるような暑さです。この時期ならもう大丈夫だろうと思いこの旅を再開しましたが、まだ1,2週間早かったようです。

しかし、スタートしたからには頑張って歩きます!

今日は舞坂を通って、新居まで歩く予定です。途中浜名湖を渡るのを楽しみにして歩こうと思います。

Photo_6 11時ごろ街道沿いに見慣れた看板を見つけました。私が日ごろ登山用具を買う店「好日山荘」の看板です。私の家からすぐ近くなのでちょっと暇があるとその店に出かけて山の道具をいろいろと見るの楽しみにしているのです。

全国に系列店があるのは知っていましたが、東海道沿いにあったので妙に感動しました。中に入って一回り見た後、すぐにまた歩き始めました。店の中が冷房がきいていたので、1時間ほど炎天下を歩いてボーッつとしていた頭が少しすっきりしました。

Photo_5 その後東海道は国道257号線として多くの自動車が行き交う単調な道が延々と続きます。

このような平坦な道は昔の旅人には歩きやすく喜ばれたと思いますが、現代の旅人の私にはいささか単調すぎて退屈な道中です。

やはり上り坂や下り坂、森や林の中、美しい景色などが旅にいろどりを与えてくれるのですが、これでは見るものもなく、ただ黙々と歩き続けるだけです。

浜松を出発して2時間、初めての休憩を「マクドナルド」に立ち寄ってアイスコーヒーを飲みながらとりました。あと1時間半も歩けば浜名湖が見えてくるのではないかという期待感が元気を与えてくれます。

10分ほど休憩したあと再び単調な国道を歩き続けました。

ボーッと歩いていたら、途中で何か様子が違うので地図をよく見てみると、どこかで道を間違えたらしく南に向かって歩いていました。

すぐに元の道まで戻りましたが、30分ほどのロスをしてしまいました。

東海道を歩き始めて道を大きく間違えたのはこれが2度目ですが、歩いて旅をする人のための道標が全くないところもありますので、よく気をつけて歩かないと間違えてしまいます。

12時50分、相変わらず太陽が容赦なく照り付けています。汗が眼の中に入って痛くなるほどの暑さの中を歩き続けます。

1時20分、舞阪駅の近くに差しかかりました。まだ昼食を食べていないので、この辺で食べようと思いましたが、適当なお店がないので、もう少し歩き続けることにしました。

Photo_5 するとすぐに見事な松並木が見えてきました。今まで東海道を歩いてきましたが、これだけのきれいな松並木が残っているところは初めてです。

照りつける太陽から涼しい日陰をつくってくれて旅人を守ってくれる松並木のありがたさが身にしみて分かります。

昔は東海道はこのような松並木があちこちに作られ旅人を癒してくれていたのでしょう。

1キロ近く続く松並木を抜けて再び暑い日差しの中を歩いていると、向こうから一人の上品な中年の女性が歩いてきました。

「東海道を歩いていらっしゃるのですか?」 「そうです」と答えると、「すぐそこの道を入ったところで『しらす』を作っていますよ。」と教えてくれました。

Photo_6 Photo_7 言われたとおりに行ってみると、広い広場に一面にしらすを干していて、それを10人ぐらいの女性が取り込んでいる途中でした。

キラキラと輝く美味しそうな「しらす」です。「一口味見してみませんか?」と言われるかなと思っていましたが、だれも言ってくれないので、そのまま静かにそこを立ち去りました。

Photo_8 この辺りは「しらす」が名物のようで、通りのあちこちに「しらす・のり」などと書いた看板のお店が見られます。

そろそろ2時なのでお腹もすいているのですが、街道筋には食べ物屋さんがまったく見当たりません。どこまで行けば昼食にありつけるのでしょうか?

Photo_9 舞坂宿に入ると、「舞坂宿脇本陣」がありました。昔の大名など身分の高い人たちが泊まった宿が「本陣」ですが、それに次ぐ宿が「脇本陣」です。

Photo_4 中に入ると受付兼案内の老婦人がいて愛想よく歓迎してくれました。今、他には誰も見学者がいないので特別に観光客が入れないところに入れてあげましょう、と言って、昔大名しか入れなかった上段の間に入れてくれてくれました。そして殿様用のりっぱな座布団の上に座らせてくれ、記念写真を撮ってくれました。

Photo_2 そこを出るときに彼女に「この辺で食事のできるところは?」と聞くと「魚あら」という店がすぐ近くですよと教えてくれました。この店のことはガイドブックで読んで私も知っていたので喜び勇んで行ってみたら、2時半で昼食は終わりの札がでていて閉まっていました。

Photo_11 仕方なく浜名湖のそばの浜辺まで行き、3時ごろ近くのコンビニで買った魚肉ソーセージとお茶で昼食にしました。粗末な食事でしたが、美しい浜名湖の景色を見ながら美味しくいただきました。

Photo_3 その後、弁天橋を渡って弁天島を通り抜け対岸の「新居(あらい)」まで歩きました。

Photo_12 Photo_13 Photo_14 有名な新居の関所に行くともう閉館時間間際でしたが、気持ちよく入れてくれました。

ここは東海道では箱根の関所に並んで有名な関所です。町をあげて関所の再現に取り組んでいるだけあって、なかなかよく整備されており、往時の関所の様子がよく分かりました。

ここから予約しておいた宿に電話をするとすぐに車で迎えに来てくれました。

町からだいぶ離れた古びた旅館です。今日の泊まり客は私一人のようで広い館内は静まり返り、人気もなく気味が悪いほどでした。

風呂に入った後、夕食を食べながら冷酒をいただき、夜はテレビを見たり、I-pod で音楽を聴いたりしながら時間を過ごし、早めに床に入りました。

いつまでも寝つきが悪く、何度も何度も寝返りを打ちながら、何とか眠りにつきました。

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2007.09.24

新居~白須賀~二川~吉田へ 9月15日

朝7時起床、外はとてもよい天気です。天気予報では雨とのことでしたが、朝から強い日差しが照りつけています。

朝食を宿の食堂でとった後、8時にチェックアウト、宿のご主人の車で、昨日迎えに来てもらった新居の関所まで送ってもらいました。

今日はここから再びスタートして白須賀、二川の二つの宿場町を通過した後、吉田(現在の豊橋)まで歩く予定です。

8時10分に歩き始めましたがすぐに空が暗くなり曇ってきました。沖縄に台風が接近しているとのことですので、その余波でしょうか、今にも雨が降りそうな空模様です。

途中、紅葉寺跡を通過しました。ここは室町時代の将軍、足利義教が紅葉を鑑賞したところであるところから、この名前がついたと言われています。

Photo 9時45分、上り坂に差し掛かりました。昨日からずっと平坦な道ばかりが続いていましたので、久しぶりの坂道です。これが広重の絵にもある「潮見坂」です。坂道の入り口は写真のようになだらかですが、少しずつ急な坂道になっていきます。

Photo_4 汗を拭き拭き坂道を登っていると両側の雑木林から盛んにセミの声が聞こえてきます。誰もすれ違う人なく、まるで昔の街道を歩いているような錯覚に陥ります。

Photo_2 坂道を登りきると、左手に「おんやど白須賀」と書かれた大きな黒瓦に白壁の昔風の建物がありました。白須賀宿歴史拠点施設だそうです。見学・休憩無料と書かれていたので、中に入り一休みすることにしました。

中に入ると受付の老紳士が笑顔で出迎えてくれました。ここは白須賀宿の資料を展示してあるのですが、たまたま今は「原子爆弾の資料展示期間」だそうで、原子爆弾の写真集などが展示したありました。

私が入っていったとき、その老紳士は写真集に見入っていたところでしたが、「いやあ、原子爆弾とは惨いものですなあ。この写真集で初めて知りましたよ。」と辛そうな顔で言っていました。

「実は私は長崎での被爆者なのですよ。」と言うと、「ええ! そうですか。また、奇遇ですね。」と言って、いろいろと質問をしてきました。

冷たい麦茶をご馳走になりながら、しばらく原子爆弾のことや昔の白須賀宿のことなどを語り合った後、そこを失礼しました。

74歳の彼でさえ、今まで原子爆弾についてはほとんど知らなかったことを考えると、現代の若者が戦争や原子爆弾のことについて無知なことは当たり前のように思われ、少し悲しくなるとともに、私のような被爆者が積極的に伝えていかなければならないという思いを新たにしました。

気を取り直して歩いていくと、白須賀宿に入りました。この宿場は昔は、さっき登ってきた潮見坂の下の海岸沿いにあったそうですが、大地震による津波で壊滅したため、約300年前に高台のこの場所に宿場全体が移ってきたそうです。

あまり見るところもないので、本陣跡などを見ながらこの宿場は通り過ぎ、次の「二川宿」に向かって歩き続けました。

Photo_3 白須賀宿をはずれてしばらく歩いていると、ちょうど11時に静岡県と愛知県の境にさしかかりました。東西に長い静岡県の旅がやっと終わり、愛知県に入ったのです。

その後、街道は国道1号線に合流し、また坦々とした変化のない道になりました。太陽は容赦なく照りつけ、猛烈な暑さの中を歩きましたが、1時間ほど誰一人すれ違う人がいません。自動車だけが轟音を響かせながらひっきりなしに走り過ぎていきます。

暑さで意識がもうろうとしてきたころ、遠くにコンビニらしき看板が見えてきました。

やっとたどり着いて、コンビニに入ると、冷房が効いていて、地獄から天国に入ったような気持ちです。

飲むアイス、「ロッテ・クーリッシュ」なるものを初めて買ってみました。それをチューチュー吸いながら、再びカンカン照りの中を歩きましたが、その美味しいこと! 思わず「うま~い!」と大声で叫びたくなるほどでした。暑さで焼けそうな体に浸み込むような冷たさが何とも言えず美味で、生き返るような気分です。

Photo_5 Photo_15 12時20分、「二川(ふたがわ)宿」に着きました。

Photo_13 Photo_14 ここには立派な「本陣資料館」があります。中を見学すると本陣も立派に復元されており、資料館の展示物も充実していて、なかなか見ごたえのあるものでした。

江戸時代の街道の様子、旅の様子、宿の様子などなどいろいろなことが分かり、大変勉強になりました。

その後、そこを出て二川の駅前に来ました。もう1時半なのでこの辺りで昼食を食べようと思っていたのですが、まったくそれらしきお店がありません。

せめて飲み物だけでもと思い、自動販売機でペットボトルの飲み物を買うと、その機械が音声でしゃべる機械でした。東京でもときどき見かけることがありますが、二川の販売機君は「まいど、おおきに~!」と関西弁でしゃべるので思わず笑ってしまいました。

それにしても日本橋を出発してそろそろ300キロ近く、もう関西文化圏に入ったのだなあ、ということが販売機君の関西弁で感じられました。

Photo_10 Photo_11  3時20分「吉田宿(豊橋市)」の郊外に差し掛かりました。昔は城下町として栄えたところだけあって、いかにも城下町らしい雰囲気がただよっています。この旅で通り過ぎてきた小田原や掛川などと街並みに共通点が感じられます。

Photo_8 Photo_9 その後、吉田宿の本陣跡や問屋場跡などを通り過ぎて、4時半ちょうどにJR豊橋駅に着きました。駅前のビジネスホテルに電話を入れると空いていたので、そこにチェックインして荷物をおろしました。

ちょっと一息ついた後、ホテル内のコインランドリーでシャツやズボンなどを洗濯しました。着替えは3日分持ってきていたので洗濯はしなくてもよかったのですが、汗臭い衣類をリュックに入れておきたくないので洗ってすっきりしました。

その後、夕闇がせまるとともに街に出かけ、ある店に入って、美味しい肴をつまみにお酒をいただきました。

Photo_6 ホテルの人が、この辺りで一番魚の美味しい店だと教えてくれただけあって、何を注文しても美味しいものばかりでした。

大好物の「松茸の土瓶蒸し」もとてもよい香りで、満足しました。

その後、街中をしばらく散歩してからホテルに帰り、明日歩く道を地図で確認したりした後、眠りにつきました。

吉田~御油~赤坂へ 9月16日

7時起床。ホテルで朝食を済ませた後、8時にホテルを出発しました。

Photo_16 出発してすぐに昨日の最終地点まで戻り、東海道を歩き始めましたが、すぐに雨が降り始めました。豊川のほとりでリュックから傘を取り出しそれをさしながら歩き続けました。

豊橋を渡り、御油(ごゆ)宿に向かって街道は続いています。

雨はますます強くなってきましたが、カッパを着るのは面倒だし、暑そうなので、リュックにカバーをかけるのみで、傘だけにしました。

10時45分、「小坂井」という町を通り過ぎ、街道は続きます。この辺りは狭い道を自動車が行き交い、人間は遠慮しながら歩道もない道の端っこを歩かなければなりません。

Photo_17 この東海道の旅を始めてから、あちこちでこのような人間無視の道路を歩いてきました。昔の東海道をそのまま道路にしたところが多いので、歩道を作る道幅がとれないのは仕方がないのかもしれませんが、それにしてもひどいものです。

この辺りも全く歩道がないか、あるいはあっても道路の側溝のふたの部分だけが人間の歩くスペースになっています。

Photo_18 その狭い白線内の歩道でさえ真ん中に電柱が立っているところがあります。今日は車が少ないからよいものの、交通量が多いときにこんなところを通るときは、まさに命がけと言わざるを得ません。

旅人が通るための江戸時代の東海道の方が、もっと人間を大切に考えた道だったのではないでしょうか。

雨はますます激しくなってきました。どこか雨宿りできるようなお店がないかと思いましたが、全然それらしきところがありません。

そのまま歩き続けていると、12時ごろ大きなうどん屋が現れました。ちょうどお昼時でもあるのでそこで傘をたたんで店に入りました。

雨は降っていても湿度が高くて、汗びっしょりになって歩いていたので、何か冷たいものが食べたくて、冷やしそうめんを注文しました。

食べ終わって外に出ると、雨が上がっていました。

しばらく雨上がりの街道を歩きながら次のようなことを考えました。

東海道の旅を完歩することを目的としている人はたくさんいますが、ある本に「東海道は完歩することにも意味があるが、観歩、つまりいろいろなものを自分の目でよく観ながら歩くことが大切だ」と書いてありました。

なるほどと思いながらその文を読みましたが、私は東海道の旅を始めて以来、もう一つ大切な「かんぽ」があると思い続けてきました。

それは「感歩」です。

Photo_19 歩きながら、様々な音や臭いや色、そして味や手触りなどなどを五感を通して感じながら歩くことの大切さに気づいたのです。それ以来常に五感を敏感にさせながら歩いています。

これから京都までまだまだ遠い道のりですが、ゴールインするまで「完歩」「観歩」「感歩」を目指して一歩一歩を大切に、そして楽しみながら歩きたいと思います。

そんなことを考えながら、御油に向かってしばらく歩いていると、御油宿の入り口にかかる「御油橋」にさしかかりました。

Photo_20 いかにも宿場の入り口の橋らしく、小さな風情のある橋です。橋の際には神社があって、ちょうど祭礼の日らしく大きな白い幟がかかげられていました。何とも言えず良いながめで、しばらく橋の欄干に座って眺めていました。

Photo_21 Photo_23 その後、御油の宿場町を通り抜けましたが、古い家並みも残っていて、広重の絵に描かれた御油の様子が頭に思い浮かびました。

御油の宿場を抜けると、すぐに見事な松並木が現れました。街道の両側に巨大な松の木が何百メートルにもわたって並んでいます。

Photo_22 東海道には昔はどこにでもあった松並木ですが、今では松くい虫などの被害にあって、残っているところは少なくなっています。

その点、ここは地域を上げて松並木の保存に力をいれているようで、今もなおこれだけの松並木が残っています。素晴らしいことだと思います。

御油から次の宿場の「赤坂」までは、わずかに1.7キロです。東海道五十三次の宿場間の距離としてはここが一番短いところです。

Photo_24 松並木を抜けると間もなく赤坂宿に入りました。

江戸時代の赤坂は歓楽街として有名だったそうですが、今は静かな小さな街並みが残っているのみです。

今回はこの赤坂をゴールにして、これから東京へ帰ることにします。

Photo_17 名鉄名古屋線の「名電赤坂駅」に行くと小さな小さなかわいらしい無人駅でした。

そこから電車に乗って豊橋駅まで戻り、新幹線に乗り換えて東京の我が家へ戻りました。

2007.10.13

赤坂~藤川~岡崎へ 10月5日

朝6時少し過ぎに東京の我が家を出て、今日の出発地の愛知県、赤坂宿にちょうど11時に着きました。

我が家から5時間近くかかっています。思えば一歩一歩のこの旅もこんなに遠くまで来たのだなあと、あらためて驚きます。

Photo 赤坂の駅で電車を降りると、駅の近くには彼岸花が真っ赤に咲いて周りの緑の中に浮き上がっています。

駅から7,8分歩いて赤坂宿を通る東海道に出ました。歩き始めるとすぐに古い作りの二階屋が現れました。江戸時代から連綿と営業を続け、今でも旅人を泊める旅籠「大橋屋」です。

Photo_2 Photo_8 昔ながらの連子格子(れんじごうし)を残した建物に「御宿所」と墨で書かれた大きな提灯が下がっています。建物の中も江戸時代そのままに近い状態で残っており、風情があります。ここは広重の絵のモデルになったところだとも言われています。

こんな宿に泊まってみたいと思いましたが、今日はここが出発地点なので泊まるわけにはいきません。

Photo_3 Photo_5 赤坂宿をゆっくりと味わいながら歩きぬけ宿場のはずPhoto_6 れにくると、街道沿いにコスモスが咲き乱れていました。ちょうど彼岸花も競い合うように一緒に咲いていて「秋」を独り占めしているような贅沢な気持ちになりました。

その後も、歩いても歩いても、どこまでもずっと彼岸花がついてくるかのように咲いています。

Photo_4 来るときの新幹線の車窓からも、稲刈りの終わった田んぼのあぜ道や小川の土手に咲いた彼岸花がそこかしこに見られました。

あらためて、日本という国は何と彼岸花の多い国なんだろうと感心しました。

12時30分、歩き始めて2時間半になりましたが街道沿いに食事ができそうな店が全然ありません。そのまま歩き続け、名電山中駅の近くまでくるとコンビニを見つけました。

1時40分、道路わきにベンチを見つけ、そこでコンビニで買った魚肉ソーセージとお茶で10分間だけのランチタイムをとりました。

Photo_7 この旅を始めてから魚肉ソーセージの昼食はこれで3度目ですが、徒歩旅行には実に便利で美味しい食べ物です。

あまり休むと足がだるくなるので食べ終わるとすぐにまた歩き始めました。

Photo_9 Photo_10 2時10分、藤川宿の入り口に差し掛かりました。宿場の入り口には広重の絵にあるような立て札や標柱が再現されて立っています。

Photo_12 この藤川宿にはあまり見るべきものもないので、本陣跡などをちょっと見ただけで通り抜けました。

藤川宿を抜けるとすぐに美しい松並木が現れました。並木のつくる日陰を歩いていると、涼しい秋の風が通り抜け実に爽やかです。

Photo_11 そのまま西へ向かって歩き続けて乙川を渡ると、右手に大岡越前守の陣屋跡がありました。江戸町奉行だった越前守がその後、一万石の大名になり治めたのがこの地だったそうです。

4時ちょうど、岡崎の町に入りました。ここは徳川家康が生まれた岡崎城の城下町です。

Photo_13 この町では東海道は「二十七曲(にじゅうななまがり)」と呼ばれる曲がりくねった道になっています。これは城の防衛上外敵にとって城への距離が長くなるように意図的に作られた道だそうです。

今はもちろんまっすぐに歩くことのできる道があるのですが、昔の東海道に忠実に沿って何度も角を曲がりながら時間をかけて今日の目的地の岡崎公園を目指しました。

5時ちょっと前に岡崎公園に着きました。今日は11時に赤坂を出発して約6時間の間に休憩を取ったのは魚肉ソーセージの昼食をとった10分間だけでした。それ以外はずっと歩き通しでしたが、ほとんど疲れは感じませんでした。

Photo_14 公園の中には岡崎城の天守閣が美しくそびえていますが、今は改修工事中で中には入ることができません。

家康がここで生まれたことを考えると、江戸時代の原点がここにあることが感じられて、あらためて歴史の中にいる自分を再認識しました。

Photo_15 公園の前を流れる乙川の中には大きな噴水が水を噴き上げています。その水が夕日に照らされてキラキラと輝いてきれいです。

公園のすぐ隣にあるホテルを予約していましたので、5時過ぎにチェックインしました。

一休みして日が暮れた後、ホテルの人に教えてもらって「おふろ」という変わった名前のお店に行きました。小さなお店ですが、清潔で落ち着いており、店員の若い人たちも感じがよく、素敵なところです。

Photo_16 カウンターに座り、辛口の冷酒を注文して、無口な主人の作る美味しい料理をつまみながら小一時間過ごした後ホテルに戻りました。

岡崎から知立へ 10月6日

Photo_18 Photo_25 ホテルの最上階の展望レストランでバイキング朝食をとりました。朝日に照らされた岡崎の町や、岡崎城の天守閣を眺めながらの朝食は最高でした。

ゆっくりと朝食後の時間をすごした後、9時にホテルを出発しました。

Photo_19 昨日の「二十七曲(にじゅうななまがり)」の途中からスタートして再び岡崎の城下町を歩き始めましたが、ある通りで街路樹にキンモクセイが並んでいるところがありました。ちょうど花の季節なので街中にキンモクセイの香りが漂い、朝から花の香に酔ってしまいそうな良い気分です。

それにしてもキンモクセイの街路樹を見たのはこれが始めてです。

Photo_20 岡崎の町を歩いているとあちこちに「ジャズ・フェスティバル」のポスターや旗が目立ちました。11月の3,4日に「ジャズストリート」というイベントがあって街中がジャズになるそうです。

ポスターを見ると有名なジャズプレーヤーを始め、何十名ものミュージシャンが集まるようです。

こんな小都市でそんな洒落たお祭りがあるなんて驚きです。ジャズ大好きの私には羨ましく思えます。

Photo_21 二十七曲を抜けるとすぐに八丁味噌の本場である「八丁味噌の郷」がありました。レトロなデザインの大きな工場の建物は何故か気持ちをほっとさせてくれるようなたたずまいです。

Photo_22 それにも増して「八丁蔵通り」を歩いていると、その地域全体に香ばしく懐かしい味噌の香りが漂っており、格子造りの家並みとともに古き良き時代を感じさせてくれています。

Photo_23 Photo_24 その後すぐに矢作川(やはぎがわ)にかかる矢作橋を渡りました。この橋が広重の岡崎の絵に出てくるところですが、もちろん今は大きなコンクリートの橋になっており、さらに現在拡幅工事が行われているので昔を忍ばせるようなものは何も残っていません。

しばらく街道は国道1号線に沿って伸びています。トラックの行き交う道路を歩くこと数十分、また1号線から分かれて旧道に入るとしばらく松並木の続く涼しいコースです。

Photo_26 Photo_27 そのまま歩き続けると松並木がとぎれたところに永安寺という古いお寺が現れました。庭には竜のように曲がりくねった幹をもつ大きな松の木があります。「雲竜の松」と呼ばれている見事な松です。

歩いているうちにいつの間にか1時過ぎになっていました。

Photo_28 今度は知立(ちりゅう)の宿場の手前の「知立の松並木」が見えてきました。ここは非常にきれいな状態で松並木が残っており、よく整備もされています。

Photo_29 Photo_30 この松並木が他の東海道の松並木と違うところは両側に側道がついているところです。「知立」は昔、馬の生産地の近くで、ここで馬市が開かれていました。そのときに馬をつなぐための場所としてこの側道が作られたとのことです。

2時ごろ知立の駅に着きました。駅前に餃子屋さんがあったので、そこで遅い昼食を食べました。

Photo_31 その後、次の宿場の「鳴海」まで行こうかどうしようか迷いましたが、時間が中途半端なので今日はゆっくりこの宿場で過ごすことに決めて、町外れのビジネスホテルを予約しました。

駅前から歩いて20分のところにホテルはありました。周りに何もない殺風景な場所です。しかし、新しくてきれいな建物です。接客も丁寧で感じがよくほっとしました。

部屋に入ってストレッチをしたあと、たっぷり1時間昼寝をしました。

その後、ホテルの大浴場でゆっくりお湯に浸かり、疲れた体を癒しました。

夕食にどこかいい店はないかとホテルの人に聞いたのですが、ホテルの近くには全然無いとのこと、仕方が無いので暗い夜道を再び知立駅の近くまで行きました。

あちこち探しましたが、なかなか気に入った店が見つかりません。

やっと駅の近くのホテル(ここは少し高級なホテルです)の中にしゃれた居酒屋が見つかったので、そこで食事がてらに一杯やろうと思いましたが、入り口に「今日は貸切です。申し訳ありません。」と張り紙がしてありました。

がっかりしていると、すぐ隣に京懐石の店がありました。歩き回って疲れていたので、引き込まれるようにその店に入ってしまいました。

静かな部屋に和服姿の上品な女性が接客をしており、何だか高級な雰囲気です。東海道の旅にはちょっと贅沢すぎるお店だと思い後悔しましたが、入ってしまったからには覚悟をしようと思って、一番安いコースを注文しました。

運ばれてくる懐石料理をつまみながら辛口の冷酒を美味しくいただき、ほろ酔い加減で、キンモクセイの香りの漂う夜の知立の町を遠回りしてフラフラと歩いてホテルに戻りました。

2007.10.22

知立~鳴海~宮へ 10月7日

7時起床。ホテルで朝食を済ませた後、8時に出発しました。空は美しい快晴で気持ちのよい朝です。

昨日の最終地点の古い和菓子屋さんの前まで戻り、そこから再び東海道を歩き始めます。

今回の旅は今日で3日目ですが、足は全く疲れを感じません。今日も快適に歩けそうです。

Photo 知立の町を出てすぐに逢妻川(あいづまがわ)にかかる逢妻橋を渡るとしばらく街道は1号線に沿って続きます。その後しばらく歩くと東海道は国道から分かれ、農家風の落ち着いた家並みが続きます。

Photo_2 そこから1キロほど歩くと「三河の国」と「尾張の国」の国境であった境川にかかる「境橋」を渡ります。

11時ちょうど、桶狭間の古戦場跡に着きました。今は史跡公園として整備されており、今川義元の墓などがあります。

Photo_3 Photo_4 400年少し前に織田信長がここで今川義元の陣地を急襲して討ち取った場所だということを考えると、またまた歴史の中にいる自分を感じます。

それにしても学生時代にもっともっと歴史の勉強をしておけばよかったとつくづく悔やまれます。いつも東海道の旅をするときには事前にいろいろな本を読み地理や歴史の予習をしてくるのですが、それでも歴史の知識がしっかりと身についていないために十分に名所や史跡などを味わっていない自分がいて、情けなく思われます。

しばらく古戦場の雰囲気の中で時間をすごした後、再び歩き始めました。

そこから1キロほど歩くと「有松」の町に入ってきました。ここは知立と鳴海の「間の宿」です。380年の伝統の技術を伝える絞り染め「有松絞(ありまつしぼり)」で有名なところです。

Photo_5 Photo_7 広重の「鳴海(なるみ)宿」の絵にもここの絞り染めの店で買い物をする人の姿がが描かれています。

おそらく江戸時代にはここの「有松絞」の着物や袋物などは、女性にとっては現代の「シャネル」や「アルマーニ」「ディオール」のような魅力のあるものだったのでしょう。お土産品としても相当高価なものであったようです。

Photo_6 この宿場は昔の風情を残した建物が街道に沿って並んでいます。それだけでも感激なのですが、今日はたまたま運よくこの町のお祭りの日でした。

Photo_8 小さな町には不釣合いなほどの大きくて立派な山車(だし)が3台も出ており、絞り染めのはっぴを着た人たちが大勢でそれを引いています。

どの人も晴れやかで多少上気した顔をしており、祭りの喜びがこちらにも伝わってきます。お囃子も素朴な中に賑わいがあり、往時の街道の賑わいを感じさせてくれます。

Photo_10 このあたりのお祭りにはどこも大きな天狗や怪物のようなものが出るようです。小さな子どもたちはそれを怖がって大きな声で鳴いていました。

Photo_11 大人たちは「どうして怖いのよ。ヤツデのうちわで頭をなでてもらうと強い子になるのよ。」などと言っていましたが、小さなころから獅子舞や天狗などが嫌いだった私には今でもこの「怪物」たちが怖く感じられて、小さな子どもたちが泣いている気持ちがよく分かりました。

Photo_12 ちょうどお昼の時間になったので有松宿の中にある「寿限無茶屋」という古い商家建築の手打ちうどん屋に入り、名古屋名物の「きしめん」で昼食をとりました。中はお客さんで満員でしたが、外から聞こえるお囃子の音を聞きながら美味しくいただきました。

しかし、東海道の旅をしていてお祭りに出会ったのはこれが初めてです。おそらく何百年もの間続けられてきた祭りでしょうから、それを思うと自分も昔の世界に引き戻されるような気がします。

もう少し見ていたい気持ちを抑えて、有松の町を離れました。

Photo_13 12時40分「鳴海(なるみ)宿」の入り口に到達しました。入り口には立派な常夜灯が立っています。

鳴海は来週がお祭りらしく、人々がその準備に励んでいました。

鳴海は江戸時代には海の近くで、潮の音が聞こえたところから「鳴海」という地名になったそうですが、今は海は埋め立てられて遠く離れています。

その後「鳴海宿」を通り抜けて歩き続けると、信じられないような光景が眼に飛び込んできました。

Photo_14 「笠寺の一里塚」という昔ながらの大きな榎が枝を広げる一里塚なのですが、塚のまわり一面に真っ赤な彼岸花が咲いているのです。

Photo それに西日があたり、一里塚全体が赤く浮き上がって見えます。おそらく写真に撮ってもこの美しさをとらえることは難しいでしょう。

まるで昔話に出てくる風景のようで思わず感嘆の声を上げてしまいました。

1年に1度、今しか見ることのできない光景です。先ほどの祭りと言い、この一里塚と言い、出会うことができたことはまさに幸運だと思います。

Photo_16 Photo_17 ここから「宮」の宿場に向けて歩きましたが、歩いている途中、通り過ぎる町々でどこもお祭りをやっていました。先ほどの有松の祭りに比べると規模の小さな素朴なお祭りですが、どこもおみこしが出て大人も子どもも皆楽しそうでした。

3時20分、今回の最終地点である「宮宿」の「七里の渡し」に着きました。ここには全く人影が無く私一人で、ひっそりと静まり返っていました。

Photo_18 江戸時代にはここから「桑名宿」までは陸路ではなく、大きな帆を張った船に乗って海路で渡ったそうです。ここから桑名まで7里(28キロ)あったので「七里の渡し」と呼ばれたとのことです。

常夜灯や時の鐘が復元されており、昔の船着場の面影がしのばれます。

Photo_19 次回は私もここから舟で桑名まで渡りたいのですが、あいにく今は渡し舟がなく、団体で舟をチャーターでもしないかぎり船旅は無理なようです。

仕方がありませんので、次回は桑名まで電車で行ってそこから続きを歩きたいと思います。

Photo_20 Photo_21 「七里の渡し」を後にして20分ほど歩き、「熱田神宮」を訪れました。多くの参拝客があり、境内はにぎやかでした。

今回の3日間の旅が無事に終わったことを感謝して参拝したあと、近くの熱田駅から名古屋に出ました。

Photo_22 こから新幹線で東京の我が家に帰るのですが、その前に駅の近くの「山本屋総本家」というお店で名古屋名物「味噌煮込みうどん」を食べました。さすが「総本家」というだけあってとても美味しいうどんで、満足しました。

その後、新幹線で我が家に帰りました。

2007.11.14

桑名~四日市 11月2日

いつものように朝5時起きで自宅を出て、電車・新幹線などを乗り継いで、やっと10時半に桑名駅に着きました。

前回「宮」の「七里の渡し」でゴールしていました。東海道五十三次は「宮」から「桑名」までは海上を大きな渡し舟で渡っていたところで、ここだけは東海道が途切れています。

本当は私も「渡し舟」で渡りたかったのですが、今はチャーターでもしないかぎり舟はないので、それはあきらめました。したがって今日は桑名まで電車で来たのです。

桑名駅から今日のスタート地点の「七里の渡し」に向けて歩き始めました。

桑名は「その手は桑名の焼きハマグリ」ということわざにあるとおり江戸時代には焼きハマグリで有名だったところです。駅から「七里の渡し」までの道沿いにも何軒もハマグリの佃煮を売る店があります。

途中に「はまぐり食堂」という焼きハマグリを食べさせる店がありました。今日のスタート前に私も「焼きハマグリを」食べたいと思っていましたが、まだ時間が早くて開店しておらず、諦めざるを得ませんでした。

Photo_2  Photo_3

20分ぐらいで「七里の渡し」に着きました。この地域は伊勢湾台風で大きな被害を受けたため、大規模な堤防工事がなされており、昔の面影は感じることができません。

しかし、桑名城の石垣だけは残っており、そこにお城の一部が復元されていて、わずかに昔を想像させてくれます。

しばらく海を眺めて昔の渡し場の賑わいを思い浮かべた後、近くにある本陣の跡を見てから、11時15分に今日のスタートを切りました。

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お寺の多い桑名の街を歩いていると、突然奇妙な店が眼に入りました。看板には「いもや本店」と書いてあるのですが、一目で「何だか変わった店」という感じがします。入り口が雑然としているのです。

のぞいてみるとすぐに店の主人らしきおじさんが現れ、「どうぞ中に入ってのぞいていってくださ~い!」とにこやかに話しかけてきてくれました。

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中は天井から床までびっしりとプラモデルやおもちゃの箱や袋が雑然と置かれたりぶら下げられたりしています。まるで異次元に入り込んだかのようです。

「こんな店が日本に一軒ぐらいあってもいいでしょう。」と嬉しそうなにこやかな顔をしておじさんは言っていました。今までにテレビ局の取材もいくつも来たそうで、有名人も何人か来たとのことでした。

おじさんの悩みは息子がこの店を継いでくれないので、自分限りで閉店になりそうだということらしいです。「ゆっくりしていってください」と言ってくれましたが、まだスタートしたばかりなのですぐに失礼して店を出ました。

桑名の町もやはり城下町だけあって、意識的に街道は曲がりくねって通っているのですが、この町の嬉しいところは通りの要所要所に東海道を示す石標や案内板などが設けてあるところです。旅人にやさしい町だなあ、と感じます。

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また道路上のマンホールのふたは可愛いハマグリのデザインでした。この旅を始めてからいろいろな市町村によってマンホールのふたのデザインが違っていて、それぞれ工夫されており面白いことに気づきました。

12時30分町外れの「町屋橋」を渡りました。その後、四日市に向かって一路街道が続いています。

街道沿いの説明板によると、この辺りはその昔、見事な松並木が続いていて旅人を眼をなごませてくれたそうですが、太平洋戦争中に航空機の燃料にするための「松根油(しょうこんゆ)」を採るために根こそぎ掘り返されて跡形もなくなってしまったそうです。

戦争は多くの人命も奪いましたが、松の木でさえその命を絶たれたのですね…。(このあたりは少しうつむき加減で歩いています)

1時30分、スタートしてからそろそろ3時間になるので一休みしたいなと思いますが、それらしいお店が全然ありません。トイレにも行きたいのですが、コンビにもレストランもガソリンスタンドも見当たりません。

2時30分我慢できないので、街道から少し外れて大きな通りに出てみるとスーパーマーケットの隣にこぎれいな飲茶の店がありました。なぜかちょっと刺激的な味がほしくて、坦々面を注文してすぐにトイレに駆け込みました。

坦々面を美味しくいただいた後、また東海道に戻り、歩き始めました。

3時40分、「四日市の宿場」に近づいてきたようです。今日は四日市を通り過ぎてその次の「石薬師の宿場」まで歩くつもりでしたが、朝のスタートが遅かったことと日暮れが早くなってきたことで、以前のように1日目から長距離歩くことが難しくなってきました。

それに今日は体調もいまひとつ良くないので、急遽予定を変更して、四日市泊まりにしようかな、と考えながら歩き続けました。

Photo_8 Photo_9

4時ごろ三滝川に掛かる「三滝橋」を渡りました。広重の絵にはこの橋の上で、かぶっていた笠を飛ばされて追いかけている旅人の絵がコミカルに描かれていますが、やはり今日も橋の上は川風が強く吹いており、私もかぶっている帽子を脱いで手に握って渡りました。

Photo_14 三滝橋を渡ると、左手にこの辺りの名物の「なが餅」を売る老舗らしい店が現れました。中に入ってみると昔の参勤交代の大名でさえ立ち寄って食べたと言われる美味しそうなお餅が並んでいました。

「一ついただけますか?」と聞くと、「ばら売りはいたしません」「一番小さなものが7個入りの箱です」とのこと。大振りのお餅ですので一人で7個は食べ切れません。

「ああ、そうですかぁ…」と言えば「どうぞ一つぐらいなら味見してください!」と言ってくれるかなと思ってしばらくそこに立っていましたが、お姉さんたちは一向に声をかけてくれません。

重い足を引きずって、そっとお店を離れました…。

Photo_11 

日も暮れかかったころ四日市の町に入りました。東海道は賑やかなアーケードの商店街に変わりました。

昨日プロ野球の日本シリーズで地元の中日ドラゴンズが優勝したので、アーケードには大音量で「燃えよドラゴンズ」の曲が流れています。いつの間にかその曲のリズムに歩調を合わせて歩いている自分に気づき、苦笑していました。

その後、近鉄四日市駅の近くのビジネスホテルに入り、チェックインしました。四日市は思っていたより大きな街で、ホテルの周りにはたくさんのお店や食べ物屋、飲み屋などがあります。

ホテルのフロントでこの辺で一番美味しい飲み屋さんを教えてもらい、シャワーを浴びた後、出かけましたが、その店は既に満員で入ることができず、残念でした。

その後もぶらぶらと歩き回ってよさそうな店をさがしましたが、なかなか見つかりません。

Photo_13  仕方なくホテルのすぐそばの寿司屋さんに入り、地魚の刺身を肴に冷酒を飲みました。飛び込みで入った店にしてはお肴が美味しく満足しました。

その店を出ると、まだ時間が早いので、夜の四日市をぶらぶら散策しました。それにしても四日市は飲み屋の多い町です。どうしてこの町にはこんなに飲み屋が多いのか不思議に思えるほどでした。

その後、ホテルに戻り、明日に備えて早めに床に着きました。

2007.11.18

四日市~石薬師~庄野~亀山へ  11月3日

四日市のホテルで6時45分に起床。朝食を食べてから8時に出発しました。

昨日の到着地点のアーケード街までいったん戻り、そこから今日のスタートを切りました。

空は青空ですが、朝の空気がひんやりとして指先が冷たく感じるほどです。

歩き始めるとすぐに、この四日市付近だけでしか見られない東海道の道標に眼がいきました。

Photo_6 

東海道を歩いていて一番不安なのは、どこにも案内板や道標らしきものがなく、自分が本当に間違いなく東海道を歩いているのかどうかが分からないときです。

市町村によってそれが全然異なるのですが、この四日市の道標はこれまでになく、旅人に優しく、分かりやすいものです。

とてもカラフルでビジュアルに作られていて、写真のように自分が今どの辺りを歩いているのかが一目瞭然に分かるようになっています。

このような地方自治体はきっと他の面でも優れた行政をしているのではないか、と想像します。

Photo_7 道路に「シルバーゾーン」が多いことにも驚きました。私は今までシルバーゾーンというものすら正直見たことがなかったのですが、この辺りではあちこちの道路上にこのマークが描かれています。

道路を歩くお年寄りにやさしい運転をしよう、ということだと思いますが、この標識を見ただけでも心温まる気がします。

四日市から石薬師に向かう街道は旧街道のままの幅のせまい道路が続いていて、いかにも東海道を歩いているという感じがして気分がいいです。

この辺りから亀山のホテルに電話をしてたずねたところ、今晩の予約がとれましたので、もう一泊して明日は今回の目的地の「関」か「坂下」まで歩くことにしました。

4キロほど歩いたところで、「日永の追分」というところに出ました。「追分(おいわけ)」とは街道が二つに分かれるところがそう呼ばれていました。

Photo_8 ここは「東海道」がお伊勢参りのための「伊勢道」と分かれるところです。江戸時代には庶民の間に「お伊勢参り」が人生最大の冒険でもあり、一大娯楽でもあったようですので、この追分は昔の旅人でさぞ賑わったことでしょう。

今でも大きな国道が二つに分かれるY字路になっていますが、小さな緑地帯になっており、大きな道標や常夜灯、鳥居などが保存されています。

私がそこにつく直前に、今まで一休みしていたと思われるご夫婦らしき二人が歩き始めるのが見えました。

Photo_16 その後すぐに近鉄線の小さな駅がありました。駅の名前も「追分」です。とても可愛い駅で、カラフルなかわいい電車が停まっていました。

その追分駅のすぐ近くに「追分まんじゅうの岩嶋屋」という店がありました。この饅頭も名物だそうですので、店の中に立ち寄りました。

Photo_9 Photo_10

「1個でも売っていただけますか?」と聞くと、人のよさそうな初老のご主人が笑顔で「どうぞ、どうぞ召し上がってください。」と言って出してくれました。

ほどよい甘さの薄皮饅頭はかすかに酒酵母のような香りがして、やさしい味わいのおいしいお饅頭でした。

ご主人は、ちょうど美味しいときに食べる人の口に入るように、ということに神経を注いで作っているそうで、その苦労も話してくれました。

しばらく四方山話を交わした後、「お気をつけて!」の声に送られて店を出ました。

その後、しばらく歩くと、「杖衝坂(つえつきざか)」という上り坂にさしかかりました。ここは松尾芭蕉が東海道を旅しているときに坂道で落馬したところです。

そこには芭蕉のよんだ「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」の句碑が立っていました。この句は芭蕉のよんだ句の中ではめずらしく季語のないことで知られているそうです。落馬をしてうろたえてよんだ句だったからでしょうか…。

Photo_11 先にそこで一休みしていたご夫婦はさっき「追分」で見かけたお二人のようでした。年齢は私とそう変わらないようです。

挨拶を交わすと、夫婦二人で東海道を歩いているとのことです。日本橋をスタートして年に1~2回歩いて、ここまでくるのにちょうど10年かかったとのこと。

私は今年の3月にスタートしてここまできたことを言うと、「わ~早い!」と言われてしまい、こちらの方が驚きました。自分ではゆっくりゆっくり歩いているつもりだったからです。

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その後、「石薬師(いしやくし)宿」を通りましたが、あまり見るべきものはない、静かで素朴な町でした。

12時50分、「庄野(しょうの)宿」に入りました。朝出発してから約6時間ほとんど休まずに歩き続けたので、少し右ひざが痛くなりました。この後、「亀山(かめやま)宿」まで歩こうと思っているので、あまり無理をせず、少し休まなければなりません。

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3時、東海道から少し離れた幹線道路にマクドナルドのマークが見えたのでそこまで行って休憩をとることにしました。朝から初めてのゆっくりとした休憩です。コーヒーがとても美味しく感じられました。

10分ほど休んですぐに歩き始めましたが、しばらくするとカメヤマのロウソク工場の前に出ました。ロウソクでは日本でも一番有名な会社ではないでしょうか。

Photo_13 3時55分、亀山宿の中心部に入ってきました。ここも城下町らしい街並みで、東海道は曲がりくねって続いていました。

昔の道幅がそのまま残っており、なかなか風情のある宿場町です。

広重は亀山の雪景色を残していますが、たしかにここに雪が降ったら美しいだろうなと想像できるような宿場町です。

Photo_12 やがて亀山城が見えてきました。昔は堅固な城郭をもった城だったそうですが、明治になって取り壊され、今は石垣の上に多門櫓一つのみが残されています。

城跡に登ってみると夕暮れの亀山の町がきれいでした。

朝予約をとったホテルを探して街道をはずれて坂道を下り、亀山駅の方へおりていきました。

ホテルは部屋がタバコ臭くて最悪、おまけにフロントに聞くと亀山市内には気の利いたお店はないとのことなので、がっかりしました。

膝が痛くてあまり歩けそうにないので、シャワーを浴びた後、6時ごろから部屋を出て、ホテルのすぐ前にある寿司屋に入ることにしました。

店の外ははっきり言ってさびれていてショーウィンドウのお寿司のサンプルにもホコリが積もっていて、何だかお腹でもこわしそうな雰囲気です。

でも、張り紙に「本店の活魚はオール天然です」と墨書してあったので、それを信じて入ることにしました。

入ってすぐに不安は的中しました。店の中は雑然としていて寿司屋らしい清潔さがなく、主人も奥さんも何だか無愛想です。

熱燗を注文した後、「何かおすすめは?」と聞くと、「天然ものの刺身でも切りましょうか?」というのでそれを頼むと、素朴に切った刺身が出てきました。

Photo_14

真鯛、あいなめ、イシガキ鯛、マグロが出てきましたがどれも天然ものと言うだけあって、信じられないほどの美味しさです。こんなさびれたような寿司屋でこれほど美味しい魚が食べられるとは…。

あまりにも美味しそうに私が食べるので、無愛想だったおかみさんまでニコニコ顔になって、その後は3人で大いに話がはずみました。

Photo_15 6時から9時過ぎに店を出るまで客は私一人だけだったので、主人とおかみさんの馴れ初めから、お店の苦労話、そして若いころは旦那が手がつけられないような浮気を重ねて苦労をした話などまで話が尽きることがありませんでした。

でも今は二人とも幸せそうで、仲もよさそうでした。

あまりにもお客さんが来ないので心配になり、商売は大丈夫か聞いてみたところ、亀山にはシャープの工場などがあり、そこの社員や出張で来るビジネスマンなどになじみの客がいて、忙しいときは大勢のお客さんが来てくれるとのことで、私もホッとしました。

これだけ美味しい店ならば、そうでなくてはいけません…。

その後、もっともっと話していたかったのですが、明日が早いので9時過ぎには店を出てホテルに帰り、幸せな気分でぐっすり眠りました。

2007.11.21

亀山~関へ  11月4日

7時起床、ホテルで朝食をとった後、8時ちょっと前に出発しました。

Photo_2 昨日の最終地点の亀山城の下まで戻り、そこから再びスタートです。

地形をよく観察すると、この亀山宿は下を流れる鈴鹿川の河岸段丘の上にできた宿場だということが分かります。

昔は洪水から逃れる手段があまりなく、最初から洪水を予測して高い場所に集落を作ったようです。それでも東海道を歩いていると、いくつかの宿場は洪水で壊滅して、別の場所に町ごと引っ越したというところがあるくらいです。

Photo_3 しばらくすると大きな一里塚が見えてきました。「野村一里塚」です。大きな椋(むく)の木が枝を広げています。

東海道に残っている一里塚の中でもこれだけの大木が生き延びている一里塚はめずらしいです。おそらくこの木は江戸時代から何百年もの間、東海道を旅する人々を眺めてきたことでしょう。

この辺りは畑が多く、のどかな農村風景が続いています。

Photo_4 その後、街道は鈴鹿川に沿って続いています。川沿いの道は緑が多く、車もほとんど通ることがなく、ゆったりとした気持ちで歩くことができます。

Photo_24   9時半、「関宿」に近づいてきました。昨日の亀山宿の寿司屋の女将さんが「明日は関宿の一年に一度のお祭りだからゆっくり見物するといいですよ。」と言っていましたが、だんだん宿場町の中に進んでいくと向こうのほうから祭りのお囃子らしきものが聞こえてきました。

それにしても一年に一度のお祭りの日に「関宿」に来ることになったその偶然の幸運に自分でも嬉しくなり、秋の空にむかって思わず「ありがとうございます!」と声をあげたくなりました。

今日は本当は「関宿」のもう一つ先の「坂下宿」かその先の「土山宿」まで歩こうかと思っていたのですが、昨日痛めた右膝の調子も良くないし、東京に帰るのに6時間もかかることを考えると、この「関宿」でゆっくり「街道まつり」を堪能して半日を過ごし、ここから東京に帰ることにしようと思います。

Photo_7 この「関宿」は亀山市が街並みの保存に力を入れ、懸命に江戸時代の建物や街並みを保存・維持しているだけあって、東海道五十三次の中でも他に例を見ないほど、江戸時代の風情がそのまま残っているところです。

このまま時代劇の映画の撮影に使って、ちょんまげ姿のお侍や三度笠にかっぱ姿の旅人が通っていても何の不思議もないのではないでしょうか。

Photo_8 Photo_9

今日はお祭りなので、あでやかな着物姿の老若男女が街道に集い宿場全体が華やかな雰囲気に包まれています。

長さ1.8キロある宿場をひと通り歩いてみました。昔の建物の修復・再現・保存は徹底していて電柱の1本もない街道沿いに昔ながらの作りの旅籠や民家や、商店などが並んでいます。

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驚いたのは郵便局や銀行なども江戸時代風の建物になっていたことでした。

普通に人々の住む町のようですが、ここに住む人々は江戸時代の人情やゆったりとした気分をもって生活しているのでしょうか。

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10時からパレード(?)が始まりました。可愛い着物姿の子どもたちが乗った大きな山車やさまざまなお神輿、仮装をした人々の行列などが宿場町の端から端までを練り歩きます。

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街道が狭いので山車が道路一杯ぎりぎりに通り、ひときわ大きく感じられます。

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笛や太鼓のお囃子とともに若い衆の勇ましい掛け声、おじいさんが唄う馬子唄などが宿場の中に流れて行き、まさに日本の昔のほのぼのとしたお祭りの原点が感じられるような気がしました。

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中でも私が一番引きつけられたのは、年に一度のお祭りを喜ぶ、晴れやかで幸せそうな表情の、子どもたちや男たち、女たち、お年寄りなどの顔、顔、顔でした。

ひとしきり祭りを堪能し、お店の焼きだんごや露店のうどんなども美味しくいただいた後、街道をはずれて坂道を下ってJRの「関駅」へ行きました。

Photo_20 1時間に1本だけの電車はたった今出たばかりで、これから1時間待たなければなりません。しかし、すっかり江戸時代の時間感覚になっている私には少しも苦になりません。

駅舎の畳のスペースにリュックを枕にして横になったらすぐに眠りにおちいりました。

起きるともう次の電車の5分前、小さな電車に乗って「亀山」まで戻り、そこから乗り換えて名古屋に出ました。

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名古屋駅で1時間後の新幹線の切符を買って、駅ビルの中のレストランに入り、名古屋名物の「手羽先」でビールを飲み、「きしめん」で腹ごしらえをしてから新幹線に乗りました。

新幹線に乗ると飛行機のキャビンアテンダントのような格好のお姉さんが丁寧にお辞儀をしておしぼりを持ってきてくれました。

「今日はまたいつもと違ってサービスがいいなぁ…、それに気のせいか座席もゆったりとしているなぁ…」と思っていましたが、しばらくしてそこがグリーン車だということに気がつきました。

先ほど自動券売機でクレジットカードを使って新幹線の切符を買ったのですが、そのときによく確認をしないで間違ってグリーン車の切符を買っていたようです。

グリーン車に乗ることなど庶民階級の私には初めてのことです。

今回は膝の痛みにも負けず、よく頑張って歩いたのでそのご褒美かもしれないと思い、幸せな気分で東京までの、しばしのプチ贅沢旅を楽しみました。

2007.11.24

関~坂下~土山へ 11月16日

朝5時起きで6時ごろ自宅を出ましたが、今日のスタート地点の「関」駅に着いたのがほぼ12時です。ここまで来るだけでも約6時間かかりました。

Photo 今日の目的地の「土山」まで歩くにはすぐに出発しないと暗くなる前に着くことはできません。すぐに駅前から前回の最終地点の「関宿」の中心部を目指しました。

前回はちょうど年に一回の「関宿街道まつり」で賑わっていましたが、今週は宿場全体が静まり返っていて、歩いている人もほとんど見かけないような状態です。

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本当は今日は先を急ぎたいところですが、前回は人が多くて見ることができなかった「関まちなみ資料館」と「旅籠『玉屋』歴史資料館をどうしても見ておきたかったので、その2箇所を1時間ほどかけて見学しました。

両方とも、昔の町屋と旅籠がきちんと手を入れて修復・再現がなされています。昔の人たちは現代の人たちに比べると背が低かったのか、身長の高くない私でさえ見学しながらゴツン・ゴツンとあちこちに頭をぶつけてしまいました。

「玉屋」の方は広重の東海道五十三次の原画などが展示されていてなかなか見ごたえがありました。

このような古い文化遺産を大切に残そうとして大成功している亀山市の努力に賞賛と感謝の意を表したいです。

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その後「関宿」の名物である「志ら玉(しらたま)」団子の店に立ち寄り1個85円の「志ら玉」を買って歩きながら食べました。上品な甘さと柔らかい白玉の感触で、かすかに江戸時代の味がしました。

「関宿」の次の「坂下宿」まではわずかに6.5キロです。急げば1時間半ぐらいで着くと思いますが、今日はその先の「土山宿」まで行く予定ですのでゆっくりはしておれません。

関宿を出るとすぐに街道は登り道になりました。鈴鹿峠へ向かって登っているのだと思います。

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しばらく歩くと「筆捨山」を見上げる場所にさしかかりました。ここは広重が「坂下宿」の絵に選んだ場所です。

絵から想像していたよりはずっと低い山で、広重がデフォルメして描いていたことがよく分かります。まだ紅葉していませんが、紅葉するとおそらく美しい山なのではないでしょうか。

Photo_8 2時半、「坂下宿」に入りました。しかし、ここは本陣跡の石碑がわずかに残るのみで今はほとんど何も宿場の形跡が残っていません。

東海道のガイドブックにはこの坂下宿には「夕霧そば」という名物のそばがあると書いてありましたのでそれを昼食に食べようと思っていたのですが、蕎麦屋どころか街道には人っ子一人歩いてもいないのです。

Photo_9 そのままそこを通り過ぎていよいよ鈴鹿峠を目指しました。坂下宿を出てすぐに小さな手作りの案内板を読み違えてしまい、山道に迷い込んでしまいました。急な階段の続く険しい道で四つんばいになって登るほどでした。

途中で急に暗くなり、雨も降ってきましたが、引き返すのもしゃくだからそのまま薄暗い山道を少し心細い思いをしながら歩き、再び東海道に出たときにはホッとしました。

時間的にはだいぶロスをしましたが、久しぶりに山道らしい山道を歩くことができたので、「まっ、これも良かった!」と思うことにしました。

Photo_10 3時15分、雨もやんだので、途中の神社の階段に座り、持ってきていた携行食でお昼をとり、すぐに鈴鹿峠の坂道を登り始めました。

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ここは江戸時代の旅人には難所の一つで、山賊も出没するような大変なところだったそうです。思ったより急な登り道もありましたが、私にとっては箱根の峠越えに比べればずい分楽に感じられました。

鈴鹿峠を越えたところで三重県から滋賀県に入りました。

峠を越えたとたんに冷たい風が吹いてきて手が凍えるように冷たくなってきました。手袋をもってきていて正解でした。

4時ちょうど、峠を下り終えて国道1号線に合流しました。あと7,8キロで「土山宿」ですので、暗くなる前に着きたいと思い、いくぶん急いで歩きました。

5時少し過ぎ、辺りは真っ暗になり、国道を走る車もヘッドライトをつけて疾走しています。

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5時半ごろ「土山宿」の入り口に達しました。宿場の中は真っ暗で人通りもなく、オレンジ色の行灯風の街路灯がポツンポツンとところどころに灯っています。

この旅を始めて、目的地に暗くなってから着くのはこれが初めてですが、夜の宿場町もなかなか風情があってよいものです。

ここでまた夜の冷たい雨が降ってきました。傘をさして宿場町の端から端までひと通り歩いてみました。しかし、暗いので案内板もあまりよく見えません。また明朝ゆっくり歩いてみることにしました。

今晩はこの「土山宿」には泊まるところがありませんので、次の宿場の「水口(みなくち)宿」のホテルに泊まることにしました。

ここから水口までは10キロ以上ありますので、今晩歩くことは無理です。バスで行こうと思い、通りがかりの自転車の女子高生にバス停の場所をたずねると、だいぶ離れたところでした。しかもバスは1時間に1本しかないとのことです。

長時間待つことを覚悟してバス停にたどり着くと、これまた偶然!私が着くと同時にバスが来ました。全くラッキーです!

その後、水口のホテルにチェックインした後、ホテルの近くの居酒屋で温かい焼酎のお湯割をいただきながら夕食をすませ、9時過ぎにホテルに戻りました。

ゆっくりお風呂に入って足の筋肉をほぐした後、明日に備えて早めに寝ました。

2007.11.25

土山~水口~石部へ 11月17日

水口のホテルで7時前に目を覚まし、バイキング朝食を食べた後、タクシーを呼んでもらって昨日の「土山宿」まで戻りました。バスが1時間に1本しかなくこの時間だと50分ほど待たなければならなかったからです。

8時に土山に戻り、再スタートしました。今日は北風が吹いていてとても冷え込んでいます。

Photo Photo_2

昨日は夜暗くなってから着き、「土山」をほとんど見ることができなかったので、もう一度本陣跡などをゆっくり見てから歩き始めました。

  「土山」はお茶の産地らしく、旧街道沿いにもあちこちに茶畑が見られます。

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この辺りの東海道は黒いアスファルトではなく、黄土色の道になっています。あたかも土の道を歩いているような感覚で、気持ちがいいです。しかも、他の道とはっきりと見分けがつくので、道に迷う恐れもありません。旅人には嬉しい配慮です。

歩いていると自転車に乗った高校生や、遊んでいる小学生、散歩をしているお年寄りの人たちが「おはようございます!」とか「こんにちは!」などと声を掛けてくれます。

昨日「鈴鹿峠」を越えて滋賀県に入ったとたんにこの違いに気がつきました。

それに滋賀県の言葉がとても柔らかくて温かく、耳に心地よく聞こえます。最近某プロボクサー一家の品のない関西弁に辟易していましたので、こんなに上品で心温まる関西弁を聞くとほっとします。

11時少し前に「岩神社」というところを通りました。そこにあった説明板によると、ここには昔大きな岩があり、この地方の人は赤ん坊が生まれると、この岩の前に子どもを抱いて立ち、通りがかりの旅人にその子の名前をつけてもらうという風習があったそうです。

もし、今、ここで赤ん坊を抱いた人が現れて、私に「この子の名前をつけてください」言われたらどんな名前をつけるかなあ?、などと想像しながら歩きました。

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街道沿いに野菜の無人販売所がありました。並んでいる野菜は東京ではあまり見かけない、いわゆる京野菜です。色合いがきれいで上品な野菜ばかりです。

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お昼ごろ「水口(みなくち)宿」に入りました。水口に着いたら昼食をどこかで食べようと思っていましたが、旧街道沿いには食事のできそうな店が見当たりません。

また昨日と同じく、携行食を食べることになるのかなあ、とあきらめかけていましたが、1時ごろ「水口宿」の西の出口のところで1件のお店を見つけました。

普通の民家のような一軒家に目立たない看板で「うなぎ・おまかせ料理」と書いた小さな店です。

中に入ると普通の家の玄関です。
「ごめんくださ~い」と言うと、しばらくして女の人が出てきて「おいでやすぅ」、

「あのう、何か食べることはできるんでしょうか…?」と聞くと、ちょっと困ったような表情で奥の調理場に向かって、

「あの~、お客さん一人、うな重でいいから食べたいと言うてはるんやけどぉ~」、

(いや、うな重の「う」もまだ言うてまへんで…)、

すると奥の方から主人らしい声が「ほな、あがってもらい、何とかするさかいに…」

何だか悪いことでもしたかな…と小さくなりながら玄関で靴ひもをほどいて上がらせてもらいました。

調理場の方をちょっとのぞくと、ものすごくたくさんの人数分の料理が作られているところでした。
どうやら今日は貸し切りで法事か何か行われるようすです。

それでも主人が中から「まっといてや、20分で出しますさかいにな」と言ってくれました。

Photo_12 ピッタリ20分後に出てきた「うな重」はうなぎが二段に入っていて、うまいの何のって、びっくりするほどです。
タレも甘からず、辛からずで私の好みにピッタリ!

うまそうに食べている私のそばに主人が現れて、「うなぎは活きたやつでないとあきまへんのや、たった今裂いたばかりでっせ」と声に似合わず人懐っこい顔をして言います。

ごはん粒一つ残さずきれいに食べた後、主人の
「おおきに、ありがとはん!」「気いつけて行きいや!」
の声に送られて、何だか得したような気持ちで再び歩き始めました。

今日の最大の収穫はこの「うな重」だったかも…。

(私の関西弁の再現は間違っているかもしれません。)

 (すんまへんどすぅ…。)

Photo_20 Photo_21

その後、大いに満足して歩き続けました。街道沿いには造り酒屋があったり、あちこちにたわわに実った柿の木があったりと東海道らしい趣を楽しみながら歩くことができました。

そろそろ日も傾き始めた4時ごろ「石部(いしべ)宿」に着きました。

Photo_14 Photo_15

ここには昔の茶屋が復元されていましたが、あまり他には見るべきところもなく(街道から離れたところには歴史民族資料館などがあるようでしたが)そのまま石部駅へと向いました。

しばらく待った後、4時50分の電車に乗り、その後ローカル線や新幹線を乗り継いで、東京の我が家に戻りました。我が家に着いたのは11時ごろでした。

Photo_16 歩数計を見ると今日一日で歩いた歩数は46926歩でした。

次回はいよいよ12月1日に京都三条大橋にゴールインの予定です。

(ちょっぴりさびしい気もします。)

2007.12.04

石部~草津へ 11月30日

朝まだ暗いうちに家を出て、今日の出発地点「石部宿」に11時半に着きました。

お天気は快晴、あまり寒くはなく、歩くには最高のコンディションです。

Photo 石部宿を出てしばらく歩くと左手に「石部金山」跡が見えてきました。ここは昔から銅が採掘されていたところだそうです。山が削り取られてピラミッド状に残っているのが印象的です。

Photo_2 そこを通り過ぎてさらに進むと、街道沿いに「旧和中散本舗」の古くて重厚な屋敷がありました。ここは江戸時代の胃腸薬を製造販売したところで、徳川家康も腹痛を起こしたときにこれを飲んで回復したため自ら「和中散」と名付けたと伝えられています。

Photo_3 そこを過ぎて「川辺(かわづら)」という集落に来たときに、これまで重宝して使ってきた折り畳み式の「東海道五十三次地図」がいよいよ最後の14部目になりました。

この地図はインターネットで購入した、ある方の手製の地図ですが、東海道を歩く上で本当に頼りになる味方でした。小さく折りたたんで手のひらの中に入るとてもハンディーなものです。

日本橋から京都の三条大橋までの道案内地図が全部で14部に分けて作られていますので、その回に歩く範囲のものだけ1,2部持っていけばよいように作られているのです。

最後の地図を手に「ああ、いよいよゴールなんだ…」と実感して再び歩き始めました。

Photo_4 2時30分、「草津宿」に入ってきました。この間、街道沿いには全然お店がなくてまだ昼食をとっていなかったのでここで食べることにしました。

東海道と中山道の分かれ道である「追分」まで来ると、中仙道にちょっと入ったところに商店街が見えました。

そちらに行ってみると、思ったより店が少なく、食べ物屋は貧相なうどん屋が一軒あるのみでした。しかし、迷ってはいられないのでそのうどん屋に入りました。

メニューだけは驚くほど多いのですが、おじさんが一人だけで商売しているようです。どうせまずいのだろうと思って「すき焼うどん」を注文したところ、それがとても美味しくてびっくりしました。汁も残さず完食して満足して店を出ました。

今日は本当は「大津宿」まで歩いておきたいと思っていましたが、この分だとその前に日が暮れてしまいそうです。今日は暗くなったところで切り上げることに決めました。

その後、草津宿の本陣に着きました。ここは珍しく昔のままの建物が残っています。

Photo_5 Photo_6

靴を脱いで上がって見学をしました。江戸時代の宿帳なども残っており、新撰組の土方歳三の名前があったり、偶然にも忠臣蔵で有名な吉良上野介と浅野内匠頭が9日違いで宿泊した記録などが残っていたりして、非常に興味深く見学しました。

Photo_7 中でも大名などが使った漆塗りのトイレは床の間付の畳の部屋にあり、高貴なものでした。しかし、私ならこんなトイレでは出るものも出ないような気がしました。

4時ごろ「弁天池」という大きな池のそばを通過しました。もう日も傾き始め夕焼け空になってきました。もうあと1時間ほどで暗くなるでしょう。やはり今日は「大津宿」まで歩くのは無理なようですので、その手前の「石山」まで歩くことにしました。

Photo_8 5時ちょうどに「瀬田の唐橋」を渡りました。もう真っ暗で、車はみんなライトをつけて走っています。

5時20分JR石山駅に着きました。大津まで歩くのは体力的にはまったく大丈夫なのですが、暗い中を歩いても意味がないので今日はここで終わりにすることにしました。

ここから予約していたホテルまで電車で行ってチェックインしました。

明朝はまた電車でここまで戻ってきて、ここからいよいよ東海道五十三次の旅最後の一日のスタートです!

2007.12.08

草津~大津~そして京都へゴールイン! 12月1日

東海道五十三次の旅、いよいよ最終日です!

昨日、日が暮れて歩くのを切り上げた石山駅近くの東海道に7時50分に戻ってきました。今日はここから最後のスタートです。

空は快晴、最終日にふさわしい好天に感謝したい気持ちです。

Photo 歩き出すとすぐに東海道は琵琶湖の湖岸に沿って続いています。ただし、今は埋め立てられたせいでしょうか、東海道からは間の建物が邪魔になって直接琵琶湖を見ながら歩くことができないのが残念です。

途中、街道をはずれて湖岸へ出てみました。朝日に照らされて湖面がキラキラと輝き、ゆったりと琵琶湖が広がっています。

湖岸に沿って遊歩道が続いているので本当はこの道を歩けば気持ちがよさそうですが、やはり東海道を忠実に歩きたいのでそれはやめて再び街道に戻りました。

しばらく歩くと膳所(ぜぜ)という変わった名前の町がありました。ここは徳川氏が築いた膳所城の城下町です。

ここを歩いていたら若い女性に声をかけられました。

「あのぉ、すみません。○○センターにはどう行ったらいいですか?」

と聞かれましたが、私に分かるはずがありません。

「すみません。旅の者ですので分かりません…。」

と答えると、リュックを背負った私の姿を改めて見て、

「ああ、そうですよね。すみません…。」

と丁寧に頭を下げていました。

一見、土地の者に見えたのでしょうか…。

9時20分、「義仲寺」に着きました。とても小さなお寺です。

Photo_2 Photo_3

ここは木曽義仲を葬った墓のある寺ですが、それ以上に有名なのは松尾芭蕉のお墓もここにあるということです。

芭蕉は生前しばしばこの寺を訪れたそうですが、大阪で死去した際に「遺骸は木曽塚(義仲寺)に送るべし」との遺言を残したためにここに葬られたそうです。

芭蕉がなぜここで永遠の眠りにつきたかったのか、その訳は謎ですが、今後いろいろと調べてみてその謎に迫りたいとの思いが湧いてきました。

Photo_4 10時ごろ、かの有名な「大津事件」の現場に立ちました。街角にそれを示す石碑が1本立っているのみですが、昔歴史の授業で習った「大津事件」の場所に立っていると思うと、感慨深いものがありました。

石碑には「此付近露国皇太子遭難之地」と刻まれていました。

その後、大津の本陣跡を通り過ぎ、11時20分ごろ滋賀県と京都府の境に至りました。いよいよここから京都です。

Photo_5 しばらく歩くと蝉丸神社があり、その先に有名な「逢坂の関」がありました。百人一首にも

 

 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)

 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言)

と詠われているところです。

Photo_7 Photo_27  

その後、広重の絵にもでてくる「走井の茶店」の跡を通りました。今は茶店というより立派な料亭のようになっていますが、店の名前は残っています。

しばらく行くと「日ノ岡」という坂道を登り、いよいよ京都に近づいてきました。このあたりは道が狭くて、「本当にこれが東海道?」と思うくらいです。

Photo_11 そのまま歩き続けると「三条大橋」と書いた道路標識が現れ、道はいよいよ三条通りに入りました。

Photo_12 ちょっと背伸びをすると、はるか向こうに三条大橋らしきところが見えます。

はやる心を抑えながら最後の道のりを一歩一歩味わうように歩きました。

Photo_19 

Photo_20 この旅の最後のゴール地点「三条大橋」は確かにそこにありました。四方をしっかりと見渡しながら橋を渡りました。

橋を渡り終えるところでこちらに向かって手を振っている子どもたちや大人の人たちが見えました。

Photo_14 Photo_15

私が昨年の春、定年退職した小学校のPTAの方々やそのお子さんたちです。

わざわざ東京から私を出迎えるために来てくださったのです。

「感激!」の一言に尽きます。

Photo_16 みんなと握手をしたり、子どもたちとハイタッチをしたり、みんなで記念写真を撮ったりしたあと、予約をしてくださっていた先斗町の料理屋へ行き、東海道完全踏破のお祝い会をしていただきました。

自分の道楽でやっただけの旅であるにもかかわらず、こんなにしていただくことが申し訳ないやら、有り難いやらで、何と表現したらよいのか分からないような気持ちでした。

その後、みんなで清水寺へ出かけ、燃えるような紅葉を楽しんだ後、暗くなってから京都駅まで戻り、そこで解散しました。

私は二条城近くに予約をしていたホテルにチェックインをして一休みした後、ホテルの近くのお店に入り、京都名物の「生麩の田楽」や「生湯葉のお造り」「生湯葉の煮たのん」などをつまみに熱燗を飲みながら東海道五十三次の一人旅をしみじみと振り返っていました。

Photo_21 Photo_22

一夜明けた翌日(12月2日)は「曼殊院」「詩仙堂」「禅林寺」をめぐり、信じられないほどの美しさの紅葉を満喫した後、東京の我が家に戻りました。

Photo_23 Photo_24

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「このブログをお読みくださった方々へ」

3月から約8ヶ月に渡りつたないブログをつづり続けてきました。

定年退職からの道楽として始めた「東海道五十三次てくてく一人旅」、まさに気の向くまま、足の向くままに歩いたような気ままな旅でしたが、ブログでお付き合いいただきありがとうございました。

多くの方々から励ましや、ねぎらいの言葉などをかけていただき、嬉しさでいっぱいでした。

この旅を始めるときには想像もしていませんでしたが、江戸から京まで歩くことで、次第に自分が小さなことに感動し、感謝していることに気がつきました。

そして、五感が敏感になり、街道の人の語り声、鳥のさえずり、花の香り、名も知らぬ野の花や木の実の可憐さ、湧き水の冷たさ、そして旅先の名物の味、などなどを素直に感じ、喜んでいる自分がありました。

ただ歩くだけ、それだけのことなのに、江戸の昔を感じ、今の自分の幸せを感じることができたことは何故なのでしょう。

旅の途中でお世話になった方々、これまで応援してくださった皆様、そしていつも静かに温かく送り出してくれた妻に感謝しながら、この旅の記録を終わらせていただきます。

ありがとうございました。 

2008.10.15

次なる目標!

東海道の旅を終えて早いもので12月で1年になります。

そろそろ次の挑戦への意欲が湧き上がってきましたpunch

しかし、今は仕事で結構忙しく、なかなか出かけることができません。

そこで、3月末ですべての仕事を辞めて身も心も軽くしてから次の目標に挑戦したいと考えています。

今のところアイディアは二つ三つあって、

一つは中山道を日本橋から京都まで歩くこと、

二つ目はせっかく東海道を京都まで歩いたので今度はその続きで京都から私の生まれ故郷である長崎まで歩くこと、

三つ目は東京から北に向かって青森あたりまで歩くこと

を考えています。

はたして実現するか否か? お楽しみにお待ちくださいhappy01

後日追記(2008年12月22日)

結局は中山道を歩くことにしました。この旅の様子は「還暦からの中山道」 http://haya-iwa-zoo.cocolog-nifty.com/nakasendou でまた書いていきたいと思っています。

2009.10.04

七里の渡しを船で渡りました! 2009年10月3日

東海道は踏破したものの、一つだけ心残りがありました。

それは宮から桑名までの「七里の渡し」を船で渡ることができず、そこだけ電車で通過していたことです。

私がそこを通ったときはもちろん昔のような渡し船はなく、ボートをチャーターすると何万円もとられるとのことでしたので諦めざるをえませんでした。

ところがネットで調べていたところ、名古屋のNPO法人の主催で、9~11月にかけて4回だけ「七里の渡しクルーズ」が行われることを知り、今年はそれに応募してみました。

運よく抽選に当たったようで10月3日の乗船券がとれました。

Conv0111_2

楽しみにしていたので当日はまだ暗いうちから目が覚めました。

我が家を6時ちょっと過ぎの電車で出発し、東京駅から新幹線に乗り換えて名古屋を目指しました。

名古屋駅から20分ほど歩いて集合場所の納屋橋桟橋へ行くと、もう40名近くの人たちが集まっていました。

そこから2隻の屋形船に分乗し、堀川を通って「宮の渡し」までのんびりと30分ぐらいかけて進みました。

Conv0113_2Conv0112_2

ボランティアのガイド氏の説明が丁寧で分かりやすく勉強になりました。

宮の船着き場についてしばらく見学をした後、少し大きな船に乗り換えました。

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1回の船室と屋根の上のオープンデッキとがありましたが、私は迷わずデッキの上にあがりました。

Conv0119  Conv0123

この日の名古屋地方は雲ひとつない日本晴れで絶好の航海日和でした。

今はだいぶ海が埋め立てられて昔の海岸線は見ることができませんでしたが、それでも目をつぶると一枚帆の船が旅人を乗せて行き来している光景が想像できました。

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この船にも歴史に詳しいボランティアのガイド氏が乗っており、昔の東海道の旅、特にここ七里の渡しについて多くの興味深いお話をしてくださいました。

昔は船旅は女性の旅人には敬遠されたとのことでしたが、実際に船の上で波に揺られながら聴くと「さもありなん」と納得しました。

特に昔の船にはトイレがついていなかったので女性はそれだけでも苦労をしたそうです。

宮から約3時間で桑名の船着き場に着きました。

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「宮」も「桑名」も約2年ぶりで再訪しましたので、とても懐かしく東海道の旅の時に訪れた時のことを思い出しました。

前に桑名を訪れた時には、まだ朝早かったので名物「焼き蛤」の店がどこも開いておらず食べることができませんでした。

今回はまた3時ごろでしたので、どこのお店もお昼休みの時間で開いておらず、今回もまた食べられないのかな、と諦めかけましたが駅の近くで一軒だけその名も「はまぐり食道」というところが開いていましたので迷わずそこに入り、焼き蛤をつまみにビールをおいしくいただきました。

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その後、桑名駅から名古屋駅まで出て、新幹線に乗り換えて東京へ帰ってきました。

家へ帰ると私の顔が真っ赤に日焼けしていたので、妻や息子が驚いていました。

これで東海道の旅に思い残すこともなくなり、やっと「東海道完全踏破」と言えるような心境になりました。

きょうの記念品は船の中でもらった「通航手形」でした。

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